嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん幸せの背景は不幸

一章『再会と快哉』 ⑤

「僕はまーちゃんに命令しない。これはお願いだよ。まーちゃんの意志で、二人に食べさせてほしい。もちろん、お願いだから断ることも出来る」


 ぜんに満ちた台詞せりふに、言っている本人がへきえきしそうになった。こう言われて、マユが断るはずもないのに。自身の心根のみにくさは、寒気にあたいする。


「分かった、けど……。じゃあ、じゃあねみーくん。わたしのお願いも後で聞いてね」


 名案をひらめいたように、パッとがおもどる。もちろんお願いだから断ることも出来るのだけど、そこまで理めで感情をたたってどうするのだろうか。僕はうなずいた。


「よっしゃー! じゃ、待っててね!」


 潰れたパンを机にほうり、冷蔵庫を勢いよく開ける。僕はその光景を少しながめてから、パンを手に取ってキッチンを出た。

 リビングのソファに放り出したかばんから、けいたい電話を取り出す。アドレス帳から見慣れた電話番号へとかけ、通話ボタンを押した。待ち時間ほぼぜろで、さんが電話に出た。今日は夕食を友達と食べると伝える。叔母さんは好物のスルメをほおりながら受け答えしているのか、やたらくちゃくちゃとしやく音をさせながらりようかいし、早く帰ってくるようにと告げて電話を切った。

 携帯電話を鞄にもどして、ゆかしりを下ろす。

 そしてそのまま目を閉じて、そのマユとの過去を、思い返してみた。

 十秒ですべてが映像化され、観賞を終えた。

 最悪だけが生まれた。



 用事を済ませてから、和室のふすまを開けた。視線を意にかいさず部屋の中央へ上がり、でんとうけた。


「んー、初めまして、かな」


 教育番組の司会風ながおで第一印象の向上をはかろうとして、無理だとあきらめた。

 照らされた六じようの部屋には、しゆうただよっていた。鼻をふさぎたくなるほどの悪臭がねんまくげきする。二人がに入っていないためと、服をせんたくしていないこと。そして、すみに置かれたかんトイレの中身が、においの主たる原因と判断した。この臭いがれないように、襖を閉じる。平静をよそおうのに、労力を相当きそうだ。

 兄の方は僕をおびえた目で見上げ、妹の方はり目をさらに険しくしてにらみ付けてきた。共通点は、足と柱にじようを課せられ身動きが取れないことだ。そのかせが付いた足首と柱には、外そうと引っ張ったりしたのか、さいな傷とささくれが見受けられた。

 二人は息を飲み、口は漢数字の一をえがいている。そんな子供達の前でこしを下ろし、正座して背筋をばす。初対面の相手には、ついれいを正してしまう。兄の方が、少し面食らっていた。


いけこう君と、池田あんちゃんだね」


 名前を呼ぶ際、顔をながめる。兄の浩太君は、きようを重力として感じているのか、何度もがくがくと首をり、こうていの意を表してくれた。一方で妹の杏子ちゃんは、視線をかべらし、会話をきよぜつするような態度だった。まあ、当然だよな。


「僕のことはお兄さんと呼んでくれ。もちろんお兄ちゃんでもいいけど」

「……はあ」


 口の中でくぐもりながらも、兄の方がようやく声を聞かせてくれた。


「あ、名前は秘密ということで」


 自分の地味さにテコ入れを課すべく、なぞを演出してみた。二人からのいぶかしさに満ちた熱い視線は何わぬ顔で無視して、パンを相手の目線にかかげた。


「おなかは空いてる?」

「え、あ、は、はいいえ」


 どもりながら答えようとする。実に理解しづらい。見かねたように、杏子ちゃんが壁を向いたまま口を開いた。


「当たり前でしょ。朝から何にも食べてないんだから。早くそれ、よこしなさいよ」


 ずいぶんとがった声調だった。それからそのままの状態で、手をばす。その小さな手に、パンをせた。池のこいに食べさせるかのように千切れ、見くずれしたパンをさらあんちゃんは分解する。中身を検分している様子だけど、別にクリームもチョコも毒物も入ってはいない。


