せっかく注文に応えて真似したのに。こっちもちょっとその気になっていたのに。
眼球の変化は両眼で共有している。それが長年、研究してきた結果の一つだった。
そしてその独自の研究は、同時に絶望を発見することにもなった。
目の色を変える力。
そして、それだけの力。
種と仕掛けのない、人畜無害な奇術に過ぎない。
「ま、これは所詮第一段階に過ぎん。第二、第三の能力覚醒によって……」
口にしていくと段々自信がなくなって、噤んでしまう。展望がまったく想像つかない。
目からビームでも出すか? 美味いものを食べることが発動の条件になりそうだな。
「でも超能力者ってマジでいるもんなんだねー、すごいすごい」
成実の誠意の欠片もない褒め言葉に対し、敢えて逆風に立ち向かうように胸を張った。
「ま、お前が望むなら俺をストーンドラゴンチルドレンとでも呼んでくれ」
「……一応聞いてみるけど、なんで複数形?」
「そっちの方が、語感がいいからだ!」
「かっこよすぎるぜ」
「だろう?」
「すっごく得意げな顔でこっち見ないで。その顎の具合がムカツク」
感想とは裏腹に成実の態度は氷のスーツを纏っているように冷たい。
「略してSDC」
「なんか昔のアイドルグループみたい」
むぅ。けなされているわけではないが、的外れな評価である。
「目玉を変えるやつには能力名とかあるの? ストチャ以外で」
「勝手に訳の分からん略し方をするな。能力の名前ならあるさ、当然」
「なに?」
「リペイント」
学校の英語の授業ではまだ習っていない単語を口にする。
リペイント。
塗り替える、という意味だ。俺の能力には似合いだろう。
成実は「ふぅん」とめぼしい反応はない。すぐに話題を移してしまう。
「でも『神様』もいるわけだし、そんなに珍しくないのかな、ひょっとして」
成実の他意のない発言に、思わず目つきが険しくなる。『神様』という表現がその存在と無縁であるはずの成実にまで浸透していることに、苦々しいものを禁じ得ない。
この世界には現在、誰にでも見える『神様』が一人、君臨していた。
あの憎々しい顔を思い返すことを拒否し、ブランコから立ち上がる。
そして成実を手招きするように誘う。
「昼飯を奢ってやろう、ついてこい」
「だから、とにかく偉そうだなあんた」
そう唇を尖らせながらも、奢ってやるという言葉に釣られたように成実の動きは速い。やたら目が大きく可愛らしいキャラクターの描かれた栞を挟んだ後に本を閉じて、ブランコから腰を上げる。成実が離れたことによる僅かな運動エネルギーで、ブランコがきぃきぃと揺れた。
蟬の鳴き声こそが影そのものであるように音に包まれた、橋の下から二人で離れる。
日の下に出ると、目の奥が乾きを訴えるように強く痛んだ。
五十川石竜子はずっと信じていた。自分の力が、たかがこれっぽっちでは終わらないと。
「これはきっと呼び水に違いない。或いは予兆だ。俺の内側に眠る才能、世界を塗り替えるほどの力は待っている、噴火を待ち侘びているのだ! いやむしろ俺の方が待ち疲れた!」
「ずずー」
憤りに対する答えは烏龍茶だった。成実がカップに入った烏龍茶をストローで啜る音だ。涼しい顔で喉を潤し、ポテトを摘んでいる。その無反応ぶりに落胆しながら腰を下ろす。
座るとその位置に丁度、冷房の風が肩に降りかかる。身震いして、思わず温度の設定をしようとリモコンを探してしまう。当然、客の手元にあるはずがない。
その様子を眺めていた成実が笑っていることに気づいて、バツ悪くも取り繕う。
「寒いのは苦手なんだ」
「名前通りじゃん、トカゲちゃん」
成実は楽しそうに、小刻みに肩を揺すった。
