男女の友情は成立する?夏目咲良の青春疑似録
Ⅲ 榎本紅葉は曇った眼で夢を見る ④
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さて翌日。
いつも……となりつつある放課後である。
科学室で、咲良はまるで女王のようにふんぞり返っていた。
目の前にいるのは、弥太郎、雲雀、秀和。
三人は不審そうに、咲良の言葉を待っていた。
「ということで、あんたらの共同作業よ」
「どういうことだ?」
あまりに言葉が少なすぎた。
弥太郎の当然の疑問に、咲良は新品のノートを差し出した。
その表紙に『演劇部初舞台用脚本ノート』と書かれている。
ページをめくると、1ページめには『主演・犬塚雲雀/榎本紅葉』『シナリオ・椎葉弥太郎』と続いていた。
なおさら疑問は深まるばかりだ。
「チャラ男。あんたが脚本担当」
「はあ。いや、それは最初からそうだけど……」
「演劇部の話じゃないわ」
咲良はフッと勝ち誇ったように笑った。
「あんたが榎本紅葉を心変わりさせるような素敵な脚本を書き、それを犬塚くんが実行するのよ。最終的に榎本紅葉を勧誘できればミッションコンプリート」
「な、なにいっ!?」
悲鳴を上げたのは、雲雀のほうであった。
「ふ、ふざけるな! 他人事だからといって、そんなゲームみたいな扱いを……」
しかし弥太郎は目を輝かせた。
「何だそれ、めちゃ楽しそうだな!」
「このクソ陽キャめ!!」
雲雀のツッコミに、咲良は「珍しく気が合うわね……」と心の中で呟いた。
しかしこの雲雀のリアクション。
当然、咲良は想定済みである。
「そもそもこれは、もはや犬塚くんの個人的な問題ではなく演劇部の問題よ。部員一丸となって解決に取り組むのが筋ではないの?」
「なるほど。ということは、咲良は何をするんだ?」
弥太郎の疑問に、咲良はうなずいた。
「あんたたちの見張り」
「逃げたな!?」
雲雀が吠えるのを、しれっとスルーする。
「いいじゃない。どうせ一人でやってもウジウジするだけで進まないんだから。いっそ愉快な失敗話として後世のネタにしなさい」
「失敗する前提で進めるな!」
「じゃあ成功するビジョンあるわけ?」
「あるわけなかろうが!!」
咲良は大きくため息をついた。
「じゃあ、決定ね。チャラ男、犬塚くんの友人なら、彼の恋が実るような脚本を描きなさい」
「よし、やってみる」
こっちはこっちで、やる気だけは一人前だから困ったものだ。
さっそく二人で方向性を話し合っている隣で。
それまで穏やかに成り行きを見守っていた秀和が、咲良へと言った。
「これ、どういう目的があるの?」
「目的も何も、さっき言ったじゃない。犬塚くんみたいなのが一人でウジウジ悩んでても一ミリも進まないわ」
「でも、だからってこのやり方は正攻法だとは思えないんだけど」
「…………」
咲良は、ちらと秀和を見た。
その穏やかで、ともすれば老練されたようにも感じる横顔。
独特の時間の流れて生きているタイプだと察した。
(……イマイチ何考えてるかわかんない男だけど、私に敵意とかあるようには見えないわね)
咲良にとって、この中では秀和が一番、気が合いそうだった。
「あんた、この演劇部にはどうして?」
「え? ああ。ぼくが紅葉ちゃんの幼馴染だって知った雲雀が話しかけてきてね。それから色々あって、こうして友だちになったんだ」
「つまり、あんたが榎本紅葉と付き合っていないかどうか確認しに来たと?」
「身も蓋もない言い方をすれば、そういうことかな。それから雲雀が弥太郎を連れてきて、たまにこうやって三人でいるけど……」
参ったように笑いながら、秀和が続ける。
「ぼくはインドア派だから、あんまりみんなでこうやって集まる経験がなかったからさ。演劇には興味ないけど、けっこう楽しいよ」
「……そう」
その言葉に嘘はないようである。
なるほど……と咲良は頷いた。
