道路との間には緑色のネットがかかって幼児が飛び出せないようにしてあるが、この公園モドキで子供が遊び回っている姿は一度も見かけたことがない。橋の下を抜けて少し歩いた先に空への遮りなどない真っ当な公園がある以上、こちらに日の当たる瞬間は永遠に訪れないと言っていいだろう。そんな暗がりの中、俺と成実はブランコに座り込んでいた。隣には茶色のペンキが塗られたベンチもあるが、風通しの悪さからか埃が積もっていたので利用しなかった。
「………………………………………」
右手の指を目の前でグー、パーと開閉する。思わせぶりにやって成実の反応を横目で窺ったが見向きもしていない。こいつには中学生という年齢の素質がないのだろう、勿体ないやつだ。
俺と成実は中学三年生になる。同級生と比べて背は高い方に属しているが、撫で肩なことが最近は気になっている。鏡の前に立つとひょう長く、頼りなく見えることが不満だった。日陰に潜んでいても汗の浮かぶ肌は浅黒く日焼けしてゴボウみたいだ。少し伸び気味の髪は栗色で、地毛が黒い同級生たちと比べて目立つのが密かな自慢だった。
もっとも、クラスに数人いる不良生徒の中には派手な金髪も存在して、それと比べてしまうと髪など無視されて、撫で肩という特徴の方に注視される傾向があった。大いに不満だが不良相手に喧嘩して勝てるはずもないので、今のところは大人しく笑われている。
そう、今のところは。
「ククク」
内心でその部分を強調すると自然、笑いがこぼれる。成実に露骨に気味悪がられたが、それは虫に対する嫌悪感のようなものだろう。人間は大人になるにつれて虫を恐れる傾向がある。そう、あの小さな体軀で空を飛ぶこともあり得る生き物に、本能的に引け目を感じるのだ。
よって、俺の秘めたる能力に対して成実が一歩引いてしまうのは当然であった。
「だよな」
「うん、確かにそれをおごそかに語るあんたの真顔は怖い」
こいつは素直じゃない。そういうことにしておき、横を向いてえへえへと笑った。
成実は同級生で、家も近い。だが昔から付き合いがあったわけではなく、中学生になって初めて顔を合わせた。藍色に近い、青みかかった髪と日焼けを避けているように白い肌が嚙み合って、影の下では亡霊のような存在感を放っている。顔は凹凸が目立たずのっぺりとしているし、唇の肉つきも悪い。つまりどこもかしこも薄っぺらな平面の女なのである、胸部含む。
「大体さぁ、悩み相談するだけなのになして、外に出ないとダメなわけ?」
成実が本から目を離さないで愚痴る。ブランコの古い鎖がきぃきぃと音を鳴らした。
「家にいたくないからだ、知っているだろう」
横目で成実を見る。成実はその視線に一瞥で応えた後、溜息を吐く。
「じゃあ、あたしん家でいいじゃん。暑いし」
「お前の家の場所など知らん」
女の家に遊びに行くなど、中学三年生の男子に気軽にできることではない。
「あーそうだったそうだった」
投げやりな調子で答えて、成実がわざとらしいほどの前屈みな姿勢を取る。近眼のように本へ顔を近づけて、背を丸めた成実は『話しかけるな』と態度で訴えていた。別にお前と話すことなどないと意地を張って口を噤んで、正面の道路と景色に目をやる。
自動車が一台走れば幅の余裕がなくなる細い道路の向かい側には、小さな川がある。誰も手を入れていない所為で雑草が生い茂り、新緑の刃が地面を一閃しているようだった。伸びたツルがガードレールの脚に絡んで、水気が足りていないのか葉が変色して枯れ出していた。
橋の下周辺に木々はないにもかかわらず、蟬はガシガシと騒々しい。街の方で聞ける蟬の声と種類が違うことに気づいて橋を見上げる。頭上を隙間なく覆う影の中に、蟬は潜んでいるのかも知れない。
