男女の友情は成立する?夏目咲良の青春疑似録
Ⅲ 榎本紅葉は曇った眼で夢を見る ②
弥太郎が笑いながら口を挟んだ。
「その点に関しては、咲良も同族だからな。案外、二人とも仲よくなれるんじゃねえの?」
「繰り返すけど、私があんたの学園生活を終わらせる権利を持ってるの忘れてないでしょうね?」
「さ、咲良は雲雀と違って場を弁えている女だからな。雲雀はどうしても言葉に出さなきゃ気が済まないんだよ。まったく子どもだよな」
華麗な手のひら返しに、咲良は満足そうにうなずいた。
「それでいいのよ」
「いや、それで満足なのか!? 僕を馬鹿にして遊んでいるだけだろ!?」
たまらずツッコむ雲雀を無視して、咲良は秀和へと続きを促した。
「で、どうしてあそこまで決定的になっちゃったわけ?」
「それはねえ……」
***
入学から一か月ほどが過ぎた頃。
その間……雲雀と紅葉の間には、妙な緊張感が漂っていた。
「……ええっと」
数学教諭の笹木は困惑していた。
新卒の教師として一か月前には「皆さんと同じ一年生です!」なんてフレッシュに決めた彼は、少し教職というものに不安を覚えていた。
やけにキリキリとした空気の中――その発生源に問いかける。
「犬塚くん。なぜ榎本さんを睨んでいるのですか?」
すると雲雀はドキリと居住まいを正すと、今度は慌てて笹木へと声を荒らげた。
「はあ!? この僕が、この女を見つめている!? そのような根拠のない言いがかりをするとは、どういう了見ですか!」
「いや、今、見ていましたよね?」
「そんなことはない! 僕は決して『思ったよりもこの女のまつげが長いなあ』などと考えたことはない! それ以上の言いがかりをするならば、こちらにも相応の対応があります!」
「ものすごく詳しく否定してきますね……」
笹木は思った。
なんと面倒くさい子の担当になってしまったのかと。
しかし新任。
若さと強い意志を武器に、生徒と仲よくなろうと頑張ってみる。
「あはは。いくら榎本さんのことが好きでも、あんまり睨んでは嫌われてしまいますよ~」
ちょっとしたジョークで場を和ませよう。
そんな経験不足の浅知恵は、次の瞬間に後悔へと変わる。
「――――――ッ!!」
「……っ!?!?!?」
それは殺気。
まるで大型の肉食獣に睨まれたかのような威圧感に、笹木はうっかりちびりそうになってしまった。
『イ・イ・カ。ボ・ク・ハ・コ・イ・ツ・ノ・コ・ト・ナ・ド・ス・キ・デ・ハ・ナ・イ』
『は、はい……』
……みたいな無言の脅迫が行われている間、クラスメイトたちは一様に『???』と頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた。
紅葉も同様で、隣の席で鬼気迫るオーラを放つ雲雀を不思議そうに見ている。
そんな紅葉と目が合った瞬間、雲雀は慌てて視線を逸らした。
その顔はすでに真っ赤で、心臓はこれ以上にないくらいに高鳴っている。
(くそ! なぜ僕は、こんなに心を乱されているんだ!?)
