男女の友情は成立する?夏目咲良の青春疑似録

Ⅱ 犬塚雲雀は求愛する葦である ②

 脇道に逸れた話題を引き戻すように、ノートの表紙をペシペシと叩く。


「野山から道場に変えるんじゃなくて、この常人離れした身体能力をどうにかしなさいって言ったのよ。そもそもラブコメなんだから、こういうトンデモ設定を盛り込むのは本来のテーマを阻害するわ。こんな忍者みたいに空飛ぶ男子高校生なんているわけないでしょ」

「え? そうかな? できると思うんだけどなあ……」


 なおもすっとぼける弥太郎に、咲良は少しイラッとする。


「あんたの身に周りに、こんなことできるやつがいるわけ……?」

「うーん……」


 すると弥太郎。

 何を思いついたか、ポンと手を叩いた。


「なあ、咲良。今日の放課後、時間あるか?」

「ないわ」

「即答じゃん」

「本当にないのよ。うちに姉どもが合コンに勤しんでるおかげで、わたしは社畜ってわけ」

「実家が自営業って大変だな……」


 しかし弥太郎は、ふと思いついたように言った。


「じゃあ、俺が頼んでみようか?」

「は? どういうこと?」


 スマホを取り出して、メールアドレスを開いた。

 なぜかそこには『夏目百恵』と『夏目羽芽』の名前が並んでいる。


「え? あんた、いつ姉さんたちと連絡先交換したわけ?」

「さっき、咲良が部屋から鞄持ってくるとき」

「クラスメイトの親族に手を出すとか正気……?」

「いや。そういう意味じゃねえって」


 弥太郎は苦笑した。


「てか、むしろ向こうから教えてきたから」

「どういうこと?」

「なんか『咲良ちゃんと何かあったら協力します』って言われた」

「あんのクソ姉ども……っ!」


 咲良が顔を真っ赤にして悶えている間にも、弥太郎はさっさとメールを送る。


「あんた、何て送るつもり……?」

「『咲良さんに大事な話があるので明日まで帰さなくてよろしいでしょうか』」

「わざとやってるでしょ? ねえ、私が家で何を言われるかわかってやってるでしょ?」

「ハハハ。お姉さんたちも冗談だってわかるだろ。まさかこんなラノベみてえな言い回しを信じるわけが……」


 と、百恵からの返信は早かった。



『わかりました朝帰りですね! お父さんにはうまく言っておきます!』



 ……そのメールを眺めながら、二人は引きつった顔を見合わせる。


「咲良の家って、なんかすげえな」

「……私も今日ほどあの人たちの家族であることを恥じたことはないわ」


 

 ***


 

 放課後。

 弥太郎に連れられ、咲良は廊下を歩いていた。


「ハア。面倒だわ」

「バイトなくなったんだから、いいじゃねえか」

「それなら一人でゆっくりと過ごしたいわ。これじゃあ休日出勤と同じよ」

「ええ。そこまで言うか?」

「むしろ、なんであんたがそんなに自信満々なのか知りたいわね。ほんと切実に……」


 科学室に到着した。


 今回は鍵を使用せずにドアを開ける。

 というのも、すでに弥太郎が合わせたいという人物が待っているらしいのだ。


 そして中で迎えたのは――。


「弥太郎。来たか」


 眼鏡をかけた利発そうな男子生徒であった。

 艶やかな黒髪の奥から、切れ長の瞳がこちらを伺う。


 ……が。

 咲良を見た途端、その瞳が驚きに見開かれた。


「き、貴様は、夏目咲良……?」

「…………?」


 いかにも咲良を知っている風の反応。

 しかし咲良には、とんと見覚えがなかった。


「……誰?」


 ――ぷつん、と男子生徒の逆鱗に触れる音がした……ような気がした。


「僕は、犬塚雲雀だ! きみと同じ二年で、進学クラスの犬塚雲雀! 一年の頃から進学クラスのトップを走り続け、華やかな将来を期待される犬塚雲雀! もちろん学業だけではなく、スポーツにおいても同学年に敵はいないと言わしめる犬塚雲雀! この学校において、僕の名を知らぬとは言わせないぞ!!」


