あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-
第二幕『召喚師』の不在証明 ③
部屋には誰も入った痕跡はない。部屋の鍵はモーガンが持っていたし、念のために『施錠』の魔術も掛けていた。
魔法陣の上にクラークの死体を載せる。死体を消し去っただけでは、モーガンへの容疑をそらすには不完全だ。完璧に払拭するためにも、師匠にはもう一度死んでもらわねばならない。
全ての手筈を済ませると、師匠の私室から持ち出しておいた服に着替え、靴を履く。服はともかく靴は少々ぶかぶかだったが、つま先に丸めた布を詰めれば寸法も背丈も誤魔化せる。数歩部屋の中を歩いて、感触を確かめてから最後に拝借したマントを着て、背中のフードを目深にかぶる。クラークはこれから召喚実験の予定だ。向かう先は『第一召喚室』である。
途中、すれ違った弟弟子たちが、モーガンを見るなり背筋を伸ばし、深々と一礼しながら挨拶をする。良かった。ばれていないようだ。ほっとしながらも足音を高らかに鳴らし、威厳を演出する。本物のクラーク・スペンスのように。
『第一召喚室』の前に来た。扉をノックする。いつもとは違い、尊大な感じで。
すぐに扉が音を立てて開いた。中から冷たい風が吹いてきた。
「お待ちしておりました。その、実は」
カイルがつらつらと言い訳をしながら謝罪する。やはり気づいた様子はない。平身低頭、という様子で恐縮しきっている。ほかの弟子たちも左右に並び、王宮騎士団のようにうやうやしく礼をして出迎えている。いずれもしわ一つない深緑色のローブを頭まで着込み、杖を握る手も微動だにしない。
モーガンは無言でうなずくと、マントの襟を両手で引き寄せながら中に入る。構造自体は『第一』も『第三』も変化はない。手前と奥で控室と実験室に分かれており、奥の実験室の床には魔法陣が刻まれている。違いは奥の規模だ。巨大な魔物も呼び出せるように天井が高い。天井にもやはり防護魔法が何重にも敷かれている。
クラークは弟子への教育も兼ねて定期的に召喚術を実演している。今日呼び出すのは、異界の悪魔である。悪魔召喚はリスクが高い。強大で万能な反面、ふとしたことで機嫌を損ねればあっさりと殺されてしまう。
クラークに扮したモーガンが魔法陣の中に入ると、弟子たちが結界を張る。召喚した魔物が暴走した際に外部への被害を防ぐためだ。
準備が整ったのを見計らい、モーガンが小声で術を唱える。念のためクラークの声に似せてはいるが、最近では歳のせいで聞き取りづらくなっていた。カイルたちが声で正体に気づく可能性は低い。
魔法陣が輝きだした。黒い粒が立ち上る。やがて黒い渦となって中から巨大な腕が扉をこじ開けるようにして少しずつ、姿を現していく。
「おお……」
感嘆の声が喉の奥が漏れた。
目の前にいるのは、巨大な悪魔である。
背丈はモーガンの五倍以上もある。体格を考慮して一番大きな『第一召喚室』を選んだはずだが、頭がつかえて前屈みになっている。獅子の頭に鷲の足、背中には四枚の翼もつかえている。尻尾にはサソリの尾が壁を引っ掻いている。
異界の悪魔・パズズだ。
パズズの召喚自体は何度も行われている。研究論文も何本も書かれている。それによれば、個体名ではなく種族の名前であること、この世界の言葉は話さないが知能は高く、凶悪である。それだけに扱いが難しく、記録に残っているだけでも『召喚師(サモナー)』を何十人と殺害している。
巨大な存在が目の前で立っている。
それだけで威圧感が凄まじい。何度やってもなかなか慣れない。いつかの『一つ目巨人(サイクロプス)』と、それに立ち向かう師匠の姿が脳裏をよぎり、現実に引き戻される。
「パズズよ、召喚に応じたのなら我が命に従え!」
杖を掲げ、魔力を込めながら命じる。無論、外のカイルたちに気づかれぬよう、極力師匠の声に似せることも忘れない。
パズズは一瞬不快そうな顔をしたが、一歩モーガンに歩み寄る。
そうだ、来い。
心の中で呼びかける。タイミングを誤れば、モーガン自身が死ぬ。
