あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-

第二幕『召喚師』の不在証明 ⑧

 言われるままカイルに地下の『第三召喚室』へと連れてこられる。

 モーガンは世界が傾くのを感じた。パズズを召喚した部屋ではないか。

 まさか、何故露見したのだ。疑念や当惑が頭から離れない。カイルに連れられて、扉を通り、奥の部屋に入る。部屋にはほかにも弟弟子たちがいた。皆一様に顔を手で覆い、顔をしかめている。中には部屋の隅で嘔吐している者もいた。

 五体バラバラの死体が、血の海の中に転がっている。ただし頭はない。


「どうやら、クラーク殿の亡骸で間違いないようだな」


 マンフレッドがとぼけた様子で言った。

 まさか、と言いかけて口をつぐむ。

 クラークの遺体は、パズズの腹の中だ。実験中の事故に見せかけるためにわざわざ仕組んだというのに。死体が見つかっては意味がない。詳しく調べられたら策が露見する。


「召喚されたパズズとやらは、ここでクラーク殿を殺して頭だけ口にあめ玉のように含んでいたというわけか。つまり、召喚された時点で既にこの世界に来ていたということになるな」


 マンフレッドは朗々と続ける。


「わざわざ召喚済みの個体を別の部屋に呼び寄せる意味もあるまい。ならば召喚したのが本当にクラーク殿だったのかも怪しいな」


 同じ召喚術でも『臨召獣』と『契約獣』とでは呪文も異なる。実験の予定は前者であり、モーガンが実際に唱えたのは後者だ。

 額から流れる汗をぬぐいながら落ち着け、と心の中で必死に言い聞かせる。

 ただの推測だ。証拠は何もない。パズズは異界へと戻した。証拠など出て来るはずがない。

 正確な数は知らないが、種族というからには、一体や二体ではあるまい。異界からモーガンが召喚した個体をもう一度呼び出すなど、あり得ない。

 本当にそうなのだろうか? モーガンの頭に疑念が沸き起こる。

 桁外れの魔力量にものを言わせて、当たりが出るまでクジを引き続ける。相手はレポフスキー卿……『裁定魔術師(アービトレーター)』だ。そんな芸当が出来ないと、何故言い切れる? 


