男女の友情は成立する?夏目咲良の青春疑似録
Ⅳ ゆえに椎葉弥太郎は偽物の青春を記し賜う ③
(……こうやって過ごすのも、もうずいぶんと慣れちゃったわね)
最初はいけ好かないやつだと思っていた。
しかし一緒に過ごすうち、少しずつ印象は変わっていく。
(……こんな時間も、悪くないわね)
でも、その日は何かが違った。
弥太郎が、咲良を見つめる。
その視線に込められた熱の理由に、咲良はとっくに気づいていた。
「咲良……」
「な、何よ……」
ノートをめくる咲良の手を、弥太郎の大きな手が止める。
それから逃れるように手を戻そうとして……今度は手首を掴まれた。
抗いきれない内心を、まるで見透かされているようだ。
咲良はとっさに心の中で悪態をつくが、それが実際に口をつくことはない。
(こういうところが、本当にムカつく……)
すでに逃げる気力はない。
この身を任せてしまいたい倦怠感にも似た空気は、午後の体育のせいか、あるいは気だるい蒸し暑さのせいか……。
(踏み出すことで、この穏やかな関係が壊れてしまうのが怖い……)
迷いなど意味はなかった。
気が付けば、弥太郎にネクタイをしゅるりと解かれ……。
――のあたりで、咲良はそのページをビリビリに破いてゴミ箱の中にばら撒いた。
ちなみに(……こうやって過ごすのも~)のあたりから、弥太郎の脚本である。
ノートを丸めて弥太郎の頭を力一杯に叩くと、ぽこんと間抜けな音がした。
「これじゃ官能小説でしょーが!」
「咲良が『おっぱい揺れる程度でイマドキの読者が喜ぶと思うな』って言ったんだろ?」
「生々しすぎんのよ! あんたがカノジョと何ヤった報告書なんか読ませんな!」
「実体験を混ぜるとリアリティが増すって言ったのも咲良じゃん」
「リアリティはあくまでリアリティ! リアルをそのまま読まされても面白くないの!」
弥太郎は神妙な顔で「あー、なるほどなあ」と頷いている。
……絶対にわかってない、と咲良はイラついた。
「そもそも私をモデルにすんな。何が『踏み出すことで、この穏やかな関係が壊れてしまうのが怖い……』よ。なんで私が、あんたに惚れてるわけ?」
「え? 違うの?」
「そんなわけないでしょ。あんた、どんだけ自分がモテる気でいるの……」
……と、先日、また上級生の女子に言い寄られている現場を見てしまったのを思い出した。
「……はあああ。あんた、来世はろくな目に遭わないわよ」
「アハハ。まあ、今から来世の心配してもなあ」
気楽に笑う様子に、げんなりとした。
エロ小説のモデルにした人間を前にして、よくもまあこんなに軽い態度でいられるものだ。
大物か、馬鹿か。
間違いなく後者だと咲良は断じた。
とりあえず問題のシーンは別にして、話の流れをざっと見返していく。
「でもまあ、最初の頃よりはマシね」
「おっ。マジで?」
「少なくとも全体の流れの中で、話の腰を折るようなアホ展開はなくなったわ。序盤で謎の覆面男に決闘を申し込まれることもないし、いきなり異世界のゲートが開くこともない。ヒロインだと思ってた幼馴染の腕が取れてゾンビだと判明することもない……」
ただ部活のひと時をすごす男女の、心の機微を描いた青春もの。
少なくとも、読めるものにはなっている。
(……一応、指摘したところは二度と間違えないのよねえ)
弥太郎なりに真面目にやっているということか、と咲良はため息をついた。
「ま、面白いかどうかは別の問題だけど」
「ええ!? 面白くないのか!?」
「それは答えがないのよ。そもそも万人受けするエンタメは存在しない。どんな読者を想定して書くか、ってことだと思うけど、それも結局、自分の主観でしか判断できないわ」
弥太郎が、うーんとペンを回した。
「どうすればいいんだ?」
「ざっくりした方法だと、想定読者のサンプルを決め打ちすることかしら」