駅前のモスバーガーは子供連れが多くの席を占めていた。父親の姿はないから、夏休み中の子供と共に、母親が昼食を取っているようだ。俺と成実のように、学生風の組み合わせも散見されたが総じて店内は騒々しい。平日のファミレスより子供は賑やかで落ち着かない。
その中でもっとも声を張り上げている行儀の悪い男はトレイに広げたポテトを一本摘んだ後に、対面の成実に向かって愚痴る。髪に指を通し、頭を抱えるようにしながら、
「その名前がやたら漢字ばかりで格好良いんだぞ、覚醒しなければ詐欺じゃないか」
「どんな基準ですかー」
歌うような調子でおどけて、それから成実が目を覗き込んでくる。俺は咄嗟に指で目を覆い隠し、その奥で眼球の色を塗り替える。変化の瞬間、目玉にはなんの前触れもない。温度変化も痛覚も無縁で、本当に変化しているのか不安になることもある。
「そういう文句は名づけた親に言いなよ」
「あいつらとは話したくない」
暗記した公式でも思い出すように、否定の言葉はスラスラと口からこぼれた。それから目元を隠していた指を離すと、成実がワッと短い驚きの声をあげた。今、俺の瞳は何色なのだろう。
憎悪の赤か。
それとも、悲哀の青か。
「いや正確に言おう。話にならん」
鼻を鳴らして背もたれに寄りかかる。暫し真っ白な天井を眺めて、冷房に唇を濡らした。
家族との関係は、この能力の生い立ちとも関係している。
苦渋を味わいながら、ほんの少しだけ過去を思い返し。
そして気づくとトレイの上から、ポテトがほとんど食べ尽くされていた。
「おい、半々にする約束だったはずだが」
「ふはははは、あたしも話にならん一員だから勝手に食べたのだー」
棒読みで悪びれない成実は残りのポテトも軽快に口に運んでしまう。
「……まぁ、いいが。細かいことに固執するような男ではないからな、俺は」
「右手震えてるよ」
「昂ぶりが収まらんのだ。何者かのオーラでも感じている云々のアレだよ、まぁ多分」
両手をテーブルの下に隠すように垂れ下げながら、成実が食べ終えるのを待った。そうして烏龍茶を啜り終えるのを見届けてから、口を開く。
「次はどこへ行く?」
「もう帰るよ、昼寝したいから」
欠伸混じりに成実が答える。俺は背を丸めて毒づいた。
「薄情なやつめ、腹いっぱいになったらお役ご免か」
内容とは裏腹に口調は軽いものだ。成実もそれを受けて、冷めた声で指摘する。
「単に家に帰りたくないだけでしょ、あんた」
無視して席を立ち、店を出た。図星だったからだ。
「世界を変える人にしてはちっさい悩みだよねー」
「うるさい」
俺が家庭事情を包み隠さず明かしているのは、同級生では成実だけだ。話すべきではなかった、と後悔する面もあるが一方で、愚痴をこぼせる相手に救われてもいることを自覚していた。しかしそれを面と向かって、感謝の意として告げることはできない。当然だろう。
素直な人間になってしまっては、人を騙すことはできない。
隠しようがない。
俺の能力の底というものを、誤解させることができなくなる。
店の外に出ると途端、産毛が焦げるような厳しい光に全面を晒すことになる。瞼は光がのしかかったように重く、目を開けていることも辛くなる日差しだ。その光と熱をかいくぐるように手を宙に振って歩き出す。光の中を泳ぐイメージが頭をよぎり、その幻想に浸ることに確かな快楽を見出していたが、正面の歩道の信号待ちに引っかかり、すぐ立ち止まってしまった。
そこで車道を挟んだ向かい側の歩道に目がゆく。他の人と同様に光が顔に当たり、目をしかめながら信号待ちする二人連れに見覚えがあった。うげ、と歪む俺の顔には歓迎と反対のものが浮かんでいるだろう。
「ありゃあ、不良と不良娘じゃないか」
「お、ほんとだ。早速耳と唇にピアス開通しちゃってますねー。夏しちゃってるねー」