トカゲの王I ―SDC、覚醒―

プロローグ1『トカゲと鴨のゲシュタルト』 ⑥

 少女の身体からだを丸ごと包めそうな巨大な翼の節目がいなびかりごとく鮮明に線をえがき、間に波のように光が走る。走るたび、光が空気をふるわせる。翼の端から粒子を放出し続け、その雪よりまぶしい輝きがテレビ画面をおおうように散布される。だれもが息をむほど、神秘で世界を染める。

 そうして少女は一層、こうごうしさを自ら演出するのだ。

 翼を背から生やす女こそ、この世界で多くの人間に『神』と認められた存在。

 おれが明確に拒絶の意を示す、『敵』だった。


「カリスマ宗教家って、宗教やる人は大体、カリスマあるでしょ」


 隣に立ったなるがぼやく。無言ながら、まったくだ下らないと内心で同意する。

 なんでこんなやつに。

 しかしそのカリスマ宗教家なる者がこの世界で多くの人心をつかみ、俺の両親を宗教狂いに仕立てて五十川いかがわ家のへいおんじゆうりんしていることは事実だった。

 ひとくせありそうな微笑ほほえみを浮かべる少女を、血だらけのままににらみつける。

 右の握りこぶしには降りかかった血液以上に、うつけつによる赤みが差していた。

 テレビの中でゆうゆうしやべる少女はたとえ刃物で突き刺されても死なない。

 ながめているだけで誰しもにそう、ばくぜんと思わせてしまう。

 世のことわりから距離を置いているような、そんな超然とした雰囲気をぞうに笑顔でばらまく。

 薄い光のベール越しに、外界と接しているような女。

 さらけ出されているこうよくが、少女のイメージを神格化させている。そう、少女はその翼だけで人間の頂点に上り詰めた。底の知れない能力を『力』として、しようし続けている。

 ある種の超能力を身に宿す女。

 自分もまた、同じ条件にあるはずなのに。

 いきどおりは少女が言葉を発する度に、際限なく高まっていく。

 やがて演説を終えた少女がテレビ画面から消えて、暗黒の中に俺の顔が映る。

 な設定のままにしてあるひとみは、画面の黒と混ざってにごった。

 目をつぶり、開いた先には銀色の瞳。次いで金。むらさき、赤色。

 くそったれ。

 目もとを手のひらで覆い、くちびるむ。


「こんな力じゃなくて、」


 身近な世界を塗り替える力が欲しい。

 それだけは演技と冗談の及ばない、真実の切望だった。



 俺が自分の眼球の色を変えられることに気づいたのは、八歳の春休みだった。

 鏡の前を通りすぎるたび、自分の顔の違和感にふと気づいた。それまで注意深くのぞいたこともなかった自分の目玉が、光の当たる角度によって色を変える宝石のように様々な変化を引き起こしていた。母が出かけている間に化粧台の鏡の前に座り込み、恐らく初めてしんに自分と向き合ってみた。おれの『能力』を映すその鏡に、目はくぎ付けとなった。

 見慣れていたはずのひとみが、新鮮な薄いレモンの色に染まっている。猫の黄色い瞳ともまた異なる色彩は、幼い顔立ちと調和が取れていない。眼球だけが浮き上がっているようだった。ジッとながめていると気味が悪くなってくる。未開の土地の動物に観察されている気分だった。

 とつに別の色を頭の中で念じる。絵の具のチューブを未使用のパレットにひり出すような感覚で広がるその色は眼球にまで伝染して、あでやかな緑色に移り変わる。そのいつしゆんの切り替えに、テレビの動物番組でたイカを思い出す。外敵から身を守るために体色を瞬時に保護色に変えるイカと同じ能力が、自分の目に備わっているのではないだろうか。そんなことを想像したのだ。

 最初はこの現象を面白がって数回、色を切り替えてみた。それにきると興味の対象は次の『力』に移った。創作物のキャラクターのように目の色が変化させられる自分。そんな人間には、ほかにもっと大きな力があるのではないか。そう期待して、俺は珍妙なポーズを取った。

