あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-

第二幕『召喚師』の不在証明 ②

 何より魔術師が死ねば間違いなく『裁定魔術師(アービトレーター)』が現れる。恐ろしき『魔術師殺し』だ。一度容疑を向けられたら、苛烈な取り調べに耐え切れず口を割ってしまうだろう。モーガンは己の忍耐力を過信していない。限界だからこそ、殺害に及ぶのだから。


「よろしいでしょうか?」

「何用だ?」


 クラークが煩わしそうに眉をひそめる。いつも理由もなく、何かに苛立っている。肝が小さないのでは、と疑っているが口に出せば殺されるだろう。


「実は、ご子息の件で」


 クラークの顔色が変わった。


「余人に聞かれてはまずいのでこちらへ」


 人目を避けて、モーガンは部屋の中に案内する。クラークは一瞬ためらったようだが、やがて無言で部屋の中に入る。モーガンは腹の中でうまくいったと喜びながら『第三召喚室』の扉を閉めた。扉も壁も厚い分、外へ音も漏れない。ここなら誰かが前を通りかかっても聞かれる心配はない。ここで待ち伏せていたのは、そのためだ。

 師匠が部屋の中に入ったのを確かめてから、後ろ手に扉を閉める。ひそかに『施錠(ロック)』の魔術を掛ける。簡単な魔術であるし、クラークであれば簡単に解いてしまうだろう。わずかな時間さえ稼げたらそれでいい。


『第三召喚室』は前後に区切られている。手前が控室で、奥が実際に魔物を呼び出す魔法陣がある。区切りの一部は半透明になっており、控室から召喚の様子が覗けるようになっている。当然、壁や半透明の部分にも防護魔術が施されている。控室には書棚と、書物を閲覧するために簡素なイスとテーブルもある。テーブルの脇には、細いコートハンガーが立っている。


「お預かりいたします」


 モーガンが促すと、クラークは憮然とした表情でマントを手渡した。うやうやしく受け取りながら内心でほっとする。これがないと今後の計画に支障をきたす。死体から引きはがすのは面倒だし、失禁や流血でもされると手間がかかる。クラークは二人掛けのイスに急いた様子で腰掛けると、肘をテーブルに着けながら言った。


「それで、ピートがどうしたと?」


 ピートはクラークの息子だ。二年前にいなくなった。当時二十四歳。クラークはあらゆる魔術を使って探し出そうとしたが、生死すら分からない、と嘆いていた。モーガンにとっても兄のような存在であった。

 もはや生きてはいないだろう、というのが弟子の間での共通認識だ。


「実は先日、書庫の中でこれを見つけました」


 モーガンは布包みを取り出し、差し出す。薄汚れた手紙である。封は切られていない。


「ノートの間に挟まっていました。差出人はピートです」


 そして、と手紙を裏返す。宛名は、モーガンである。


「……まさか、何かの間違いでは」

「筆跡は似ていますし、封蝋もピートが使っていたものです」


 しれっとした顔で言ってのける。手紙はモーガンが似せて書いた偽物だ。用紙や封蝋もピートの部屋から拝借した。わざと汚して経年を演出している。


「挟まっていた本を最後に読んだのは、二年ほど前。ピートがいなくなった頃です」


 当時の研究成果をつづったノートだ。


「読んだのか?」


 封を切っていない手紙を見つめながら心細そうに問いかけて来る。


「その前に、師匠にお知らせすべきかと思いまして」


 腹の底で笑いながら、孝行弟子の表情を取り繕う。


「もしや、いなくなった理由が何か書かれているかもしれません」

「あ、うむ。そうだな」


 威厳に満ちた顔が目に見えて周章狼狽している。

 それは焦るよな、とモーガンは冷ややかな目で師匠を見下ろす。

 己の犯行を告発する手紙かもしれないのだから。

 魔術師には魔術の力量以外にも、研究者としての一面もある。スペンス家当主ともなれば、両方が求められる。クラークは魔術の力量も腕前も超一流だが、研究者としては三流だった。事実、彼が当主になってから新しく召喚に成功した魔物はいない。当主としての資質を疑問視する声もあった。だからこその犯行なのだろう。