「と、とにかく、師匠が見つかったのだ。御遺体を埋葬しようではないか」


 疑念をそらすべくとぼけた声音で言ってみたが、逆効果だった。


「弔いが先ではないのか?」

「そ、そうだ。弔いが先だったな」


 マンフレッドに指摘され、さらに冷汗をかく羽目になった。


「も、もう調査はよろしかろう。我々は亡骸を引き取らせていただく」


 返事を聞く前に首のないバラバラ死体に近づく。

 血の海に足をかけた瞬間、クラークの死体と血の海は跡形もなく消え去った。


「え?」


 目の前の光景が信じられず、立ち尽くすモーガンの背後から黒い影が差し込む。

 威圧感に振り返ると、巨大な悪魔がそこにいた。

 パズズだ。


「な、何故……」


 自然発生する魔物ではない。


「誰だ、誰が呼び出した?」


 声に出ししてからはっと気づいた。この場にいる魔術師で、モーガン以外にパズズを召喚できるのは、一羽しかいない。


「なんのマネだ! レポフスキー卿」

「はて、何のことかな」


 白々しく言ってのける。魂胆は見えている。先程の死体も幻術であろう。動揺を誘い、犯人(モーガン)にボロを出させるつもりなのだ。


「とぼけるな! いいからこの幻を消して……」

「それはまやかしではない」

「え?」


 そこでようやく、獣臭い悪臭に気づいた。

 これは、幻術ではない。


「ならば、こやつは……」

「気をつけた方がいい」


 マンフレッドの忠告は上っ面だけで、同情や心配など欠片もこもっていなかった。


「そやつは今し方、人間一人を平らげたばかりだ」

「え?」


 声を上げた瞬間、パズズが身を屈め、モーガンの胴体を両手で包み込むようにつかんだ。抵抗する暇もなかった。そのまま立ち上がり、顔の前まで持ち上げる。

 モーガンの体は宙ぶらりんになる。大地を失った足が力なく揺れる。パズズが目の前で大きな口を開ける。まるで一口で食い殺そうとするかのように。


「おい、よせ! 止めろ!」


 手を放せば身長の数倍の高さから真っ逆さまだが、食われるよりマシだ。身をよじって逃れようとするが、杖はない。あったとしても並の魔術はパズズに通用しない。


「どういうつもりだ、レポフスキー卿。拷問か? 脅迫か?」

「すぐに分かる」


 パズズの目が鈍く輝く。食欲という強い欲望に満ちた視線に射貫かれ、モーガンは密やかな声を上げる。大声を出せば、刺激して喰われてしまう。生存という根源的な欲望は恐怖を生み、巨大な獣から逃げ惑う兎のように身をすくめ、震える。頭の中に白い闇が広がり、思考停止しそうになる。


「おい、誰か。レポフスキー卿を止めてくれ」


 弟弟子たちに助けを願うが、レポフスキー卿を恐れているのか、カイルをはじめ誰も動こうとはしない。役立たずの恩知らずどもめ。

 いっそ逃げ出したかった。何もかも自白してしまいたかった。思いとどまっていたのは、魔術師として長年鍛え上げられた理性であり、忍耐力だった。

 いかに『裁定魔術師(アービトレーター)』といえど、何の証拠もなしに処刑はできない。法の番人である彼らもまた、法に縛られている。不必要な拷問や判決が下る前の処刑は禁じられているはずだ。ここでモーガンを殺せば、次に『裁定魔術師(アービトレーター)』に裁かれるのは、レポフスキー卿自身だ。これは我慢比べだ。証拠がないから精神的に追い詰めて、自白を引き出そうとしているに違いない。

 耐えろ、と己に言い聞かせる。レポフスキー卿も追い詰められているのだ。ここを耐え忍べば勝てるはずだ。ハッタリだ。実際に喰わせるなどあり得ない。あり得ないと知りつつも、体の震えは止まらない。助けてくれ、

 パズズは口から大量の涎を垂らし、足下まで滴らせている。

 巨大な口を開ける。腐った臭いに包まれ、目が痛くなる。目を閉じる。


「大変申し訳ございません」


 不意に女の声がした。


「少し、肩をお貸しいただけますか?」

「はい?」


 肩を誰かにつかまれる。存外に柔らかい。恐る恐る目を開ける。

 翡翠色の瞳と目が合う。淡く光った金髪の女が口の中から現れた。


「失礼いたします」


 リネットは四つん這いの体勢からモーガンの肩に手を載せ、一気に脱出する。リネットの体はモーガンを飛び越え、足から落下していく。下は硬い石の床だ。加速しながら墜落する寸前、リネットの体は空中で止まり、それから落ち葉のようにゆっくりと着地した。

 着地すると同時に淡い光は消えた。

 マンフレッドの魔術だろう。汚れ一つついていない。


「なるほど、このようにして移動されたのですね」


 呆然となるモーガンの体がぐらりと揺れた。パズズがゆっくりと片膝を付き、床に降ろす。パズズの姿がゆっくりと虚空に溶けて消えていく。元の世界へと戻されたのだ。

 リネットは黒い革製の鞄を開け、中から黄金の天秤を取り出した。


「あなた様の魔術トリックはすでに解けております」


 モーガンはうめいた。あれが世に聞く『ユースティティアの天秤』か。レポフスキー卿を『裁定魔術師(アービトレーター)』たらしめる最強の魔道具だ。有罪か無罪かを判断し、刑を実行する。有罪に傾けば、モーガンの人生は終わる。


「これより審判を始めます」


 黒衣の侍女が開廷を告げた。


「犯人は、あなた様です」


 リネットが告発した途端、金色の天秤が風もないのに左右に動き出した。あれが止まったとき、モーガンの運命が決まる。


「どうしても、俺を犯人に仕立て上げたいようだな」


 自首するつもりはない。どういう訳か、リネットとかいう小娘に疑惑を持たれている。ならば自らの手で追及を逃れるしかない。


「パズズを召喚できるから犯人だというのなら、レポフスキー卿も疑わしいな」

「事件の時にパズズを召喚されたのは、あなた様です」


 そこでリネットは、今しがたまでパズズのいた空間を振り返る。


「召喚された魔物の体内に入り、魔物ごと送還される。わたくしも実際に試してみるまで気が気ではございませんでした。魔物を知り尽くしたモーガン様ならではの策でしょう」