あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-

第二幕『召喚師』の不在証明 ①

 そろそろか、とモーガンはわずかに扉を開けて外の様子を覗き見る。石畳の地下通路には窓はなく、壁に等間隔で据え付けられた蠟燭の明かりだけが頼りだった。

 薄暗い廊下の奥から黒いローブを着た男が、焦った様子で廊下を駆けて来る。髪も瞳も黒いが、肌は不健康なまでに生白い。ローブも何かの液体で染みが付いている。弟弟子のカイルだ。身だしなみに気を遣え、と忠告したくなるがモーガンとて似たようなものだ。髪と瞳の色を茶色と青にして、背をもう少し高くすれば傍目に区別はつくまい。

 素通りされる前にモーガンは扉を開け、素知らぬ顔で話しかける。


「どうした、何をそんなに慌てている」

「モーガンか」


 カイルは足を止めてこちらを見た。忙しいのに、という苛立ちが表情に出ている。感情の制御も魔術師の資質だ。修行が足りないな、とモーガンは己を棚に上げて微笑する。


「話なら後にしてくれ。見ての通り急いでいる」


 兄弟子への敬意などろくに感じられないが、咎めるつもりはない。

 スペンス一門は弟子同士の上下関係が比較的緩い。魔術師一門の中には、入門の長さや時期の差で、絶対的な権力者のように振る舞う者もいるという。モーガンはそんな息苦しいのはゴメンだと思っている。暴君はただ一人でたくさんだ。


「トマスがやらかしてくれた。部屋中、雪と氷だらけだ。もうすぐ師匠が来るというのに」


 そこでカイルが盛大にくしゃみをした。モーガンはとっさに顔を袖で覆う。

 召喚術は危険の連続である。一歩間違えれば制御不能な魔物を呼び出してしまう。己が食い殺される程度なら軽いものだ。異界の魔王など呼び寄せた日には、世界中が危機に瀕する。

 それを防ぐために、『召喚師(サモナー)』は実験と称して召喚術の実践に勤しむ。日々あらゆる魔物を召喚して、新たな召喚術を開発する一方で、若手に経験を積ませている。モーガンの所属するスペンス一門も例外ではない。


「呼び出すのは、『炎の巨人(イフリート)』ではなかったのか?」

「それをどう間違えたら『霜の妖精(ジャックフロスト)』になるんだろうな。しかも大群だ。あれは天才だな」


 カイルがすらすらと皮肉を口にする。その場にいない人間の悪口は、誰しも饒舌になる。


「指導はどうなっているんだ? 兄弟子殿」

「ならば早く片付けた方がいいな」


 怒りの矛先がモーガンにも向かいそうだったので気をそらす。

 スペンス家には、召喚室と呼ばれる部屋がある。その名の通り、召喚術を行うために作られた部屋だ。殺風景な壁には何十もの防護魔術を施し、魔物の暴走を防ぐ。万が一の際には、強制的に送還出来るよう、壁の内側に魔法陣を仕込んである。

 召喚室は全部で三つ。魔物の大きさや種類で部屋を変えている。カイルが向かっているのは一番大きな『第一召喚室』だ。

 焦っているのだろう。さっさと開放してくれ、とカイルの表情が雄弁に物語っている。


「足を止めて悪かったな。未熟者たちには後でたっぷりと説教してやれ」

「そのつもりだ」

「師匠はまた機嫌が悪い。礼儀にも気を付けろ」


 弟弟子の一人が、師匠の前であくびをしたばかりに、魔物をけしかけられた。つい先週の話だ。命こそ助かったものの片足を失い、門下を去った。

 承知の上だ、と、カイルは顔を引きつらせて廊下を再び走り出した。

 その背中を見つめながらモーガンは安堵の息を吐く。

 計画は順調だ。これで、カイルが居場所を証言してくれるだろう。問題はこれからカイルも危険な目に遭うわけだが、死にはしないと踏んでいる。小心者なので、師匠のために命まで賭ける真似はするまい。

