君のガチ恋距離にいてもいいよね? ~クラスの人気アイドルと気ままな息抜きはじめました~
第一話 女神すぎるクラスメイト
「……いつも通りだな」
四月上旬。今年で高校二年生になった瀬崎灯也は、バイト先のカラオケで受付をしていた。
けれど、平日の夜だからか客が来ない。しばらくの間、棒立ち状態が続いている。
この退屈な時間を紛らわせてくれるのは、ロビーに置かれたモニターの映像。
内容は三人組アイドルグループ《プリンシア》の紹介だ。華やかな衣装に身を包むメンバーは皆、整った顔立ちをしているが、中でもセンターに立つ美少女は別格の異彩を放っていた。
『――プリンシアのピンク担当・姫野雫です! みなさんに笑顔を届けますね♪』
姫野雫。
腰まで伸びた煌びやかな髪に、ぱっちりとした大きな瞳。肌は透き通るように白く、愛嬌のある顔立ちながら凜としていて、弾ける明るさと儚げな透明感を兼ね備えている美少女。
彼女こそが大人気アイドルであり、不動のセンター。ネット上では【女神すぎる美少女】と呼ばれ、その飛び抜けたルックスと明るく天真爛漫な性格、可憐な歌声から、SNS上で彼女の名前を見ない日はないほどヒットしている逸材だ。
今や姫野雫は皆から愛される国民的アイドルともいえる存在だが、一般的な男子高校生である灯也にも全く接点がないわけではなかった。
というのも、姫野雫は同じ高校に通っている同級生なのだ。
都立藤咲高校。自由な校風をモットーに、この近辺にある一般的な都立高だが、姫野雫曰く『仕事以外は普通の高校生として過ごしたいので』という理由で通うことを決めたらしい。
当然、入学当初はかなり話題になったし、おかげで今年の入試倍率はとんでもないことになったそうだが、灯也からすれば興味のない話だ。
そう、興味がない。
灯也は姫野雫のファンでもなければ、アイドル自体にもとくべつ興味を持っていなかった。
ついでに言えば、灯也と姫野雫は今年から同じクラスにもなったのだが、それでも灯也はまともに話したことすらない。
もちろん、灯也だって姫野雫のことを可愛いとは思っているし、同じ高校の生徒だと知ったときには遠目に眺めたりもした。
だが、それだけだ。お近づきになりたいとは思っておらず、それは今後も変わらないだろうという認識だった。
「お、今日も来てるのか」
ふと手元の利用客名簿を眺めて、灯也はなんとなしに独り言をこぼす。
記載されているのは『柏井』という苗字だ。
利用人数は一名で、女性。年齢は十六歳。
以前から週に一、二回のペースで訪れている常連客で、何か事情があるのか非会員料金で利用し続けている。
いつも顔が見えづらい変装じみた恰好をしているが、店員の中で『あの客はじつは芸能人なんじゃないか』と噂になるくらいには、何か特別なオーラを纏っている印象だ。
とはいえ、それも灯也からすれば、ちょっと変わった常連客がいるというだけの話だが。
「瀬崎ー、悪いけど空室の清掃に行ってくれるか?」
暇すぎてボーッとしているところに、キッチン側からやってきた先輩スタッフから声をかけられて、灯也はハッと背筋を伸ばす。
「はい。二階に行けばいいですか?」
「おう、ロビーはこっちでやっておくからよろしく~」
先輩スタッフに見送られながら、灯也は二階に向かう。
階段を上がっている最中、今日はほとんどが空室だったことを思い出して、自然と苦笑いがこぼれた。
空室だらけの廊下を抜けていき、灯也が隅にあるロッカーから清掃用具を取り出そうとしたところで、
「ワァ――――ッ!!」
女性の叫び声が聞こえた。
聞こえたのは、角部屋からだ。音漏れの度合いからして、扉がちゃんと閉まっていないのだろう。
一瞬、何かトラブルに巻き込まれたのかと思ったが、おそらく違う。今も引き続き聞こえてくる叫び声には情感が乗っていて、とにかくやり場のないストレスを発散するような響きがあった。
(待てよ、あの部屋ってたしか……)
例の『柏井』という常連客が利用していたはずだ。つまり、このシャウトは彼女のものということになる。
ひとまず念のため、彼女がトラブルに巻き込まれていないことを確認するためにも、個室の扉に備え付けられた小窓から中を覗き込むと――
「えっ……?」
思わず灯也の口から疑問符がこぼれた。
個室の中に女性が一人でいるのはいい。想定通りだ。
けれど、その端正な顔立ちはどこかで見た覚えのあるもので……
(――『姫野雫』、だよな?)
