あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-
幕間 その一
雨上がりのぬかるんだ道をマンフレッドはリネットとともに下っていく。旅の時には帽子の上に止まるようにしている。鴉の体は、長距離飛行に不向きだ。その上、リネットの歩みに合わせていては、かえって疲れる。問題は留まる場所だが、小娘の肩幅は狭いので、顔半分を常に羽根とこすり合わせる羽目になる。くすぐったいし、自慢の羽根が人間の皮脂や化粧で汚れるのは嫌だった。自然と帽子の上になった。
己の侍女を見下ろしながらため息交じりにつぶやく。
「あれとつながりのある魔術師をようやく見つけたと思ったらこのざまか」
「不可抗力でした」
口封じかとも思ったが、よもや全くの別件で殺されていたとは。完全に予想外だった。つかんだと思った手がかりも水泡に帰した。
「何か見つけたか?」
証拠隠滅などさせぬために、先行させたのだ。名無しの魔術師を処分した後、本物のハリーの日記や記録の類を回収させている。
「一通り拝見しましたが、今のところ手がかりになるような物は何も見つかっておりません」
リネットは淡々と報告する。
「無駄骨か」
「致し方ございません」
「取り繕うのは止めろ」
むかっ腹が立ったので、帽子の上から不出来な侍女をつつく。
「お止めください。帽子に傷が付いてしまいます」
たまりかねたように右手で帽子をかばう。マンフレッドはその手の甲に飛び乗り、帽子の端をつついてやる。手袋を付けているので、爪で傷つける心配もない。すると今度は生意気にも主人を払い落とそうとしたので再び帽子の上に飛び移る。
同じ動作を何度か繰り返すと、業を煮やしたのか、リネットは帽子を脱いだ。胸の内に抱え込むと、帽子のてっぺんに乗ったままのマンフレッドと目が合う。姿勢は地面とほぼ平行になっている。並の鴉であれば振り落とされるか浴び去っているところだが、魔術師でもあるマンフレッドであれば容易い芸当だ。つい笑ってしまう。
リネットが鞄を地面に置いた。目を細め、腰に手を当て、のしかかるようにふくれっ面を顔を近づけて来た。
「いい加減にしなさい、マンフレッド!」
そこでリネットは失言に気づいたらしい。また仮面のように表情を取り繕うと、申し訳ございません、と深々と頭を下げた。
侍女の謝罪にマンフレッドは鼻を鳴らして笑った。
「致し方ない、と思っているのなら貴様はここにはいないはずだ」
「……」
「悔しいのなら悔しいと言えばいいのだ」
リネットは反論しなかった。代わりに、瞳の奥では様々な感情が獣となって咆哮を上げているのが見えた。だが、勘定の揺らぎはほんの短時間で終わった。またいつものすまし顔に戻ると、マンフレッドごと帽子を被り直し、鞄を持つ。
「わたくしは、旦那様の召使いです」
賢しらな返事が気に入らなかったので、もう一度帽子の上からクチバシでつついてやった。硬い物が当たった。
「言い忘れておりましたが、帽子の下に針金を干し込んでおります」
目線を動かさずに広いつばを撫でる。
「小賢しいマネを」
「三個目ですので」
穴を空けてやったのがよほど気に入らなかったと見える。
「ん?」
上空に気配を感じた。主従はほぼ同時に空を見上げた。
一羽の鴉が飛んでくるのが見えた。鴉はマンフレッドたちのはるか頭上で一声啼くと、白い手紙を落とした。『招集状』である。
魔術師には区域の『裁定魔術師(アービトレーター)』への通報の義務がある。方法は通報者に一任されている。直接魔術で訴えかける場合もあれば、空に文字を描く場合もある。多いのは、使いに手紙を持たせる方法だ。鳥や獣のような使い魔に持たせる者もいれば、郵便・配達を生業とする専門の魔術師に依頼する場合もある。やって来たのは、魔術師の通信用に育てられた鴉のようだ。
リネットは封を開けて手紙を広げる。いちいち確認を取る必要もない。
「……次の使命のようです」
「忙しない話だ」