「サンプルの決め打ち?」
「まあ、『この人が面白いって言えば大丈夫だろう』みたいな人を決めて、そいつが面白いって言うまで読んでもらうことね。私がやってるのは、あくまで作品の欠点とか矛盾点を洗い出してるだけだから」
「なるほど……」
あまり長くは考えず、弥太郎は笑った。
「俺は咲良に面白いって言ってほしいけどな」
「…………」
その笑顔に、嘘はない。
弥太郎は本心から、そんな寒いことを言っている。
……そのくらいのことはわかってしまうくらいには同じ時間を共有してしまったということに気づいて、咲良はもやっとした気持ちを自覚する。
そして弥太郎の言葉に、ついっと視線を逸らした。
「そもそも、私はラブコメとか興味ないし」
「酷い返事だ。作家はデリケートな生き物なんだぞ……」
「アマチュアにすらなってないやつが、一端を気取らない」
「ええ。傷つく……」
ちょっと泣きそうというアピールも、場を和ませるためにお茶らけているのだ。
そのくらいのこともわかる。
……でも、それ以上の関係ではない。
「面白いかどうかの意見が欲しければ、犬塚くんに読んでもらいなさい」
「おう。今日もありがとな」
咲良が鞄を持って立ち上がると、弥太郎も同じように立ち上がった。
「下足場まで行こうぜ」
「ええ。あんたの取り巻きどもに見られたらどうすんの?」
「大丈夫だよ。あいつらカラオケに行ってるはずだから」
「……はあ。まあ、他の生徒に見られないようにしなさい」
科学室の鍵をかけ、誰もいない廊下を歩いていく。
「てか、あんた。本当に最近、こっちに来すぎじゃない?」
「え? そう思うか?」
「あのね。あんたが来るってことは、私も来るってことでしょ。最近、二日に一回はここにいるわよ」
「あ、確かになあ」
のんきに笑う弥太郎に、咲良はげんなりとした。
「あんたの取り巻きどものご機嫌はしっかり取っておきなさい。バレたらそのツケを払うのは私なんだから」
「いや、考えすぎだろ。そんな悪いやつらじゃないよ」
取り巻きたちの仲間側である弥太郎が言っても説得力が皆無である。
咲良は大きなため息をつきながら……ふと視線を感じて振り返った。
(……誰かに見られてる?)
しかし、それらしい人影はない。
そんな様子に、弥太郎が首を傾げた。
「咲良、どうした?」
「ううん……」
咲良は肩をすくめて、再び下足場へと足を向ける。
(……もしかして、こいつの自意識過剰が伝染ったかしら)
***
問題は、その翌日に起こった。
朝のHR前。
連日、気分のよくない天気が続くのに、今朝もクラスは騒がしい。
咲良は普段通り、教室の片隅でぼんやりと窓の外を見ていた。
(梅雨、面倒くさいのよねえ……)
跳ねてしまった髪を、指先でいじる。
そうして窓の外を、ぼんやりと眺めていた。
教室の前のほうで屯っている陽キャたちが、ひときわ大きな声を上げた。
とある女子……確か弥太郎と浮気していた子のスマホを、みんなで見ているようだ。
その弥太郎は、まだ来ていないようではあるが……。
(あいつ、今朝は遅いわね)
いや、別に気にしてないのだが。
いつも騒がしい生徒がいないと、少し不安になるのと同じである。
(また夜更かしでもしてたのかしら)
好きこそものの上手なれとはいう。
よくもまあ、あれだけ一つのことに打ち込めるものだ。
三日に一回は、必ず新しい脚本を用意してくる。
そのことは咲良も感心していた。
それで人付き合いもしっかりやっているのだから、さすがに……と、そのときである。
「ちょっと」
その不機嫌そうな声に、咲良は顔を上げる。
……目の前に、嫌な顔があった。
さっきまで向こうでキャーキャー話していた一軍女子。
それも弥太郎のカノジョのほうだ。
その女子は、声音でわかる通り機嫌悪そうに咲良を睨んでいる。



