あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-

第二幕『召喚師』の不在証明 ⑥

 呪文を唱えると、手のひらの上に半透明の本が浮かび上がる。表紙の分厚い、革張りのような本だが、実体はない。己の使用可能な魔術を開帳する魔術である。正式名称は『体得魔術記録簿開示』だ。長いので魔術師の間では『記録簿』で通っている。

 魔術師が弟子入りしてから真っ先に教えられる。己がいかなる魔術を身に着けたかを自動的に記してくれる。改竄は出来ないため、いくら己を大魔術師と嘯いても『記録簿』を見れば、程度が知れる。

 手の内をさらすため、師匠か親しい者にしか見せないものだが、『裁定魔術師(アービトレーター)』には公開を求める権利がある。また魔術師は特段の理由がない限りは求めに応じて中身を見せなくてはならない。それをただの『魔力なし(マギレス)』であるリネットが食い入るように見つめている。腹立たしい。


「特に問題なさそうですね」


 当然だ。特別な魔術を覚えていれば、疑われる原因になる。だからこそ、手持ちの魔術で疑われないような方法を編み出したのだ。


「ありがとうございました。しまっていただいて結構です」


 許しが出たので、手のひらを握ると、『記録簿』は虚空へと消え去る。


「いくつか確認なのですが」


 と、前置きしてからリネットがあれこれ聞き始めた。マンフレッドは興味もなさそうに部屋の中を見ては時折、テーブルの上や棚の上へと飛び回っている。まるで退屈な子供だ。


「つまり、クラーク・スペンス様が召喚術の実験中、悪魔が暴走してクラーク様を食い殺した。弟子の方々が何人か中に入り、助け出そうとされましたが力及ばず、悪魔は元の世界に戻った。以上でよろしいでしょうか?」

「ああ」


 取り調べに対してどのような対応をすればいいか。悩んだ末に、モーガンは極力ありのまま答えることにした。演技の才能があるとは思っていない。下手に取り繕えばボロが出る。肝心なところさえミスをしなければ、それでいい。


「パズズ、というのはどのような悪魔なのでしょうか」

「これだ」


 と、モーガンは用意していた本を開き、ページの挿絵を指さす。


「異界の悪魔の一族だ。何度もこの世界に来て、災厄を起こしている。過去には騎士団百人が全滅させられた。西方では魔神として信仰もされているらしい」

「さぞ強いのでしょうね」

「そこいらの魔術師では束になっても勝てないな。喰われるだけだ」


 魔術への抵抗力が高いので攻撃魔法が通用しない。体力も腕力も『一つ目巨人(サイクロプス)』以上だ。


「実際、師匠が目の前で喰われても、ろくな抵抗も出来なかったらしい」


 パズズを選んだのもそのためだ。弱い魔物では、モーガンごと葬られてしまう。


「パズズは人食いなのですか?」

「悪食だからな。人でも魔物でも生きているものは、なんでも食う。特にお前のような若い娘は骨までしゃぶられる」


 あわよくば怖がらせるつもりだったが、リネットは眉一つ動かさず話を続ける。


「今回のような失敗は、過去にもございましたでしょうか」

「あるにはあるが、今回のようなひどいものは、俺の知る限り初めてだ」

「被害を問わなければ、どのくらいの頻度で」

「二、三年に一度、というところか」

「原因は?」

「些細なことだ」


 モーガンは残念そうに言った。


「魔法陣の書き間違いや詠唱の失敗……ほんのわずかなミスが事故につながる。その時は、幸いにして死人は出なかったが」

「では、今回の原因は何かとお考えでしょうか?」

「調査中だからはっきりとしたことは言えないが、今回も似たようなものだろう」

「モーガン様はその時どちらに?」

「『第三召喚室』にいた」


 と、スペンス邸の地図を広げてみせる。間取りに関しては原則、門外不出なのだがこの際致し方あるまい。召喚室は地下にあり、第一と第三の間には当然、『第二召喚室』がある。そちらの部屋の前では別の弟子たちがたむろして今後の召喚実験について議論していたという。