屋敷に戻ってネズミでも食らいたかったものを。完成して一年と経たぬというのにどこからでも入り込んでくる。
「魔術の実験中の事故、だそうですが、念のためにと通報されたご様子」
通報先の名前を見て、マンフレッドはうめきながら同時に記憶を引っ張り出す。
「確かその一門は、まだのはずだな」
「左様です」
リネットが首をひねりながら応じる。
「あちらの御当主様が拒否されていたので」
「ならばついでだ。そちらも調査と参ろうではないか」
「承知しました」
使い魔の鴉は手紙を届けた後もマンフレッドたちの上空を旋回している。事件現場へと案内するつもりのようだ。
ため息をつくマンフレッドの目の前に透明な筋が落ちてきた。
リネットの頭から見下ろせば、小さなガラス玉が道端に転がっている。
上空の使い魔がけたたましい声で啼く。マンフレッドは身震いした。
「鴉の求愛行動ですね。普通はオスの方から誘うようですが」
リネットが辞書でも読み上げるかのように淡々と説明する。
「あのお方はどうやら旦那様に思いを寄せておられるようです」
いちいち説明されるまでもない。あの色気づいた声を聞けば明らかだ。
「いかがでしょうか? お世継ぎのためにも一度正式な場を設けられては?」
「止めろ」
「無論、優れた養子をお迎えになるのも一考かと存じますが、レポフスキー家の当主となられた以上、選択肢は多い方がよろしいかと」
「差し出がましい口を叩くな」
マンフレッドは癇癪をこらえながら言った。侍女の分際で当主の婚姻に口出しするとは。不敬にも程がある。
あのような頭の軽い小娘は小生の好みではない」
「でしたら適齢期のご婦人でも……」
「余計な口を叩くな!」
表情は変えないくせに戯れ言ばかり口にする。つくづく使えない。
「さっさと追い払え!」
「その前にわたくしから配達をお願いしたく」
と、リネットが鞄から紙とペンを取り出し、簡潔に用件を記す。手紙を四角い封筒に入れると宛名と住所をしたためる。宛名に心当たりはないが、住所には見当がついた。本物のハリー・ポルテスに殺された、新婚夫婦の村だ。マンフレッドの知らぬ間に聞き回っていたのだろう。
リネットが手紙を宙へ放り投げる。回転しながら頭上高く舞い上がる。上昇が止まり、一瞬静止したところで横から黒い影が掻っ攫っていった。
小娘の鴉が尾を引くような声で鳴いた。承諾の合図だ。依頼人が魔術師であれば、配達先は問わない。鴉はもう一度マンフレッドたちの上空で旋回すると、麓の方に向かって飛んでいく。いつの間にか雲は薄くなり、山の向こうには青い空が広がっていた。
「戻る時間もございませんので」
リネットは言い訳のようにつぶやいた。余計なお節介をと思ったが口には出さなかった。あの老婆とて、娘夫婦の眠っている場所くらい、知る権利はあるはずだ。
「時間も惜しい。さっさとつかまれ」
「承知しました」
返事をすると、リネットはその場に黒革の鞄を置き、腰掛ける。
「行くぞ」
啼いた瞬間、リネットの足が浮き上がった。マンフレッドが魔術で鞄を浮き上がらせたのだ。リネット本人を浮かせるより、物体を動かす方がやりやすい。リネットは足を心もとなさげに揺らしながら、上昇していく。
「場所は、東の山を越えた森の中だそうです」
リネットが手紙を読みながら指示を出す。すでに木々の上を飛んでいる。
「腹が空いた」
塔で休息をとるはずが、予定が狂ってしまった。
「このようなものしかございませんが」
リネットがクッキーを差し出す。
「肉はないのか?」
「干し肉でしたら」
「あれはまずいし塩辛い。牛でも豚でも鶏でもいい。生肉を出せ」
「大変申し訳ございません。今しばしの御辛抱を」
やむを得ず、差し出されたクッキーをクチバシでくわえ、何度も噛み砕く。こんなものでも腹の足しにはなる。思い切り粉々にして、帽子の上にまき散らしてやろう。
「さっさと済ませるぞ。今夜こそ生肉だ」
夕食の宣言をしてマンフレッドはクッキーを腹の中に押し込んだ。