間違いない、今年から同じクラスにもなった国民的アイドル・姫野雫だ。
黒いキャップ帽を被り、真っ白なパーカーにショートパンツを合わせたラフな私服姿だが、来店時のようにマスクや眼鏡などをしていないことから、なんとか気づくことができた。
となると、受付時の柏井という苗字は偽名だったのだろう。
彼女は今、曲も流さずに一人きりでがむしゃらにシャウトしている。
マイクを両手で握りしめて、何度も苦しげに顔を歪ませながら、それでも叫び続けていた。
普段の笑顔が弾けるアイドル像からは想像もできないほどに強烈な光景で、一瞬だけ別人なんじゃないかと灯也が思ってしまったほどだ。
幸いなことに、雫はまだ灯也の存在に気づいていない様子。
灯也は見てはいけないものを見た気持ちになりながら、アイドルにもきっといろいろあるのだろう……と思い、扉をそっと閉め直したのだが。
――ガチャンッ、と。
思いのほか、大きな音が鳴ってしまった。
ゆえに、室内にいた雫の視線がこちらに向けられる。
ばっちりと目が合って数秒後。
灯也はそろりそろりと、後退する形で部屋を離れた。
「はぁ……」
灯也は疲労感とともにため息をつきながら、空室の清掃作業に取り組む。
三十分ほどで清掃を終え、ロビーに戻ると受付係を代わるよう言われた。
なので、嫌な予感がしつつも受付業務に移行。
すると案の定というか、一時間もしないうちに雫がやってきた。個室にいたときとは違い、黒いマスクをつけた変装仕様だ。
利用時間を終えた雫に対し、灯也は平静を装いながら会計の対応をする。
「「…………」」
二人の間に必要以上の会話はない。
雫の方は俯きがちで、帽子の縁に隠れて目線が見えないのは救いだった。
「お釣りは百二十円になります」
「どうも」
釣り銭のやりとりをする間も、灯也の中には緊張感があった。
灯也はこれまでにも何度か柏井――改め、雫の接客対応をしたことはあるが、基本的に来店時の彼女には愛想がない。
現状もその通りで、態度や雰囲気が素っ気なく、どことなくダウナーで、話し声は元のハスキーボイスと比べるとやや低音である。
そんな彼女の佇まいが、ただでさえ気まずい空気を重くしていた。
「…………」
釣り銭を受け取った雫は、無言でこちらを見つめてくる。
と、さらにはマスクを顎下までずらしたではないか。
おかげで彼女の整った顔立ちがしっかり見えて、つい視線を合わせてしまう。
「…………」
雫はジト目を向けてきており、こちらの反応を窺っているようだった。
これはもう、完全に身バレ上等の行動だ。つまり灯也が雫の正体に気づいていると確信しているのだろう。
だからこそ、灯也は努めて冷静に。あくまで我関せずの姿勢で、先ほど見た光景は忘れてしまったかのような態度を貫き、「ありがとうございました」と一礼をしてみせた。
何せ灯也としても、雫の事情に関わるつもりは毛頭ないからだ。
そのスタンスが功を奏したのか、雫はどことなく訝しんだ様子ながらも店を出ていった。
――一件落着、と。
このときの灯也は思った。これでこの件は終わったのだと。
◇
翌朝。
灯也が教室に入ろうとしたところで、賑やかな話し声が聞こえてきた。
中を覗くと、女子生徒たちに囲まれた雫の姿が目に入る。
「雫ちゃん、昨日の動画見たよ! めっちゃ可愛かったー!」
「スイーツ×スイーツの表紙もおめでとー! あたし絶対買うからね!」
「てかこの前の番組も最高だった~! マジで一番目立ってたし!」
女子生徒たちが興奮ぎみに言うと、雫は嬉しそうに微笑む。
「みんなありがと~! いろいろチェックしてもらえて嬉しいな♪」
雫が笑顔で言うだけで、周囲の生徒たちはうっとりする。