失敗しないために、何度も練習を重ねた。
パズズは大声で吠えた。大音声に鼓膜が一瞬、麻痺したかのようだった。巨大な両腕でクラークに扮したモーガンを抱え込む。何度やっても慣れない。モーガンは息を止め、目を閉じた。パズズはすするようにその体を丸呑みにした。
生ぬるい感触が全身を包む。体を縮め、胎児のような格好のまま目を開ける。真っ暗な口内には腐臭が立ち込めていた。これまでに食い散らかして来た獣の臭いだろう。その中には、人間も含まれている。事実、今しがた腹の中に詰め込んだばかりだ。
クラーク・スペンスの死体を。
召喚獣は大きく分けて二種類いる。召喚師がその都度契約を結び、召喚する『臨召獣(りんしょうじゅう)』と、特定の個体と主従の契約を結ぶ『契約獣』である。
仮にドラゴンを召喚するとする。『臨召獣(りんしょうじゅう)』の場合は、ドラゴンという種族属性が最優先されるため、個体差が大きい。生まれたばかりの赤子や、老衰で死にかけた老いぼれが呼び出された事例もある。契約は一度きりなので、次に同じ個体が出て来る可能性は著しく低い。
一方『契約獣』であれば、特定の個体を常に呼び出せる 。安定した強さが期待できる上に、術者との意思疎通も図りやすい。反面、その個体が死ねば呼び出せなくなり、一から別の個体と契約し直さねばならない。人間で言えば臨時雇いと終身雇用の違いだろう。どちらにもメリットとデメリットがあるため、術そのものに優劣はない。
このパズズは以前からモーガンと主従契約を結んだ『契約獣』だ。
モーガンは第三実験室にパズズを呼び出すと、クラークの死体をバラバラにして食わせた。クラースに相応しい最後を飾るためでもあり、パズズの腹を満たすためでもある。万が一、パズズが食欲に負けては、元も子もない。部屋が狭く、身動きが取れないため、苦労したが。
これでクラース・スペンスは公的にも死んだ。自ら呼び出した召喚獣に食われるというお粗末な最期を迎えて。あとはパズズともども『第一召喚室』から抜け出すだけだ。その算段も付いている。
「止めろ!」
外からカイルの声がした。結界を超えて乗り込んできたようだ。
暗闇の中でわずかに揺れる。
何かの魔術が当たったようだが、パズズ には効いていない。『召喚師(サモナー)』の修行は魔物の操作や意思疎通の方法、あるいは魔物の研究などに費やされる。いかに魔力が高くても自身が使う魔術など、そこらの魔術師と同等かそれ以下だ。何よりパズズは異界の悪魔だけあって、魔力抵抗も強い。並の魔術など屁でもあるまい。
問題は召喚獣の方だが、それも対策済みだ。実験に立ち会っている弟弟子たちに扱える召喚獣は把握している。下級の魔物ばかりで、パズズを倒すどこか傷一つ付けられまい。
もう一度パズズの体が揺れる。今度は足を狙ったようだ。バランスを崩すためだろう。狙いどころは悪くない。翼はあっても狭い部屋の中では飛べない。ただ、如何せん魔力不足だ。バランスを崩すには至らない。ムダなあがきを、とパズズの口の中でせせら笑う。
すると、轟音とともに暗闇の中で何度も揺れる。先程より振動が強い。異変の理由はすぐに気づいた。パズズがくしゃみをしたのだ。わずかに口の中が開き、外から光が差し込む。
歯につかまれながらこらえていると、喉の奥から黒く小さなものがぽん、と飛び上がって舌の上を転がる。息が詰まった。
クラークの首である。消化が始まっているのか、わずかに皮膚が溶けかけている。うつろな目と目が合ってしまい、胃から熱い粘液がせり上がる。吐き気をこらえながら対策を練る。先程のくしゃみで腹の中から出てきてしまったのだろう。早く胃の中に戻さねば、と何とか口の中に放り込もうと手を伸ばした瞬間、パズズの体がわずかに前かがみになる。外の弟弟子たちが足ではなく、床を攻撃したらしい。そのせいでわずかにバランスを崩したのだろう。クラークの首が舌の上を転がり落ちていく。懸命に伸ばしたモーガンの手をすり抜け、口から外へと飛び出していった。