「今日は、この後にも夕食があるけどね」


 杏子ちゃんのかいぼうの手が止まり、目が丸くなった。


「あの、どういうこと、ですか?」


 こう君がたずねてきた。表情に期待はうすく、不安が上乗せされていた。


「君達をさらってきたおねえさんが今、ご飯を作ってる。何を作るかは知らないけどね」

「作る? ご飯を? それに毒でも入れてるの? それともゴキブリでも食べさせる気?」


 杏子ちゃんが険しい顔でっかかってきた。やはり、さきほどの行いは異物の混入の有無をかくにんしていたらしい。その用心深さにはいささかの好感を覚える。少しいじめたくなるぐらいに。

 浩太君はそんな妹の態度が僕のげんそこねないか心配らしく、必死に顔色をうかがおうとしている。


「毒に、ゴキブリね……。じゃあ杏子ちゃん、」「名前で呼ばないで」

「池田さん、もしどちらかが入っている食事を出されたら、君は食べる?」

「食べるわけないじゃない」

「食べなければ殺すと言われたら?」

「そんなもの食べたら、どっちにしても死ぬじゃない」


 ちがうよ、と首を振った。


「食べないと、君のお兄さんが殺されるんだ」


 浩太君のかたが、大げさに取れるほどね上がった。なみだにもなっている。杏子ちゃんはそんな兄に、けいべつするような視線を横目で投射した。


「自分のことは自分で決めればいいけどね、そのせんたくが周囲にあたえるえいきようはちゃんと考えないといけない。そしてその責任も取らないといけないんだ」


 例えば、僕にとっての彼女のこと。

 そのマユに対しての、責任。

 杏子ちゃんは押しだまり、にらんでいた視線はうつむいてしまった。その代わりに、浩太君が僕と杏子ちゃんの顔をこうのぞいてから、やがて口を開いた。


「あの、ぼくが食べます、から」

「ん?」

「ぼくが食べますから、その、あんずには、そういうこと、言ったり、しないでください」


 激しいきつおん混じりながらも、言葉に意志が通っていた。真っぐに僕へびるように。

 なんというか、兄貴だった。

 おどろきながらも、杏子ちゃんは兄のうですがる。わずかにひとみうるませていた。


「あんずを、いじめないでください」

「…………………………」


 少ないながらもたくわえられていた良心が自傷こうに走った。もうがりがりときむしった。

 子供おそるべし。


「あのさ、僕を人の尊厳と命をふざけたたくもてあそぶクズろうと思わないでほしいのだけど。あくまで、もし、例えばの問いかけだから。ね、マジにならないでくださいほんと」


 平身低頭して謝罪した。


「あ、す、すいません」


 こう君もへこへこと頭を下げる。あんちゃんは当然下げなかった。


「そんなこと聞く方が悪いのよ」


 杏子ちゃんが押し殺した声でつぶやく。聞くよりじつせんする方が悪いと思うけど、とは言わなかった。この会話を続行する気はない。実りがないとは言わないけど、実る前に僕が良心のしやくで死ぬ。

 それから二人はほどえていたらしく、杏子ちゃんの両手で検分(僕からすればそんかい)した粉々のパンを目分量で分割し、もくもくしやくし始めた。会話がなくとも、たがいに顔を向け合う食事の風景は、学校以外ではお目にかかったことのない、尊いモノに思えた。

 姿勢をくずし、胡座あぐらをかく。ひざひじき、二人を観賞してみた。

 兄のいけ浩太は小学四年生。あか色のはだに、線の細い体つき。まえがみけんにまでかるほどの長さで、キタロウみたいになっている。二つ年上の兄ではあるが、ずいぶんと妹の顔色を気にしている。どうもそれはおそれではなく、過保護な気のつかい方の表れらしい。合格。

 妹の池田杏子は小学二年生。この子も、肌の垢が目に付く。かたに掛かる程度の髪はくせなのか、派手にねている。口調は大人びて、負けん気と意地のぎようしゆくされたような性格と見受けた。

 マユがさらった二人は、新聞やニュースで見た写真よりやつれて、けれど目の下のくまうすい気がした。


「ひょっと、にゃに?」