やはり大人気アイドルというだけあり、雫の人気は校内でも健在だ。
飛び抜けたルックスで愛想も良く、成績まで優秀なまさに完璧アイドル。一般的なブレザータイプの制服も、雫が着こなすだけでオシャレに見えるから不思議だった。
灯也としては昨夜の件もあって、顔を合わせるのは少々気まずかったりする。
とはいえ、いつまでもこうしてはいられないので教室に入ると、
「あ、瀬崎くんだ。おはよーっ」
真っ先に気づいた雫が、とびっきりの笑顔で挨拶をしてきた。
反射的に灯也も「おはよう」と返すが、昨夜の件が脳裏にちらついているせいで視線を逸らしてしまう。不自然な態度に思われたかもしれない。
けれど、雫は気にすることもなく、クラスメイトたちとの会話に戻っていく。
灯也はホッと安堵しつつ、中央列の後方にある自分の席に着いた。
「やっぱイイよなぁ、姫野さんって」
言いながら隣の席に腰掛けてきたのは、クラスメイトの向井修一だ。
短めの茶髪にそこそこの長身、着崩した制服でパッと見だと軽薄そうにも見えるが、根は実直な男子である。
修一とは去年から同じクラスで、灯也の数少ない友人といっていい相手だ。
去年の二学期まで灯也はバスケ部に、修一はサッカー部に所属していたため、元運動部同士というのがきっかけで関わるようになり、ときどき一緒に遊ぶ程度には仲良くやっている。
「おはよう、修一。今の発言を彼女さんが聞いたら怒るんじゃないか?」
「ダイジョブだって。灯也が告げ口さえしなけりゃな」
修一には他校生の彼女がいて、なんだかんだで上手くやっているらしい。ちょいちょい惚気られるのがたまに鬱陶しくもあるのだが。
「それ、全然大丈夫じゃないだろ。俺の口はそんなに堅くないし」
「お前が言ったらオレは泣くからな」
「その脅し文句はどうなんだよ……」
「んなことよりも、姫野さんの話だって! オレもさっき挨拶されちまってさ、もう女神スマイルが眩しすぎて直視できなかったぜ!」
これは感極まって泣き出しそうなほどの勢いだ。
実のところ、こんな感想を抱くのは修一だけじゃない。このクラスの男子はもちろんのこと、校内にいる大多数の生徒が雫に対して憧憬の眼差しを向けていた。
「大げさだな。単に修一がチキンってだけの話だろ」
「灯也はドライだよなぁ。あの可憐な姿を見ても可愛いとか思わねえの?」
「いや、人並みには思ってるぞ。修一みたいなドルオタじゃないってだけで」
「かーっ! わかってねえ! 姫野雫はアイドルだけどアイドルってだけじゃねえんだ! もうそういうのを超越した存在なんだよ! だからオレはドルオタじゃなくてミーハーな!」
「わかったから落ち着け。本人にも聞こえてるぞ」
修一の声が大きすぎたせいで、雫やクラスの女子からくすくすと笑われてしまった。
と、そこで灯也と雫の目が合う。
雫は少し驚いた風に目を見開いてから、すぐさま微笑みかけてきた。
(ほんと、昨日とは打って変わって別人だよな……)
べつに灯也は、性格を使い分けること自体に悪い印象は抱かない。
ただ単に、姫野雫の両極端ともいえる変わり様に感心しているだけだ。トップアイドルともなれば、そういう器用さが必要なのかもしれないと思った。
チャイムが鳴ると、隣に陣取っていた修一が自分の席に戻っていく。
窓際に座る雫は教卓の方を向いていて、灯也もひとまず前方に視線を向けることにする。
朝のHRの間、灯也はなんとなく昨夜の件を思い返していた。
昼休み。
灯也が校内の自販機で飲み物を買おうとしていると、
「なに飲むの?」
背後から声をかけられたので振り返ると、雫が笑顔で立っていた。
たしか先ほどまで教室でクラスメイトと談笑していたはずだが、もしかして追いかけてきたのだろうか?