「控室の本棚で調べものをしていたのだ。腹が減ったので外に出たら随分と騒がしいので駆けつけたらあの有様だ」


 偶然に頼るようだが、あの部屋は防音もしっかりしている。物音が聞こえた、という説明は避けるべきだろう。


「それまでずっと『第三召喚室』にいらしたのですか」

「俺が『第一召喚室』へ入ったのは、騒ぎを聞いてからだ。実験の前にカイルとも会っている。ウソだと思うのなら聞いてみるといい」


 事件の起こった時、『第三召喚室』にいた。『第一召喚室』へ行くには、『第二召喚室』の前を通らねばならない。第一召喚室に入っても立ち会っていたカイルたち弟子が何人もいる。何人もの目を逃れるなど不可能だ。瞬間移動や姿を消す魔術もあるが、モーガンには使えない。たった今『記録簿』で開示してみせたとおりだ。

 不在証明(アリバイ)は完璧だ。


「不躾なことをおうかがいたしますが」


 リネットはそう前置きしてから言った。


「クラーク・スペンス様のお名前を継がれる方はどなたでしょうか?」

「ここにはいない。俺も含めて弟子の中には誰も、な」


 モーガンはきっぱりと力不足を認めた。


「師匠の弟弟子の誰かが継ぐのではないかと思う」


 跡目争いは殺害動機にはなりえない。そう言外に匂わせておく。モーガンにはまずお鉢は回ってこないし興味もない。腐れ外道の名を継ぐなどまっぴらだ。


「それと、その香水はどちらでお求めに?」


 顔をしかめたくなった。痛いところを突いてくる。


「これは失礼した。分量を付け間違えてしまったのだ。お陰で今朝から臭くて仕方がない」


 ははは、と愛想笑いを浮かべる。


「それとも、マンフレッド殿には迷惑だったかな。獣は嗅覚が鋭い故」

「お気になさるな」


 頭上から羽ばたく音がした。振り返れば、マンフレッドがソファの近くまで飛び移って来た。


「鴉は人より鼻が利かぬ。ここまで近づいてもほとんど香水とやらが感じ取れぬ」


 鴉の顔が真正面に向けられる。鳥は苦手ではないが、いささか気味が悪い。


「なれど、魔術に不要なものは身に付けぬ方がよい。どこで足をすくわれるか分かったものではないからな」

「ご忠告痛み入る」


 モーガンは苦笑した。


「どこまで話したか……そうそう、香水の出どころか。これは貰い物だ。昔、師匠が貴族の頼みごとを聞いてやったのでその礼にとよこしてきたのをもらい受けたのだ。師匠は香水になど興味を持たれぬ方なのでな」


 と、香水の瓶を取り出し、目の前で振ってみせる。


「よく付けられるのですか?」

「実験のない日にはたまに」


 いきなり付けては怪しまれるので、少し前から付けていた。師匠はいい顔をしなかったし、説教の元にもなった。


「言っておくが、こいつは高いぞ」


 にやりと笑ってみせる。


「そなたの給金がいくらかは知らぬが、平民に手が届くものではない。あとで主人にでもねだるといい」

「かしこまりました」


 リネットは立ち上がり、帽子を被り直した。


「それでは、もう少し現場を見てから戻ります。ご協力ありがとうございました」


 深々と頭を下げてから出口の方へと向かう。

 マンフレッドもその後を追って、帽子の上に飛び乗った。


「失礼いたしました」


 扉の閉まる音を聞いてノーマンはソファに力なくもたれかかる。

 想定外の質問もあったが、どうやら乗り切ったようだ。ほっとした途端、ノックの音がした。返事をすると、扉の隙間からリネットが顔を覗かせる。


「大変申し訳ございません。一つ、確認を忘れておりました」

「な、何かな?」


 気が抜けていたところへの不意打ちに、急いで気を引き締める。ミスをしては全て水の泡だ。

 許可を出すと、リネットが再び応接室に入ってきた。


「レポフスキー卿はどうした?」


 あの黒い鴉の姿が見えない。別行動でも取っているのだろうか。


「旦那様は『飽きた』と仰って外へ向かわれました」