 ぜえぜえ、と息を切らせながら激しい自己紹介を繰り広げる犬塚何某を、咲良はぼんやりと見つめていた。

 そして、たっぷりと吟味の時間をかけて――。


「……そう」


 と、一言だけ返した。


 それに対して。

 犬塚何某は、さらにぷっつん怒髪天という様子で叫んだ。


「貴様、僕を馬鹿にしているのかあ――――っ!」

「ええ……」


 咲良はドン引きしながら、隣の弥太郎に耳打ちした。


「何こいつ、ちょっと情緒不安定すぎない?」

「俺も驚いてるんだよなあ。普段はもっと落ち着いたやつなんだけど……」


 弥太郎が困ったように笑った。


「雲雀。どうした?」


 すると今度は、弥太郎をキッと睨みつけて迫る。


「どうしたも、こうしたもない! なぜここに、この夏目咲良がいるんだ!?」

「いや、言っただろ。演劇部の入部希望者を連れてくるって」


 その言葉には、咲良が驚きの表情で振り返る。


「そんなこと言ってないでしょ! ふざけないで!」

「え? 言わなかったっけ?」

「このクソ陽キャ! そういう自己中心的な認識の歪曲は自分の生活圏内だけにしなさい!」


 左右からクレームを受け、弥太郎が「うーん……」と唸った。


「よし。まずは雲雀から」

「そのとりあえず片方ずつ聞いてやるからって態度、あんたの周囲でアホ晒してる女どもと同じ扱いみたいでムカつくわね……」


 咲良の小言をスルーしながら、弥太郎は話を続けた。


「どうして咲良を目の敵にしてるんだ?」


 犬塚何某……改め、雲雀がフンと鼻を鳴らした。


「こいつは、僕のすべてを奪った女だ。憎くて当然だろう?」

「すべてを奪った?」


 弥太郎が眉根を寄せ、感心したように咲良に言った。


「おまえ、意外にやるな……」

「何がよ。あんたの脳内で、どんなポンコツストーリーが展開されてるわけ? あ、言わなくていいわ。どうせろくなもんじゃないでしょ」


 そして雲雀のほうは、ガルルと威嚇を続けている。


「まさか僕の数少ない憩いの地にまで侵略してくるとは思わなかったな。何が狙い……ハッ。そ、そうか。わかったぞ!」


 何がわかったのか、という疑問を、咲良はギリギリ飲み込んだ。


 どうせろくなことではないという判断である。

 なぜなら弥太郎と同族の匂いがするからだ。


 それを裏付けるように、雲雀は自信満々に言い放った。


「この完璧な存在である僕の弱みを聞きつけ、証拠を握るために潜入しているということだろう! なんと醜悪な性格をしているんだ!」

「的外れも甚だしいわね。あんた、一度、客観性を重視して自分を見てみたら?」


 あまりにも会話が成り立たず、咲良は眉間を指で押さえていた。


「この痛いナルシスト、結局、何なの?」

「演劇部の部長だよ。部員はもう一人いるんだが……今はいないな。まあ、あいつはマイペースなやつだからなあ。基本、時間通りに来ない」

「もう一人……まさか、そいつもこんな感じじゃないでしょうね?」

「ハハハ。まあ、あいつは大人しいから大丈夫だ。性癖は大人しくないけどな」

「聞きたくないわ。それ以上は私の前で言うのはやめなさい」


 どうやら演劇部、男三名で構成されているらしい。

 去年からの活動だという話だし、予想しないではなかったが……それでも少なすぎる上に、性別に偏りが過ぎる。



(そもそも三人で、演劇ってやれるのかしら……)



 そんなことを考えている様子に、雲雀が眉を顰める。


「ま、まさか、本当に僕を覚えていないのか?」

「ええ。私が冬の日に笠を被せた地蔵ですとか言わないわよね?」

「そんなわけないだろう! 僕は、僕は……」


 むしろ本気で認知されていないという事実にショックを受けた様子であった。

 雲雀はその場に、がくりと膝をついて叫ぶ。


「入学からずっと、貴様に定期テスト学年一位を奪われ続けている犬塚雲雀だ!」

「知らないわよ。紛れもなく八つ当たりじゃない」

「全教科、すべてのテストで貴様の一つ後ろなんだぞ!? むしろなぜ覚えていないんだ!?」