男女の友情は成立する?夏目咲良の青春疑似録

Ⅱ 犬塚雲雀は求愛する葦である ①

 その朝。

 夏目咲良は機嫌が悪かった。


 普段から眉間に皺を寄せ、むっつりとした顔で歩いている女である。

 しかし今朝は、それに輪をかけて『触れるな危険』の雰囲気を醸していた。


「……ねむ」


 原因は寝不足であった。

 目の下には、うっすらとクマができている。

 特大の欠伸をしながら洗面台で髪を乾かしていると、長女の百恵が顔を出した。


「咲良ちゃん。夜更かしはほどほどにしなくてはいけませんよ」

「姉さんよりは健全な生活を送ってるつもりよ」

「もう。口ばっかり達者になって困ったものです。あと洗面台、まだ使いそうですか?」

「……すぐ空けるわ」


 交代すると、百恵は鼻歌交じりに身だしなみを整える。


「あ、そうだ。今夜、わたしと羽芽は帰りが遅くなりますからね」

「……はいはい。存分にどうぞ」


 親睦会という名の合コンである。

 地元の福祉大学に通う百恵と羽芽のライフワークのようなものであった。

 毎週のようにチャレンジして、よくもまあ飽きないものだ……というのが咲良の正直な感想だ。



(せいぜい、未来の私が楽できるような素敵な旦那を捕まえてほしいものだわ)



 そんな冷めた気分でキッチンへ向かうと、テーブルに先客がいた。

 次女の羽芽が、幼稚園生の弟・悠宇に朝食のパンを食べさせている。


 咲良の顔を見ると、ニマニマと口元を歪ませた。


「フフ。相変わらず陰険な顔をしてるわね」

「羽姉さんは、相変わらず性格の悪さが顔に滲み出てるわね」

「これはミステリアスというのよ」

「自分で言ってちゃ世話ないわ」


 コンビニで廃棄になったパンを、トースターに入れた。

 すると悠宇が朝食のコーンスープから顔を上げ、くわっと叫んだ。


「うーちゃん。さくらちゃんをいじめたらだめだ!」

「うちの王子様は、相変わらず咲良にべったりねえ」

「さくらちゃんは、おれのよめだからな!」

「この子、どこでそんなネットミームみたいなの覚えてくるのかしら」

「ほいくえんのせんせーがいってた!」

「フフ。これは参観日に実情を聞き出す必要がありそうね」


 咲良はため息をつき、焼き上がったトーストにバターを塗った。

 羽芽が紅茶に口を付けながら、そちらに目を向ける。


「それで、今朝はどうして不機嫌さんなのかしら?」

「何でもないわ。少なくとも、姉さんたちのせいじゃない」

「ふうん。何か困ったことがあったら、ちゃんと言うのよ」

「……コンビニのシフト、姉さんたちの代わりに出た分いつ補填してくれる?」


 羽芽はニヒルに微笑んだ。


 そそくさとテーブルを片付けると、リビングを出て行った。

 それを眺めながら、悠宇がパンを口に詰め込みながら首をかしげる。


「うーちゃん、どうしたんだ?」

「大人は自分の汚れを直視できない生き物なのよ」


 残念ながら、幼稚園生には理解できないようであった。



(……しかし、そんなに顔に出てるかしら)