 さて、とモーガンは気を引き締めて反対の通路を見る。

 時間通りであれば、そろそろ本命が来るはずだ。

 高い足音が近づいてくる。来た。呼吸が乱れるのを感じた。

 黒いマントをなびかせ、不機嫌そうに石畳の廊下を歩いてくる。威風堂々とした姿にモーガンは心臓が高鳴る。

 皴も増え、髪も薄くなり、髭も白いものが混じるようになったが、伸びた背筋や盛り上がった胸筋はモーガンと比べても遜色ない。

 クラーク・スペンス。正式には、その前に四代目を付ける。魔術師スペンス一門の現当主であり、若かりし日に先代からクラークの名を引き継いだ。

 スペンス一門は魔術師の中でも召喚魔法を得意としている。魔術により様々な魔物を呼び寄せ、従わせる。召使として、戦いの道具として、寵愛の道具として。召喚魔法を得意とする魔術師は、『召喚師(サモナー)』と呼ばれる。四代目クラーク・スペンスは、かつて『百獣』と渾名された『召喚師(サモナー)』である。巨大な獣を同時に何頭も操り、山のような『一つ目巨人(サイクロプス)』を屠った。モーガンがまだ歯も生え変わらぬ頃だ。

 本当に己があれを殺せるのかと、心の中で十歳のモーガンが怖気づく。老いたとはいえ『召喚師(サモナー)』としての腕は健在である。何より師匠への反逆は大罪だ。

 魔術師社会は厳格な徒弟制度で成り立っている。かつての魔術師たちは『始祖』を裏切り、暴走した。故に師への反乱は倫理にもとる行為とされている。まして師匠殺しとなれば、死刑以上の刑が下されるのは確実だ。

 許されざる罪とは承知している。けれど、今も胸の内では怒りや憎悪が炎の魔神のように猛り、燃え盛っていた。これ以上、制御しようとすればモーガン自身を焼き尽くす。

 クラークは優秀な召喚師である。あまたの魔物を使役し、戦わせる才能は随一だ。反面、師匠としては三流以下のゴミクズだった。

 プライドが高く、ほんのわずかな失態でも弟子を叱責し、罵倒する。返事の代わりに手近なものを投げつける。カイルも弟子入り早々に石の文鎮を頭に食らった。礼儀作法にうるさい反面、己の無作法には無頓着で、話しかけても機嫌次第で返事もせず、苛立つと唾をはきかけられる。癇癪持ちで、くしゃみが止まらぬからとその場にいただけの弟子が殴られ、歯を折られた。女子供にも遠慮がないために、侍女も寄り付かず、相場の数倍の給金で雇ってもすぐに辞めてしまう。自然、身の回りの世話も弟子の役目になった。入門して間もない頃に、厠で尻まで拭かされた時は自害したくなった。その後も何度も殴られ、罵倒され、時には召喚獣に追いかけ回され、どうにか生き延びて来た。

 弟子も含め、周囲の人間を召喚獣の一種ととらえている節がある。

 逃げ出した弟子も一人二人ではない。クラークは追い打ちをかけるように『魔術師同盟』へ回状を回し、よその魔術師への入門を禁止した。逃げ出した弟子たちはどの門下にも入れず、細々と占い師や薬師の真似事をして生計を立てているという。『魔術師同盟』に訴えた者もいたが、クラークは『同盟』の幹部と親しく、訴えは叱責とともに却下されるのが常だった。

 法の執行人である『裁定魔術師(アービトレーター)』は原則、師弟間のトラブルには介入しない。クラークもまた弟子を半死半生にはしても、殺しはしなかった。介入を防ぐための小賢しい知恵だ。

 クラークのような愚者でも師匠であればやりたい放題だ。掟を作った『始祖』が恨めしくなる。『始祖』もまた、クラークのような人物だったのではないか、と勘ぐってしまう。

 モーガンもまた弟子入りして十五年、いまだに一人前とは認められず、年齢ばかり重ねている。よその召喚師門下では、十年も修行すれば一人前と認められ、独立する。実力次第では、新たな一門を立てることも許されるというのに。

 己が不出来だから、ならまだ納得がいく。だが、クラークは優秀な弟子こそ己の側に囲い込み、召喚獣のようにこき使う。放逐されるのは、役に立たなくなったか、もっと都合のいい弟子を見つけたときだ。

 モーガンに代わる弟子が育つまであと数年はかかるだろう。忍耐は限界だった。これ以上は耐えられそうにない。

 殺すだけならば可能だろう。弟子の己であれば不意打ちの機会はいくらでも見つかる。問題はその後だ。誰が犯人か、となれば疑惑の目はまず周囲の人間に向けられる。当然、弟子のモーガンにも及ぶ。