ふと、動くものを見つける。壁に張りつき、四肢を気怠そうに動かす小さなヤモリに向けて、握り拳を掲げた。名前の影響か、爬虫類には言い知れない親しみを抱いてしまう。
ただし自分の名前は嫌いなのだが。『せきりゅうこ』という読み方で女に間違われたことが過去に数度、あったからだ。せきりゅうこって。腕が俺より倍ぐらい太そうじゃないか。
「つーか、なんであんたってそんな偉そうな口調なわけ?」
本を頭から齧るような姿勢を維持したまま、成実が話しかけてくる。二人で黙っていて、相手に喋りかけさせると勝ち誇りたい気分になる。そう、俺は勝つことが好きな人間だ。
物事は、ひいては人生にとって勝利はなにより大切だ。
勝ち続けなければいけない。自分の求める勝利を得なければ、生きている意味がない。
「おい無視するな答えろバカ」
成実が蟬の仲間入りでも果たしたようにうるさい。
未だ壁に張りつくヤモリの動向を目で追いながらそれに答えた。
「王様教育を受けたからな」
「それを言うなら英才教育」
「いや、王様だ。能力を磨くことと、王になることはまったく別だろ?」
自分でもなにを言っているかさっぱり分からないが、弾みで言ってしまったので発言をフォローしておく。成実は真摯に受け止める気などまったくなく、冷めた声で俺を評する。
「キャラ作りも大変だね」
「キャラじゃねーっつの」
俺と成実は特別、親しい間柄というわけではない。互いに対する好意も格別なものではなかった。偶然、不注意によってこの『能力』を知られたことをキッカケとして、友人付き合いが始まった。
「ふふふ、秘密を知られた以上はいつか始末してやる」
非情な宣言を口にすると、成実が本から顔を上げた。そして無防備なほど顔を俺に近づけて、目を覗き込んでくる。相手が成実と言ってもその振る舞いにはどきりとするものがあった。
「あんたのその能力でどうやんの?」
「………………………………………」
黙るしかなかった。
俺には人と違う能力がある。
その能力は並ぶ者なく、世界にたった一つのものかも知れない。
「しかし」
現実、備わっている力は微弱もいいところだった。ともすれば皆無と判断されてもやむなしの、淡すぎる特異。百メートルも離れれば、誰も気づかなくなる奇跡だ。
小規模な奇跡。或いは、中規模な種なし手品。
目を瞑る。力強く瞼を下ろして、一秒、二秒と閉じた口の中で数える。
そして勢いよく瞼を押し上げる。
なにかの始まりを告げるように、思わせぶりに。
「何度見ても一瞬だけ、おっ、って目を丸くしちゃう」
成実の感想に対して頰杖を突き、鼻を鳴らす。口調通り、まったく俺を恐れていない。
こんな能力に恐怖するはずがない。
「つーか顔と目の色が似合わなすぎ」
知ってるよ、と呟きながら常に携帯している手鏡で出来映えを確かめる。……ふむ、今日も絶好調だな。
最初は鳶色に設定していた俺の瞳が、能力によって青色に塗り変わっている。
当然ながらカラーコンタクトの類ではない。
眼球そのものを入れ替えたように自然に移り変わっている。次に緑色、黄色、橙色と目を瞑る度に眼球の色合いを変化させてみる。長々と見ていると成実の指摘通り、ちぐはぐさが気持ち悪いので鳶色に戻した。
「こんなもん、ギアスごっこにしか使えん」
「超羨ましいんですけど」
成実が食いついてきたので、鏡に映ったしかめ面の皺が更に深まった。
「週一でやっていたらさすがに飽きた」
指先で目を隠す。その指の覆いを取ると、眼球は赤紫色に染まっていた。
「こんな感じか?」
「左目だけ変えないとそれっぽくない」
「残念だが、そんな繊細な調整はできないみたいでな。……五十川石竜子が命じる、禁書の最新刊を貸せ」
「もっと声低くしないと。あんた声変わり遅いねー」
「うるさい」