あなた様の魔術【トリック】はすでに解けております -裁定魔術師レポフスキー卿とその侍女の事件簿-

第二幕『召喚師』の不在証明 ⑪

 己はパズズに食われたはずだ。背骨に歯が突き立てられ、真っ二つにされた。さらに手足から胴体に至るまで噛み砕かれて、飲み込まれたはずだ。

 なのに、なぜまだ生きているのか? 

 それとも己は死者として『死霊魔術(ネクロマンシー)』で蘇生されてしまったのだろうか?

 身動きしようにも体が全く動かない。首一つ動かせない。せいぜい瞬きと口を動かすだけだ。呪文を唱えようとしても魔術にはならない。 どうにか現状を確かめるすべはないか、と困惑しているところに、上から炎が降って来た。火の粉をまき散らして、床に落ちる。それを見てモーガンは息を呑む。炎には木の棒が付いており、その端を人間の手首がつかんでいた。手首は途中で切れている。間違いなく、人間の腕だ。パズズに食われたのだろう。松明ごと丸呑みとは、強欲なパズズらしい。

 炎のお陰で周囲がわずかに照らされる。壁は肉で構成されており、粘液で濡れている。パズズの胃の中だろう。まずい。早く脱出しなければ、胃酸で溶かされる。何とか脱出するすべはないものか、と首で地面を這おうとすると、上から丸いものが落ちてきた。

 驚くまいと腹をくくったつもりだったのに、空気の固まりのような声が口から湧き出た。

 クラーク・スペンスの頭だ。パズズによって溶かされた上に燃やされ、踏みつぶされたはずなのに、首から上には傷一つなく、肌は生前のような生々しい色艶を放っている。血走った目を見開き、何度もモーガンを射抜いてきた視線を向けている。

 何故、師匠の首が? 見たくはなかったが動かせない顔は、師匠の瞳に映る己の姿を見てしまった。

 そこでようやく気づいた。

 己の首から下が、とうに消え失せていることに。


「あれ?」


 間の抜けた声が出た。首から下がないのに、何故意識があるのか。何故呼吸が出来ているのか。何故、魔物の腹の中で苦しんでいるのか? 答えにたどり着くより早く、またも上から黒い塊が胃壁をつたって転がり落ちて来た。今度もまた、クラーク・スペンスの首だった。 モーガンは悲鳴を上げた。首が二つに増えたからではない。あの高慢で凶悪な眼が四つに増えるのが恐ろしかった。顔を背け、クラークの首を蹴とばし、どこかに逃げ出したかったが、胴体を持たないモーガンには何一つ敵わなかった。

 ひきつった笑い声が出た。

 ああそうか。己は既に死んでいるのか。これが、『ユーステイティスの天秤』の処刑というわけか。死してなお苦しみ続けろと。死すら解放ではないというのか。

 パズズの胃の中には次々とクラークの首が落ちて来た。二十を超えたところで数えるのをやめた。どの首もモーガンの方を向いていた。いずれも侮辱し、蔑み、愉悦に満ちた目でモーガンを見ている。おそらくは背後からも。頭上からも。胃壁の中からもクラークの目に見られていた。


「止めろ、俺を見るな! 見ないでくれ!」


 騒いでも懇願してもクラークの首は次々とパズズの胃に放り込まれ、モーガンを凝視し続けた。生きている頃と同じ瞳で。


 刑は執行された。もはやこの場に用はない。


「終わったな」


 マンフレッドは定位置である、リネットの頭の上に飛び乗る。手際のいいことに、既に帽子を被っている。


「お待ちください」


 カイルという弟子が目を白黒させている。


「モーガンがいきなり消えたのですが、あいつはどこに?」

「心配せずともよい」面倒くささを隠しもせずに言った。「刑は執行された」

『ユーステイティスの天秤』がどのような刑を下すかは、マンフレッド自身にも与り知らぬ。確実なのは、刑は完全に完璧に執行される。逃れるすべはない。


「それより、貴殿に頼みたいことがある」


 クラーク・スペンスとその弟子についてはまだ調査していない。何度か協力依頼を出したがすべて黙殺されていた。反対していたクラーク本人が死んだのだ。今なら可能なはずだ。


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