***
咲良が呆れながら言う。
「なんでそんなに頑なに拒否ってたわけ?」
「雲雀にとっては初恋だったからねえ」
「なるほど。恋愛観が小学生で止まってるわけね」
その要約に雲雀が吠えた。
「貴様、言いたい放題だな!?」
「あんたが変に拗らせてるから面倒なことになってるんでしょうが。少しは他人に迷惑かけてる自覚を持ちなさい」
雲雀が「ぐぬぬ」と唸る。
そこへ弥太郎が笑いながら言った。
「しかも一目惚れだろ? 無意識とはいえ容姿で選んじゃった事実に、雲雀的にはプライドが許さなかったらしいな」
「思春期男子って面倒な生き物ねえ」
「まったくだな」
「いや、あんたも同類だから」
秀和が笑いながら話を進めた。
「その不器用な初恋が悪い目を出したのが、三か月くらい経ってからだ」
***
それは夏休みの直前。
新米高校生たちも学校に慣れ、ようやく青春に花を咲かせようという頃合いであった。
担任教師が、こんなことを言い出した。
「みなさんはまだ高校一年生……あまり実感はないかもしれませんが、今からでも将来のことを考えておくことは大事です」
まあ、教師として通り一遍の台詞ではある。
だいたいは「まだわかんね~」とか「早すぎでしょ~」とか、そんな斜に構えたリアクションであった。
ただそれに触発される生徒も、割といるわけで。
心根の素直な紅葉なんかは、友人と和気あいあいと話していた。
「紅葉は何か将来の夢とかあるの?」
「うふふ。わたしはね~……」
そして紅葉。
その高校一年生には不釣り合いなほど大きな胸を張って、自信満々に答えた。
「わたしは高校を卒業したら上京して、人気モデルになるんだ~☆」
けっこう大味な宣言に、周囲にクラスメイトたちは沸いた。
「へえ。紅葉ってモデルとか興味あったんだ?」
「そういえばファッション雑誌とか詳しいもんねえ」
「確かに美人だしなあ。もしかしてうちのクラスから芸能人が出ちゃう?」
「今からサイン貰っとく~?」
みたいな感じでわいわいと盛り上がっている。
そんなクラスメイトたちを、横目で盗み見ているのが雲雀だった。
「…………」
紅葉の予想外の将来宣言に、雲雀はわなわなと震えていた。
三か月も熟成された不器用すぎる初恋が、ついに噴出した瞬間である。
「馬鹿馬鹿しい。夢を見るのもいい加減にしたまえ」
――悪い形で。
それまで度々、雲雀の口の悪さがクラスで波紋を広げることはあった。
そんな雲雀はまったく反省することなく、こうして大事な場面でも大ポカをしてしまったのだ。
「ハッ。人気モデルだと? 高校生にもなって、そんな夢見がちな人生設計をして正気なのか?」
ぎょっとして振り返るクラスメイトたちに雲雀は続けた。
「だいたい人気モデルになど、なれるはずがないだろう。どれだけ競争率が高い世界だと思っている? この年齢でそんな夢見がちなことを言っているやつが、実際に人気モデルになれるはずもない」
普段は温厚な紅葉も、これにはさすがに必死に言い返した。
「で、できるもん!」
「無理だな。そもそも一言にモデルになると言っても、こんな田舎でどうやって経験を積むつもりだ? まさか高校生活をのんべんだらりと過ごして、上京してすぐにうまくいくと思っているのか?」
「それはSNSとか……」
「SNSに自撮りでも載せまくれば経験値が貯まるとは能天気も甚だしいな。そんな軽率な人間が、東京で大成できるとは思えないよ」
「~~~~っ!!」
困ったことに、雲雀はちょっと楽しくなってしまっていた。
あまり紅葉と会話ができないせいで、つい普段より舌が回ってしまっていたのだ。
小学生の男子が、好きな子に意地悪をして、リアクションがあるのを喜んでしまうあの現象である。
しかし雲雀は知らなかった。
そのコミュニケーション……確かに相手の気を引くことはできるが、それはあくまでコミュニケーション上級者の手法である。
玄人であれば、ここから好感度の反動を利用して一発逆転……もあり得るかもしれない。
しかし素人が手を出せば、ただ相手を傷つけるだけであった。
そして雲雀は――こと女性関係においては、ずぶのド素人である。
「ハハハ。まったくお話にならないな。その程度の認識で人気モデルなどと……ん?」
雲雀はようやく周囲の温度感に気づいた。
クラスメイトたちは一様に「あちゃあ……」となっているし、女子に関してはかなり本格的な敵意を向けられていた。
そして紅葉は――。
その綺麗な目に大粒の涙を讃たたえて、震える声で叫んだ。
「雲雀くん、大嫌い!!」
――ガガァーン、と雲雀の脳天に稲妻が落ちるような衝撃が起こった。