 クラークは己の息子の研究を自らのものと偽り、魔術師の集会で発表した。

 勝手に研究を盗まれ、ピートは哀れなほど憔悴していた。

 姿を消したのは、その直後である。クラークは、魔術の失敗で異界へと吹き飛ばされたか、肉体も魂も消滅した可能性を周囲に漏らしていた。バカバカしい限りだ。仮に失敗したとしても痕跡くらいは残るはずだ。行方不明になる前日、クラークとピートが口論をしていたという証言もある。

 それからずっと行方知れずだ。もはや生きてはいないだろう。父親に裏切られたと知り、世を儚んで自害したのか。あるいはクラーク自身が手にかけたという可能性もある。どちらにせよ、我が子の研究を盗んだ事実に変わりはない。そして、クラークにとっては絶対に知られたくない秘密のはずだ。モーガンの稚拙な誘い出しに引っかかったのもそのためだろう。

 召喚室ならば多少暴れても外には音が漏れない。ジャマも入らない。問題は殺害した後、いかに罪を逃れるかだ。手筈は整えてある。その実験を今から始める。

 クラークが手紙の封を震える手で開ける。その間に気配を殺しながら背後に回る。書棚の隙間に隠しておいた首輪を後ろ手に引っ張り出す。

 仇は己の師匠であり、名うての魔術師である。不意打ちに失敗すればそこで終わりだ。だからそれ相応の道具も用意しておいた。

 魔術封じの首輪だ。クラークならば十も数え終わらない間に解除するだろう。その時間が命取りだ。首輪にはロープを結び付けてある。首輪を手に、背後から恐る恐る忍び寄る。

 クラークはイスに座ったまま手紙に目を通している。不意に手が止まる。


「おい、これは……」


 クラークが振り返った瞬間、モーガンは獣のように飛びかかった。手にした首輪を師匠の首に通す。輪が完全に通ったのを確認すると、クラークの背中に足をかけ、背筋をそらすようにしてロープを思い切り引っ張る。

 クラークの顔がみるみる赤くなっていく。背後から締め付けられている上に背中を足の裏で押されているため、倒れることも許されず、海老反りの体勢でうめき声を上げるばかりだ。

 魔術さえ使えなければ、ただの老人だ。歯を食いしばり、手首にロープを巻き取るとさらに体重をかけて首を締め付ける。

 くぐもった声が聞こえる。表情は見えないが、もがくように両手で虚空をかきむしっている。背後から急襲したのは正解だった。反撃されて万が一顔に傷でも付けられると厄介だ。モーガンは回復魔法が使えない。

 どれほどの時間が経っただろう。気が付けば、クラークは何の反応も見せていなかった。

 恐る恐る足を外し、手を緩めると、クラークは仰向けに倒れた。

 顔は紫色に染まり、目は見開いたまま充血している。呼吸も心臓も止まっている。

 額から流れ落ちる汗を手の甲で拭いながら息を吐く。

 クラークは死んだ。師匠は己がこの手で殺したのだ。

 あれほど恐れ敬い、嫌悪した師匠も魂は冥界へと旅立ち、肉の塊に変わった。床にはくしゃくしゃになった手紙が落ちている。これも隠滅しなければ、とモーガンは拾い上げてからふと文面を見る。『今こそ復讐の時だ。地獄に落ちろ』。少し仰々しかったかな、と苦笑しながらポケットに手紙を突っ込む。

 ほっとした途端、疲労感が重くのしかかる。壁の本棚に背を預けながら今後の対策に思いを巡らせる。

 魔術師は、殺しただけでは終わらない。『死霊魔術(ネクロマンシー)』には死体を動かすだけではなく、魂を冥界から呼び出す術もある。死者から告発されるなど、笑い話だ。

 防ぐ方法は色々あるが、この方法であれば死者からの声も聞こえなくなる。

 モーガンは分厚い扉を開けると、控室からモーガンの死体を引きずる。老人とはいえ体格がいいので、重い。魔術を使えば簡単だが、これから大規模な魔術を使わねばならない。ムダな魔力は消費したくない。

 四隅に荷物が固められ、中央には巨大な布が敷かれている。布には巨大な魔法陣が描かれている。『第三召喚室』の魔法陣を使えば楽なのだが、魔力の痕跡を調べられると足が付く。そのため事前に準備していたものだ。