少女の身体を丸ごと包めそうな巨大な翼の節目が稲光の如く鮮明に線を描き、間に波のように光が走る。走る度、光が空気を震わせる。翼の端から粒子を放出し続け、その雪より眩しい輝きがテレビ画面を覆うように散布される。誰もが息を吞むほど、神秘で世界を染める。
そうして少女は一層、神々しさを自ら演出するのだ。
翼を背から生やす女こそ、この世界で多くの人間に『神』と認められた存在。
俺が明確に拒絶の意を示す、『敵』だった。
「カリスマ宗教家って、宗教やる人は大体、カリスマあるでしょ」
隣に立った成実がぼやく。無言ながら、まったくだ下らないと内心で同意する。
なんでこんなやつに。
しかしそのカリスマ宗教家なる者がこの世界で多くの人心を摑み、俺の両親を宗教狂いに仕立てて五十川家の平穏を蹂躙していることは事実だった。
一癖ありそうな微笑みを浮かべる少女を、血だらけのままに睨みつける。
右の握り拳には降りかかった血液以上に、鬱血による赤みが差していた。
テレビの中で悠々と喋る少女はたとえ刃物で突き刺されても死なない。
眺めているだけで誰しもにそう、漠然と思わせてしまう。
世の理から距離を置いているような、そんな超然とした雰囲気を無造作に笑顔でばらまく。
薄い光のベール越しに、外界と接しているような女。
さらけ出されている光翼が、少女のイメージを神格化させている。そう、少女はその翼だけで人間の頂点に上り詰めた。底の知れない能力を『力』として、飛翔し続けている。
ある種の超能力を身に宿す女。
自分もまた、同じ条件にあるはずなのに。
憤りは少女が言葉を発する度に、際限なく高まっていく。
やがて演説を終えた少女がテレビ画面から消えて、暗黒の中に俺の顔が映る。
真っ赤な設定のままにしてある瞳は、画面の黒と混ざって濁った。
目を瞑り、開いた先には銀色の瞳。次いで金。紫、赤色。
くそったれ。
目もとを手のひらで覆い、唇を嚙む。
「こんな力じゃなくて、」
身近な世界を塗り替える力が欲しい。
それだけは演技と冗談の及ばない、真実の切望だった。
俺が自分の眼球の色を変えられることに気づいたのは、八歳の春休みだった。
鏡の前を通りすぎる度、自分の顔の違和感にふと気づいた。それまで注意深く覗いたこともなかった自分の目玉が、光の当たる角度によって色を変える宝石のように様々な変化を引き起こしていた。母が出かけている間に化粧台の鏡の前に座り込み、恐らく初めて真摯に自分と向き合ってみた。俺の『能力』を映すその鏡に、目はくぎ付けとなった。
見慣れていたはずの瞳が、新鮮な薄いレモンの色に染まっている。猫の黄色い瞳ともまた異なる色彩は、幼い顔立ちと調和が取れていない。眼球だけが浮き上がっているようだった。ジッと眺めていると気味が悪くなってくる。未開の土地の動物に観察されている気分だった。
咄嗟に別の色を頭の中で念じる。絵の具のチューブを未使用のパレットにひり出すような感覚で広がるその色は眼球にまで伝染して、艶やかな緑色に移り変わる。その一瞬の切り替えに、テレビの動物番組で観たイカを思い出す。外敵から身を守るために体色を瞬時に保護色に変えるイカと同じ能力が、自分の目に備わっているのではないだろうか。そんなことを想像したのだ。
最初はこの現象を面白がって数回、色を切り替えてみた。それに飽きると興味の対象は次の『力』に移った。創作物のキャラクターのように目の色が変化させられる自分。そんな人間には、他にもっと大きな力があるのではないか。そう期待して、俺は珍妙なポーズを取った。
右手を前に突き出して、力を込める。足もとは踏ん張り、気合いを一枚、二枚と手のひらに重ねるイメージを幻視する。そのまま室内で固まり続けること数分、汗だくになった俺は膝を突いて荒い息を吐いていた。無論、手のひらからエネルギー波が発射された疲れではない。
非常に残念なことに、期待するような大がかりな力は発現しなかった。幻想を打ち砕く力もなく、目の前の鏡を破壊する謎のエネルギーが放出されることもない。その後も目の色を幾通りにも変え、様々なこと、例えば全力で駆ける、壁を蹴る、飛び跳ねると試したが一切、今までの自分と変わりなかった。
そして数日間の検証の末、俺は自分の能力の本質を悟った。
たったこれだけなのだと。
正確にはもう一つ、副産物のような現象が確認されたものの、それが心を満たすことはなかった。むしろその『顔』を眺めることがダメ押しになったと言える。
確かに、周囲には目の色を変えられる人間などいない。だが当時の俺からすれば自分では及びもつかないほど速く走れる同級生や、書道の授業でお手本以上に美しく字を書く女子の方が、よっぽど超能力じみていた。目の色を変えるという結果では、自分以外、なにも変わらない。
この結果を認められず、修行という奇行に人生の大半を費やすようになってしまったことはまた別の話なのでさておくとして。
更に追い打ちをかけたのは、自分の眼球の色が変化するという性質を明かしたことで、両親が気味悪がるようになったことだ。元々に信心深い性格だった両親は我が子を『悪魔の子』と一方的に嘆き、泣き叫んだ。
じゃあお前らは悪魔なのか。そう問えるのは七年後の俺であり、八歳の小学生にはただ、両親に嫌われることが衝撃的だった。それまで仲は良好だったから余計に、だ。
それまで、小学校の同級生に自慢半分、面白半分で能力を見せびらかしていたが、以降は一切、自分から明かすことはしないと誓った。鹿川成実に関しては偶然、見られてしまったので例外としている。まぁ、あいつは噂話を広めるような性格でもないので大丈夫だろう。
かつての同級生も俺の目のことなど、とっくに忘れてしまっているはず。多分。
でも印象的なことは忘れにくいかも知れない。たとえば俺にとっての巣鴨とか。
あいつの裸、というか尻は今でも忘れようがない。そして思い出す度、赤面して顔を押さえつけたくなる。その後は次々に巣鴨とのやり取りを思い返して、羞恥心で蹲りたくなる。
さて話を戻すと、両親に拒絶された後、俺は慌てて目の色を戻そうとした。しかし、いくら自分の顔を眺め続けても、どうしても、元々の目を思い出すことはできなかった。
自分はどんな瞳を持って生まれて、生活してきたのか。
元の自分は、生活と同時にその在り方を失った。
アルバムで確かめるという方法はあったが、拒否した。意地の都合だ。
いつか自力で思い出してみせる。自力で、過去を取り戻してみせる。
そして取り戻すと決意したものに数年後、自分の家族も含まれることになった。
「……しかし」
腕を前へ突き出したまま、当時より七年の歳月が経過した俺が首を傾げる。
一体、能力修行とはなにをすればいいのだ?
気合いを入れてはみるものの、変化の兆しがどんな形で訪れるのか見当もつかない。俺がかつて三十分で書いた世界改変の計画書曰く、『五年後、世界最強になる』らしい。確認してからポケットにしまい、さて、どうやってなろうかなと頭を悩ませることになる。
夜も更けてきた頃、廃ビルの四階に一人籠もっていた。空調もなく、酷く暑い。
廃棄された雑居ビルは駅の裏手にある。帰宅する会社員でほんの少し賑わっている田舎の駅の光も届かない、夜の一部だ。かつては大通りとして賑わい、市街の入り口として機能していた場所も時代の津波に流されて、残骸を残すばかりとなっていた。