あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-

第二幕『召喚師』の不在証明 ⑦

 自由奔放な鴉だ、と呆れつつも腹立たしくなる。己の相手など、『魔力なし(マギレス)』の小娘で十分ということか。なめられたものだ。怒りの矛先を目の前の小娘に向けたくなるのを自制する。魔術が使えなくともレポフスキーの家名を背負っているのだ。手出しをすれば、モーガンの命は潰える。


「あのような主人ではお前も大変だな」


 怒りをこらえ、代わりに同情する顔を作る。レポフスキー卿が何を考えているのか、少しでも情報を引き出したい。しょせんは『魔力なし(マギレス)』だ。どうせろくな扱いもされていないのだろう。優しい素振りを見せればなびくかもしれない。


「滅相もございません。ご主人様は大変お優しい方です」


 きっぱりと否定する。リネットの立場としてはそう言うしかあるまい。そうか、と哀れみを込めながらモーガンは寄り添う振りを続ける。


「それにしてはお前への扱いもぞんざいに見えたがな」

「旦那様は誤解されやすいお方なのです」


 間髪入れずにマンフレッドを擁護する。なるほど、教育は完璧というわけか。


「だがあれでは、卿の嫁探しも大変だな」

「それでも旦那様には必要ですので」


 マンフレッドにとって、とはどういう意味だろう。レポフスキー家は実力第一主義で血縁に囚われない、と聞いている。後継者ならば、才能のある者を養子にすればいい。好きな女を娶る事も出来るはずだ。


「……わたくしがいなくなれば、旦那様はお一人になってしまいます」


 それではまるで、近い将来リネットがレポフスキー家を離れるかのようではないか。病気を患っているようには見えない。辛くて辞めたい風でもない。何か事情でもあるのだろうか。もう少し掘り下げようとしたが、リネットも喋りすぎたと思ったのだろう。手帳を取り出し、お話よろしいでしょうか、と言った。


「パズズの生態について、です」


 リネットは調書を書き留めたとおぼしき手帳を取り出し、読みながら言った。


「先程のお話によれば、パズズはクラーク様を体ごと丸のみにした後、頭部だけを吐き出されたとか。その上、手から出した炎で頭部を黒焦げにしてしまったと」

「……らしいな」

「何故、そんなマネをしたのでしょうか?」


 白々しく小首をかしげる。脳内でもう一人の己が警戒の声を連呼する。


「人食いであれば、頭ごと飲み込むものではないでしょうか? 事実、吐き出したのは、首だけです。服も杖も全てのみ込んでしまっています」

「偶然だろう。食いすぎて、げっぷでも起こしたのかもな」


 おかげでいらぬ苦労をさせられた。


「食したのは、クラーク様お一人とうかがっておりますが」

「召喚される前に何人か食っていたのかもしれない」


 パズズがどこで何をしていたかなど、モーガンに知る由もない。


「首だけを吐き出した上に炎で焼いてしまっています。何故そんなマネを?」

「黒焦げ(ウェルダン)が好みだったのだろう」

「それならばもう一度口に入れなおすはずです」

「……何が言いたい」


 焦れたのは、モーガンの方だった。


「あの首が偽物だとでも?」

「焦げた頭部の破片からわずかですがクラーク様の血も検出されました」


 血液から個人の特定も可能だ。魔術ではしばしば血によって契約が交わされる。誰の血か判別できなければ、意味がない。


「クラーク様が死んだのは間違いございません。確実に死んだと印象付けたいのであれば、首だけで十分なはずです。ですが、その後、炎によって首の傷口まで焼けてしまいました」


 死ねば血は止まり、少しずつ腐っていく。死体を調べれば、直後に死んだか時間が経過したものか、ある程度は調べられる。ただ、黒焦げになってしまうと正確な時間の特定は難しい。


