男女の友情は成立する?夏目咲良の青春疑似録
Ⅰ こうして夏目咲良はノートを燃やしたいと願った ⑥
「あんたが『ついてこなきゃ明日はノート三冊分な!』とかアホなこと言うからでしょ!?」
咲良は決死の脱出を試みた。
そうはさせまいと、弥太郎も後ろから引き留めにかかる。
「まあまあまあまあ。咲良、落ち着けって」
「私は今日もバイトなの! あんたみたいに遊んでいればいい身分じゃないのよ!」
「そう言わず……あっ! 昨日、おまえん家の店で買ったチョコが鞄に入ってたはず……」
「そんなドロッドロに溶けたもので機嫌を取ろうとするな! ていうか、そんなもので考え直すわけないでしょ!」
……と、割と力任せに弥太郎を振りほどこうとしたとき。
「いい加減、離しなさ――んぶっ!?」
咲良の低い悲鳴と共に、鈍い打撲音がした。
振りほどこうとしたとき、ふいに弥太郎の肘が咲良の顔面に命中したのだ。
「……っ!?」
「さ、咲良!? 大丈夫か!?」
ぽた、と赤い血が、口元を伝って床に滴る。
それを見つめながら、咲良がその場にへたり込む。
「す、すまん! 咲良、ちょっと上向け!」
弥太郎は慌てて鞄からハンカチを取り出した。
それを咲良の顔に当てようとすると……咲良がその手を払った。
「……っとに、あんたらはクソだわ」
口元を押さえながら、じろりと弥太郎を睨んだ。
「自分がよければそれでいい。他人の都合なんて考えやしない。陽キャってのは、本当に社会のゴミね。あんたが、あんなゴミみたいなもんしか書けないのも納得よ」
「…………」
咲良は立ち上がろうとした。
しかし弥太郎が、その肩を押さえて留める。
「だから離し……」
と、その言葉にかぶせるように……。
「怖いんだろ?」
弥太郎の一言に、咲良がびくりと狼狽えた。
その反応を、弥太郎はじっと見つめる。
「俺たちが怖いから、昨日みたいに大げさに噛み付くんだろ?」
「あ、あんたに何が……」
「わかるよ」
弥太郎は断言した。
「俺も最初はそうだった」
机の上に置いたままになったノートを手にした。
「こっちが先なんだ」
苦々しい思い出を振り返るように言った。
「でも中学じゃ運が悪かった。だから、この手の趣味は封印して、高校ではうまくやってたつもりだ。でも……」
その瞳に嘘はなかった。
なぜだか咲良は、弥太郎の本心の言葉だけはわかるような気がしていた。
「俺の趣味を理解してくれて、求めてくれる友人ができた。だから報いたい。今度の文化祭まで、一度でいいんだ」
「…………」
咲良の顔にハンカチをあてながら、弥太郎は提案する。
「対価が必要なら、俺がおまえに教えてやる」
「な、何を……?」
「おまえが怖いと思ってるやつらのあしらい方を。その代わりに、俺の脚本の感想をくれ」
「……なんでそこまで、私にこだわるわけ?」
咲良から見れば、本当に誰でもいいはずだ。
なぜそこまで自分に執着するのか、それは理解できるものではなかった。
しかし弥太郎は、あっけらかんと言った。
「おまえ、容赦なさそうだからさ」
「……あんた、マゾなの?」
「二次元に逃げるやつ、だいたいそうだろ」
「とんだ偏見だわ……」
咲良は諦めた。
なぜならこの男の本気の言葉だけはわかるから。
ここで断っても、どうせまた明日、同じような問答を繰り返さなくてはいけなくなる。
「私は優しくないわよ」
「知ってる。そこがいい」
血みどろの鼻を押さえながら、咲良は大きなため息をついた。
――これが向こう十年、夏目咲良を後悔に苛む出会いであった。
これは恋の物語ではない。
ちょっとした若気の至りと、青春と呼ぶには未熟な日々の小話である。



