あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-

第二幕『召喚師』の不在証明 ⑨

 リネットはさっそく本陣に切り込む。反論も許さず、モーガンを一気に潰すつもりのようだ。


「あなた様はクラーク様を呼び出し、殺害した。その後パズズを召喚し、クラーク様の亡骸を食させます」


 リネットは朗々と語る。


「その後、クラーク様に扮して実験室に入り、召喚術を唱えます。もちろん、呼び出すのは『第三召喚室』に待機させておいたパズズです。そしてご自身をわざと口の中に入れさせる。そうすれば、クラーク様はほかのお弟子の方々の目の前で死んだことになり、モーガン様は容疑から外されます」


 あっさりとトリックを見抜かれ、モーガンは額から汗が次々と流れる。落ち着け。証拠はない。まだ挽回の余地はある。


「しかしここで、パズズの口からクラーク様の頭部が落ちてしまった」

「それも計画のうちか?」

「メリットが少ない上にクラーク様の頭部を調べられたら本当の死亡時刻が露見しかねません。偶然か事故ではないかと愚考いたします」


 当たり前だ。師匠の首を調べられたら、己が犯人だと断定されかねない。


「仮に計画のうちだとしてもその後の流れは変わりません、問題は口から頭部が落ちた後の対処です」


 口から落ちたクラークの首をもう一度食すこともなく、焼いた上に踏みつけて粉々にした。


「明らかに証拠隠滅を図っています。パズズが自らの意思で証拠を消す理由はございません。理由があるのは、人間だけです」

「さっきも言っていたな」


 モーガンは余裕があるようなそぶりで肩をすくめる。実際は心臓が破裂しそうだが。


「その後お弟子の方々によってパズズは送還されました。おうかがいしたところ仕掛けられた術は、召喚した魔物を元居た場所へと送り還すものだそうですね。それを利用すれば扉を通らずとも部屋から脱出も可能です。ありがとうございます」


 急に礼を言われて戸惑っていると、リネットが続けた。


「あなた様のお陰で、論点が整理されました。結局のところ問題は、いかにして生きたまま『第一実験室』から脱出するか、です。それさえ解ければあとは簡単でした」


 論破してやった件の意趣返しか、と心の中で舌打ちする。あの時返事をしなかったのは、トリックの一端に気づいていたからだろう。モーガンは喋り過ぎたのだ。得意気になって、ヒントを与えてしまった。頭から血の気が引いていくのを感じる。まずい。このままでは有罪だ。何か手を打たねば。


「な、何か忘れてはおらぬか?」


 汗をかきながら必死に言葉をつむぐ。


「お前は、『第一召喚室』に入ったのは、師匠に化けた俺だという前提で話している。そうだな?」

「はい」

「本当にそう言い切れるのか? 本物の師匠だった可能性はないのか? 俺と師匠は似ていない。背格好も違う。いや、変装していたと言いたいのだろう。確かにそうかもしれない。けれど、周囲は俺の弟弟子たちだ。俺のことも師匠のこともよく知っている。ならばちょっとしたしぐさや動きで違和感を持たれるかもしれない。もちろん、『変身』の魔術など使えないのは確認したはずだ」


 詭弁でも屁理屈でも構うものか。言い逃れるにはとにかく反論し続けるしかない。引き延ばしていれば反撃の糸口も見つかるはずだ。

 リネットは冷ややかに言った。


「それもあなた様の計画の一部です」

「は?」

「事件の前、カイル様にこうおっしゃったそうですね。『師匠はまた機嫌が悪い。礼儀にも気を付けろ』と」

「それがどうした」


 平静を装いながらも心臓の鼓動がまた一段と早くなる。


「クラーク様は大変記気難しい方だったと聞き及んでおります。些細な失敗で罵倒され、理不尽ななことで打擲されて、弟子の皆様から大変恐れられていたと。特にあなた様は古株で何度も殴られていたそうですね。殺害動機もそのあたりが原因ではないかと」