「そんなマネをして何の得がある?」

「パズズにはございませんが、人間にはございます」


 手っ取り早く転げ落ちた首を始末するための方法で疑念を抱かれるとは。つくづく忌々しい師匠だ。


「確認なのですが、パズズを召喚獣として操ることは?」

「可能だ」


 モーガンは素直に認めた。


「過去にも例がある。触媒やら秘石やら金と労力はかかるし無論、ある程度の技量は必要だが操ること自体は出来る。」

「あなた様にも?」

「ああ」


 わずかな逡巡の後で絞り足すように認めた。

 実際に見せたことはない。ただ、弟弟子たちに聞けば十人中八人は可能と答えるだろう。謙遜しても意味がない。


「いいか、こむ……お嬢さん」


 煮えくり返った腸から飛び出しそうな怒声をこらえ、理性を働かせる。


「俺を疑っているのかもしれないが、これは、魔術の失敗だ。俺は『第三召喚室』にいた。カイルに聞いてくれれば証言してくれる。そもそも、魔術を唱えたのは師匠ご自身だ」

「その方は、本当にクラーク様だったのでしょうか?」


 師匠のローブを身につけていたが、誰とも会話をしていない。下手に話しかけると激高するため、弟子たちは原則自分たちから話しかけたりはしない。ならば、偽ることは可能だ。モーガンがそうしたように。


「百歩譲って、仮に偽者だったとしよう」


 モーガンは切り札を出すことにした。


「その『召喚師(サモナー)』は、自ら呼び出したパズズに頭から喰われた大間抜けだ。そして口から師匠の頭が転がり落ちた。もし偽者だとするならその頭はどこから出て来た? 偽者はどこへ消えた? 口から出て来たのは師匠の頭だけだったそうではないか。ならば偽者は、今頃パズズの腹の中だ。いや、むしろその方がいいかもな。師匠が不名誉な死に方をしたなどと、誹謗中傷にさらされずにすむ」


 反論はなかった。リネットがひるんだと判断した。畳みかけるように言った。


「何よりパズズは、師匠の首を吐き出した後でカイルたちに送還されている。今頃異界のどこかだろう」


 今回の仕掛けで重要なのは召喚ではなく送還の方だ。カイルたちが自動的にモーガンを召喚室から移動させてくれた。モーガンは扉を通ることなく、脱出できたのだ。


「その偽者が俺だというなら、ここにいる俺は誰だ?」


 両手を広げてみせる。


「魔物に喰われたのは大勢が目撃している。幻影の魔法でも使ったというのか? 言っておくが、そんな魔術は習得していない。お前も『記録簿』で確認しただろう」

「……」


 とうとうリネットは黙り込んだ。表情は変わらないが、ぐうの音も出ないというところだろう。モーガンの主張を崩さない限り、疑惑などすぐに消し飛ぶ。


「大変失礼いたしました。それではわたくしどもはこれにてお暇致します」


 深々と頭を下げると去っていった。

 その背中を見送ってから応接室に戻り、ソファに再び座り込む。

 我知らず哄笑が上がる。

 ざまあみろ。

 小生意気な娘をやり込めてやったという高揚感がモーガンを包んだ。『裁定魔術師(アービトレーター)』の侍女だかなんだか知らないが、しょせんはただの小娘だ。魔術師の己に敵う道理などあるものか。完璧に論破してやった。いっそ泣いて謝るまで責め立ててやればよかった、とわずかに悔いていると、強い眠気が襲ってきた。

 短時間に師匠を殺し、パズズの口の中に入り、『裁定魔術師(アービトレーター)』からの取り調べも受けた。緊張で疲れていたのだろう、と自覚した途端、あっという間に目の前が闇に包まれた。かろうじてソファに倒れ込むとそのまま甘い誘惑に身をゆだねた。


 鴉の鳴き声で目が覚めた。マンフレッドが戻って来たのかとあわてて立ち上がるが、どこにも姿は見えなかった。気が付けば窓の外には蜜柑色に染まり、宵闇が迫っていた。

 思っていたより眠っていたようだ。師匠がいなくなって気が抜けたのかもしれない。マンフレッドたちはどうしたのだろう。まだ屋敷の中をうろついているのか。それとも、もう帰ったのだろうか。

 様子を見に行こうとしたところで、再度ノックの音が聞こえた。

 返事をするより早く、息を切らせながらカイルが飛び込んできた。


「来てくれ、モーガン。師匠が見つかった」


 一瞬、言葉の意味を測りかねた。呆然とするモーガンに、カイルは急かすように言った。


「早く来てくれ。『第三召喚室』で師匠の遺体が見つかったんだ」