「あんた。あのチャラ男の脚本、どう思う?」
「え?」
途端、秀和がギクリと顔を強張らせた。
「あはは。まあ、なんていうか……ちょっと偏ってる、かな」
「穏やかな表現ね。そうよ。あんなもん世間に出したらとんでもない事態になるわ」
咲良は両腕を組み、鼻を鳴らす。
「創作物っていうのはファンタジーだけど、それを受け取るのはあくまで現実の人間よ。現実の人間の感性に合わせなきゃ、どんなにいいものも理解してもらえないわ」
その目がきらりと輝いた。
「そして榎本紅葉は私が見たところ、その『現実の人間』よ」
「――――っ!」
秀和が、ごくりと喉を鳴らした。
「つまり紅葉ちゃんが心を動かされる脚本を描いたとき、弥太郎の才能は完成する……?」
「あいつに才能なんかないわよ。でも少なくとも、今のようなトンチンカンなものは書かないでしょうね。あのチャラ男の描く主人公、飛んだり跳ねたり銃弾を受け止めたり大変よ? あんなので、どうやってラブコメしろっていうのよ」
「た、確かにそれはぼくも思っていたけど……」
秀和は真剣な様子でうなずく。
「まったく御見それしたよ。弥太郎がきみに脚本の指南を受けていると聞いたときは、正直なところ『どうして?』って思っていたんだ。申し訳ないけど、ぼくはきみのことを知らなかったからね。でも今の説明で納得した」
「まあ、その私としては巻き込まれて迷惑なんだけど……」
それでも咲良は、このかけがえのない時間に後ろ髪を引かれるように悲しげな微笑を浮かべる。
「これで、私の仕事も終わりね」
「そっか。……あれ? でも待って?」
そこで秀和。
とても重要なことに気づいた。
「……もし弥太郎の脚本が変わらず、紅葉ちゃんにフラれたらどうなるの?」
ひどく真剣なまなざし。
それを受けて、咲良は即答した。
「だってこの演劇部、榎本紅葉のために設立したんでしょ? あの子が入らなかったら、当然、解散よね?」
「な……っ!?」
ようやく秀和は、咲良の思惑を完全に察した。
そもそも咲良は、弥太郎が演劇部の脚本を書くために協力を要請されている。
弥太郎が今回の脚本を完成させ、普通の感性を手に入れればお役御免。
もし弥太郎が普通の感性を手に入れられなければ、雲雀がフラれて演劇部が解散。
――どちらに転ぼうが、咲良の仕事は終わりなのだ。
「ふふ。せいぜい頑張ることね」
「…………」
あっちであーだこーだと作戦を練る弥太郎と雲雀を眺めながら、咲良は非常に悪い笑みを浮かべていた。
それを見ながら、秀和は口元を引きつらせて「魔女だ……」とつぶやくのだった。
***
その三日後。
週終わりの金曜日が、勝負の日であった。
その放課後。
弥太郎は自信満々にノートを差し出した。
「どうだ?」
「…………」
咲良はそれに目を通すと、にこりと微笑んだ。
「まあ、いいんじゃない」
「…………」
弥太郎がなぜか疑わしそうな表情になった。
「な、何よ」
「いや、咲良がそんな素直に褒めるなんて珍しいなと……」
「あんたは私を何だと思ってるのよ」
「鬼コーチ?」
「そのままインターハイとか目指しちゃいそうな勢いね……」
咲良はため息をついた。
「まあ、あんたにしては上出来ってレベルよ。そんなに期待しないことね」
「そ、そうか。なんか逆に安心するな」
弥太郎が笑った。
すると同時に、科学室のドアが開いた。
雲雀である。
とてつもなく緊張した面持ちで、頼りなげに佇んでいた。
「おい、弥太郎。本当にこの格好で行くのか?」
タキシードであった。
まるでこれから豪華パーティにでも行くのかというほどに決まっている。
咲良は口元をぴくぴくと引きつらせていたが、すぐに根性で真顔に戻した。
それを指示した弥太郎は、からからと笑った。
「いや、マジで準備してくるとかすげえなあ」
「おい!? まさか遊んでいたんじゃないだろうな!?」
「そんなことねえよ。マジでこれが一番だ」
「本当だな!? 本当なんだな!?」