 気難しいどころではない、と心の中で反論する。これ以上、暴君の元でこき使われ、人生を浪費したくなかった。


「そう言われれば、カイル様たちはますます恐れおののくでしょう。クラーク様のお顔を凝視するような不躾な真似はいたしかねるかと」


 ひたすら頭を下げ、嵐のようにやり過ごす。クラークの弟子として生きていくための処世術だ。違和感を覚えたとしても、叱責覚悟で問いかける無法者などいるはずがない。


「態度について注意しただけだ。ただのこじつけだ」

「それだけではございません」


 と、リネットは手帳を広げ、ページを繰る。


「今日はパズズより前の召喚実験でも問題が起こったそうですね。『火の巨人(イフリート)』を召喚するはずが、『霜妖精(ジャックフロスト)』の大群を呼び出してしまったと聞き及んでおります」


 そうだ、とカイルが同意する。


「あなた様は『召喚術の事故は二、三年に一度の割合』と仰いました。それが同じ日に同じ場所で立て続けに二度も起こった。偶然とは思えません」

「……何が言いたい?」

「トマス様というお弟子の方にお伺いしました。原因は呪文のミスだそうですね。単語のいくつかが入れ替わっていたと」


 魔術の系統にもよるが、呪文は古い言葉で唱えられる。今を生きる魔術師には馴染みが浅いため、ミスに気づきにくい。


「参考にされた魔術書を貸したのは、あなた様だと口をそろえて証言されました」


 リネットが手のひらを差し出す、上から分厚い本が落ちてきた。トマスに貸した、魔術書の写本だ。見上げればマンフレッドが旋回しながら『天秤』の方へ戻っていくのが見えた。


「旦那様に確認していただきました。やはり記述が間違っているそうです。ほかの本とも見比べましたが、あなた様の持つこの本だけが、逆の記述になっておりました」


 写本の筆跡はモーガン本人だ。調べればすぐに分かる。


「ただの書き間違いだ。弟弟子の足を引っ張ったという証拠にはなるかもしれないが、師匠殺しとは何の関係も……」

「ございます」


 リネットは断言した。


「事故の影響で部屋の中は冷え切っておりました。霜や雪は取り除かれたそうですが、実験開始時でもまだ真冬のような寒さだったとか。寒さに気を取られれば集中力も乱れ、多少の違和感も覚えにくくなります。それに……」


 そこでリネットはカイルに近づき、彼の着ていたローブのフードを上げた。


「皆様もフードを被るため、視界が狭くなります。この格好で頭を下げていれば、どなたが入室されたとしてもまずお顔は目に入りません。それに、あなた様ご自身も厚着をしていても不思議ではありません。多少体格が違っても服のせいと誤魔化せます」


 なにより、とリネットが続ける。


「一つでは偶然でも二つ重なれば、そこに意図があると見るべきでしょう。しかも、発端はどちらもあなた様です」


 目の前が真っ暗になる。頼みの綱まで無情にも断ち切られた。

 モーガンの命運は、風前の灯火だ。


「証拠はあるのか? それに動機は何だ? 何故私が敬愛する師匠を殺さねばならない」

「敬愛する方が事故で亡くなったとしたら」


 リネットはそこで言葉を区切った。


「ゴミ出しになど気が回らぬものです」


 リネットがポケットから白い布を取り出した。ハンカチ程度の大きさだが、端が黒く焦げている。モーガンにはそれが何かすぐに分かった。

 魔法陣の布だ。地下のゴミ捨て用の穴に放り込んだはずだ。何故ここに? まさか、あの穴の中を潜って探し当てたというのか?


「旦那様に魔術で取り出していただきました。黒い炭の中にこれだけが燃え残っていました」


 マンフレッドが不満そうにそっぽを向く。モーガンが眠っている間に想像以上に調べ回っていたらしい。


「地下室にはスライムがいましたが、あまり手を付けた様子はございませんでした。事件の時間帯に、『第三召喚室』を使われていたのはあなた様です。この証拠が『第三召喚室』のゴミ捨て場から出て来たということは、一番疑わしいのはあなた様かと」

「何故だ」


 呆然とつぶやいた。スライムの消化速度ならばもう溶かし尽くしていたはずなのに。


「スライムは何でも食べると思われていますが、そうではございません。食べられないものでもございます」

「何だ?」

「熱いものです」