 百恵と羽芽、二人そろって「機嫌が悪そう」とか言われる始末である。

 自分が機嫌よかろうが悪かろうが、大した問題ではないというのはわかっているが……。


 そのとき、家のチャイムが鳴った。


 こんな朝早くから来客とは。

 一応、百恵か羽芽が対応してくれることを期待して放置しようとしたが……ふと嫌な予感を覚えて玄関へと向かった。


 そしてドアを開けた瞬間――


「よ、咲良。おはよう!」


 椎葉弥太郎の眩い笑顔があった。


「…………」


 咲良は口元をぴくぴくと引きつらせながら……。


「通報するわ」

「相変わらず判断が早ぇなあ」

「なんでいるわけ?」

「いや、家は知ってるし?」


 答えになっていない。

 咲良はこの手の自己解釈で返答をする輩が嫌いであった。


「学校、一緒に行こうぜ」

「断る」

「いいじゃねえか」

「てか、いつもベタベタしてる取り巻きがいるでしょ。一人が寂しいなら、そいつらと行きなさい」

「さすがに朝まで一緒には登校しねえって。そもそも家の方向違うし」

「なら、なおさら私と行く意味もないでしょ?」


 弥太郎はしれっとした顔で首をかしげている。

 どうやらとぼけたふりして、ここに居座るつもりのようであった。


「……ったく、このクソ陽キャ」


 殺意の籠った舌打ちも何のその。

 気合いの入った養殖型の陽キャは、どうやらこの程度では怯まないようである。


 咲良が鞄を取りに、家の中に戻ると――。


 百恵と羽芽と悠宇が、三人そろって廊下でこちらを観察していた。


「だ、大事件です! 咲良ちゃんにイケ、イケメンのカレシが……っ!?」

「フフ。咲良、陰険なくせにやるわね」

「さくらちゃん、あいつとはどういうかんけいだ!?」


 咲良は頭痛に耐えながら、さっさと部屋から鞄を持ち出した。


 

 ***


 

 登校の道すがら。

 咲良は陰鬱なため息をつきながら、鞄からノートを取り出した。

 変哲もないノートだが、その実、弥太郎が書いた自作脚本が記された禁忌の書である。


「どうせ、これが目的でしょ?」


 普段から明るい弥太郎の表情が、さらにぱあっと輝いた。


「…………」


 咲良の目に、尻尾をブンブン振り回す犬の幻影が見えた。


「……感想だけど」

「おう!」


 咲良は寝不足の原因であるノートを、弥太郎へと返した。


「明日、可燃ごみの日よ」

「いっそはっきり言ってくれたほうがマシだ!?」

「私の言葉で尊い命を失うのは耐えられないわね」

「はっきり言ったらどんだけヒドくなるんだ!?」


 その『どんだけ』。

 少なくとも咲良にとって、そのレベルでの話である。


「私は、この前のゴ……あ、駄作の改稿を命じたはずだけど」

「ゴミを訂正して駄作って、もはや救いはないのか……」

「こんなのに救いがあるなら、世に信心は必要ないわ」

「サラッと危ない発言するんじゃないぞ……」


 その訴えを、咲良はスルーした。


「この前の、野山で育った超人高校生が悪の組織からヒロインを助けまくるやつだけど……」

「ああ。かっこいいだろ?」

「もっとリアリティを意識しろって言ったわよね?」

「もちろん。俺なりのリアリティを込めた」


 咲良は歩きながら、器用にノートを広げた。



『オッス! オレは普通の男子高校生! 親の都合で転校して、新しい学校に通うことになったんだ! 都会から来たオレのことが珍しいのか、女子たちが群がってきて参っちまうぜ! 特に仲良くなった財閥のご令嬢と町を歩いていると……あーっ! 身代金目当ての悪いやつらが、ご令嬢を拉致しやがった! 幼い頃から祖父さんに古武術を叩きこまれたおれは、電柱から家の屋根に飛び移り、ワゴン車を追跡して――(中略)――そして見事に事件を解決したオレたちは、組織の連中が残していたウォッカをグラスに注ぎ、その淵をカチンと打って煽……』



 そして無言で、パタンとノートを閉じる。


「そうじゃないのよ!!」


 咲良の悲痛なるツッコミにも、弥太郎は不思議そうに首をかしげるだけだった。


「え? 違うの? エンタメ性にリアリティが欲しいって言ってなかったか? 古武術を習ってることにしたし、戦いが終わったら酒を……」

「ハードボイルド小説を目指してんじゃないの! これはラブコメ! 少なくとも、あんたの話を聞く限りはラブコメ! そしてイマドキ未成年の喫煙飲酒は絶対にNG!」

「でも表現の自由は何者にも妨げる権利はないはずだ!」

「一端の作家ぶってんじゃないわよ。そういうこと言っていいのは、世間的な評価を得た人だけよ」


 そして咲良は、フッと遠い目で続けた。


「まあ、世間的な評価を得たがゆえに、そういうこと言えなくなっちゃうのもよくあるパターンよね」

「辛すぎないか? てか、それならいつ言えるんだよ……」

「SNSの鍵アカでも作って、その中でだけ発散してなさい」

「それなら最初からやらないほうがマシだろ……」