 右手を前に突き出して、力を込める。足もとは踏ん張り、気合いを一枚、二枚と手のひらに重ねるイメージをげんする。そのまま室内で固まり続けること数分、汗だくになった俺はひざを突いて荒い息を吐いていた。無論、手のひらからエネルギー波が発射された疲れではない。

 非常に残念なことに、期待するような大がかりな力は発現しなかった。幻想を打ち砕く力もなく、目の前の鏡を破壊するなぞのエネルギーが放出されることもない。その後も目の色を幾通りにも変え、様々なこと、例えば全力で駆ける、かべる、飛びねると試したが一切、今までの自分と変わりなかった。

 そして数日間の検証の末、俺は自分の能力の本質を悟った。

 たったこれだけなのだと。

 正確にはもう一つ、副産物のような現象が確認されたものの、それが心を満たすことはなかった。むしろその『顔』を眺めることがダメ押しになったと言える。

 確かに、周囲には目の色を変えられる人間などいない。だが当時の俺からすれば自分では及びもつかないほど速く走れる同級生や、書道の授業でお手本以上に美しく字を書く女子の方が、よっぽど超能力じみていた。目の色を変えるという結果では、自分以外、なにも変わらない。

 この結果を認められず、修行という奇行に人生の大半を費やすようになってしまったことはまた別の話なのでさておくとして。

 さらに追い打ちをかけたのは、自分の眼球の色が変化するという性質を明かしたことで、両親が気味悪がるようになったことだ。元々に信心深い性格だった両親は我が子を『悪魔の子』と一方的になげき、泣き叫んだ。

 じゃあお前らは悪魔なのか。そう問えるのは七年後のおれであり、八歳の小学生にはただ、両親に嫌われることがしようげき的だった。それまで仲は良好だったから余計に、だ。

 それまで、小学校の同級生に自慢半分、面白半分で能力を見せびらかしていたが、以降は一切、自分から明かすことはしないと誓った。鹿しかがわなるに関しては偶然、見られてしまったので例外としている。まぁ、あいつはうわさばなしを広めるような性格でもないので大丈夫だろう。

 かつての同級生も俺の目のことなど、とっくに忘れてしまっているはず。多分。

 でも印象的なことは忘れにくいかも知れない。たとえば俺にとってのがもとか。

 あいつの裸、というかしりは今でも忘れようがない。そして思い出すたび、赤面して顔を押さえつけたくなる。その後は次々に巣鴨とのやり取りを思い返して、しゆうしんうずくまりたくなる。

 さて話を戻すと、両親に拒絶された後、俺はあわてて目の色を戻そうとした。しかし、いくら自分の顔をながめ続けても、どうしても、元々の目を思い出すことはできなかった。

 自分はどんなひとみを持って生まれて、生活してきたのか。

 元の自分は、生活と同時にそのり方を失った。

 アルバムで確かめるという方法はあったが、拒否した。意地の都合だ。

 いつか自力で思い出してみせる。自力で、過去を取り戻してみせる。

 そして取り戻すと決意したものに数年後、自分の家族も含まれることになった。


「……しかし」


 腕を前へ突き出したまま、当時より七年の歳月が経過した俺が首をかしげる。

 一体、能力修行とはなにをすればいいのだ?

 気合いを入れてはみるものの、変化のきざしがどんな形で訪れるのか見当もつかない。俺がかつて三十分で書いた世界改変の計画書いわく、『五年後、世界最強になる』らしい。確認してからポケットにしまい、さて、どうやってなろうかなと頭を悩ませることになる。

 夜もけてきたころ、廃ビルの四階に一人もっていた。空調もなく、ひどく暑い。

 はいされた雑居ビルは駅の裏手にある。帰宅する会社員でほんの少しにぎわっている田舎いなかの駅の光も届かない、夜の一部だ。かつては大通りとして賑わい、市街の入り口として機能していた場所も時代のなみに流されて、ざんがいを残すばかりとなっていた。