だとしたら、昨夜の件について何かあるのかもしれない。ひとまず灯也は平静を装いながら答える。
「えっと、ホワイトウォーターを買うつもりだったけど」
「じゃ、私も同じのにしよーっと」
雫が代わりにボタンを押して、そのまま缶を取り出してから差し出してくる。
ずいぶん気さくな感じで接してくるものだから、灯也は戸惑いつつも受け取った。
「どうも」
「いーえ」
雫も硬貨を入れると、宣言通りに同じ物を購入した。
灯也が缶に口を付けて、ごくごくと喉を鳴らし始めたところで、
「変なことを聞くんだけどさ、やっぱ気づいてるよね?」
「ぶふっ――ごほっ、ごほっ……」
さらっと意味深な問いを投げられたので、灯也はむせてしまった。
それを肯定と受け取ったらしい雫は、険しい表情でため息をつく。
「はぁ、そりゃそうか。個室だからって眼鏡を外したのは失敗だったな」
雫の言葉遣いも声色も普段とは違い、低いトーンで淡々としたものになる。
どことなく冷めた雰囲気に様変わりしたせいか、体感温度まで下がった気がした。
彼女が確認したかったのは、灯也が昨夜の客――柏井の正体=姫野雫だと気づいているかどうかについてだろう。
そもそも昨日の帰り際の行動からして、ほぼ確信はしていただろうが、それでも今の灯也の動揺が決め手となったのは間違いない。
内容が内容だけに、今の彼女は変装中よりもさらにキツい印象だ。メディア露出時や、他の生徒の前でこの声色で話すところを聞いた覚えはないし、普段は見せない姿のはずである。
ゆえに、灯也は辺りを見回したのだが、他の生徒の姿は見当たらなかった。
「他に人がいないのは確認済み。いたらこんな話はできないし」
「そうか」
「というか、あんまり動揺してないね。その様子だと、もっと前から気づいてたとか?」
雫は逃げ道を塞ぐように腕を組んで仁王立ちしながら、訝しむような視線を向けてくる。
けれど、灯也はべつに動じていないわけじゃない。ただ、制服姿で冷めた表情をする雫の姿が新鮮で、カラオケに来ていた柏井なる常連客の正体が、雫本人だと実感していただけだ。
とりあえず、彼女が『昨夜の店員=同級生の灯也』だと認識していることは理解した。
でも個室から叫び声が音漏れしていたことを、彼女が気づいているのかは不明だ。今なら灯也があそこを覗いていたのだって、偶然の一言で片づけられそうではある。
灯也としてはトラブルに巻き込まれるのも、個人の事情に深入りするのも避けたいところ。
なのでここは慎重に、あくまで人畜無害な風に振る舞うべきだと灯也は判断した。
「……常連さんの正体が姫野だって気づいたのは、昨夜の出来事がきっかけだよ。それに俺だって、動揺くらいはしてる。おかげで吹き出したくらいだしな」
「そう、ならよかった。クラスメイトが相手とはいえ、これでも変装には自信があったから。……それで、瀬崎くんはこのこと――」
「先に言っておくけど、俺はなんでもかんでも他人に話す趣味はないぞ。誰かが嫌がることなら尚更だ」
「ありがと。そう言ってもらえると助かるよ」
言葉とは裏腹に、雫の態度が緩むことはない。
他に何を言うべきかわからない灯也は、ひとまず緊張で渇いた喉を潤そうと、缶ジュースの残りに口をつける。
「……やっぱり驚いたでしょ? 私がこんな奴だって知って」
「まあ、驚いてないと言えば嘘になるけど」
「今みたいな素の状態と、アイドルのときだと全然違うもんね」
どうやら素の性格はこちらのサバサバした方らしい。今さら灯也には隠しても無駄だと判断したのだろう。
灯也的にこれ以上深入りするのはまずい気がしてきたところで、遠くから他の生徒が近づいてくるのが見えた。
「そろそろ切り上げた方がいいんじゃないか?」
「うん。――それじゃ、この話は二人だけの秘密ってことでよろしくねっ?」
すでに雫はいつものアイドルスマイルを浮かべて、声色まで明るくなっている。この見事な変わり身っぷりには素直に感心した。
だからか、灯也がぽかんとしていると、
「瀬崎くん?」
「あ、ああ、もちろんだ」
今の問いかけは怖かった。笑顔でも目だけが笑っていなかったからだ。
「じゃあ、私は先に教室へ戻ってるねっ。バイバーイ」
雫はこちらに小さく手を振ってから、近づいてきた他クラスの生徒に挨拶をして、その場を離れていった。
「……ふぅ」
思わずため息がこぼれる。
今になって気づいたが、背中に嫌な汗をかいていた。
灯也自身はアイドルに興味がないとはいえ、他人のああまでわかりやすい二面性を見せられると、やっぱり思うところはいろいろあったりする。
それは感心だったり、新鮮さだったり……感情が動くというのは、それだけ気疲れすることにも繋がるわけで、まだ午後の授業が残っているのにぐったりした気分だった。
(そういえば、昨日はどうして叫んでいたんだろうな)
今さらになって聞くのもアリだったかと思いつつ、すぐに自分が気にすることじゃないなと切り替えるのだった。