君のガチ恋距離にいてもいいよね? ~クラスの人気アイドルと気ままな息抜きはじめました~
第七話 アイドルたるもの
「どうしてこうなった……」
週末の夕方。
灯也は嘆きながらも、都内の大型ホールを訪れていた。
周囲はごった返すほどの人の群れ。
何せ今日はこの会場で、姫野雫が所属するアイドルグループ《プリンシア》のライブイベントが開催されるからである。
きっかけは二日前――夏希から「ライブへ一緒に行く予定だった子が無理になったから、チケットが余るし付き合って!」と誘われたのだ。
思えば夏希が久しぶりに話しかけてきたのも、このライブイベントへ一緒に行く相手を求めていたからかもしれない。
「うっし! 必要な物は物販で揃えられたし、あんたも着替えて準備万端ね!」
灯也と夏希はライブTシャツやタオルを身に付け、すっかりファンらしい姿になっている。開場の二時間前から始まっていた物販で、長蛇の列に並んだことでゲットした戦利品だ。
夏希の指示通りにしたことで、灯也までもが周囲に馴染んだ恰好になっていた。
「チケット代がタダなのは有り難いけど、Tシャツやらペンライトで十分痛い出費だぞ」
再び嘆く灯也に対し、常時ハイテンションな夏希は嬉々として言う。
「そのためのアルバイトでしょうが。むしろ稼いだバイト代を使う機会を与えてやったうちに感謝してほしいくらいだわ」
「まあ物販のことはさておき、何が悲しくて同級生と一緒にクラスメイトのライブに参加しなきゃいけないんだかな……」
「いいから行くわよ! 席も結構いい位置なんだから、楽しみにしときなさい」
「はいはい」
半ば強制とはいえ、こうやって休日に来ている時点で灯也も観念はしているのだが、いかんせん心残りというか、引っかかっていることもある。
それは雫に対し、ライブへ参加することを伝えられていない点だ。
夏希に誘われたのが急だったことと、雫の連絡先を知らないという理由があるので、仕方がないことではあるのだが、灯也としてはどうにも気がかりだった。
とはいえ、雫本人に言わなきゃバレないだろうと思いつつ、自分たちの席に移動する。
「立つのはオッケー、ペンラを振るときは気をつけて。それからコールだけど、送った動画の内容はちゃんと覚えてきたよね?」
「一応覚えてきたけど、やるつもりはないぞ?」
「……まあいいか。初心者にルールを押しつけて、厄介オタク扱いをされるのも癪だしね」
灯也からすれば、夏希はすでに十分な厄介オタクだということは思っていても言えまい。
厄介なオタクというものは自覚がないからこそ厄介で、いろんな意味でバイタリティの塊なのだということを、ここ数日で学ばされた。……いや、夏希だけが例外なのかもしれないが。
辺りを見回すと、わかってはいたことだが自分たちと同じような恰好をしている者ばかりである。
ライブ参加者の年齢層は幅広く、さすがに男女比はやや偏っているものの、それでも多くの支持層がいることを実感させられた。
(これが全員、姫野のファンなんだもんな……まさに圧巻の光景だ)
その光景に改めて感心していた灯也だが、イベント開始まではまだ時間があったので、隣に座る夏希に話しかけることにした。
「金井はさ、いつから姫野のファンになったんだ? さすがに高校入ってからだよな?」
「ファンになったのは半年くらい前かな。……ちょうど、あんたが部活をやめた頃よ」
「そうか。きっかけは?」
「なんかもう全部どうでもいいやってなったときに、《プリンシア》の【君だけのプリンセス】って曲を聞いてさ、めっちゃ刺さったんだよね。――あぁ、このお姫様達だけは、うちに寄り添ってくれるんだ……ってね。とにかく元気というか、生きる活力をもらったのよ」
「へぇ」
「中でもシズクちゃんはね、顔が好みなのよ。あんな顔になれたらって心底憧れる。しかもそれだけじゃなくて、生き様までもがかっこいいっていうか」
「かっこいい?」
意外な単語が出てきたが、夏希はうんうんと頷いてみせる。
「だってシズクちゃんってば、トラブルが起きても全然動じないし、いつもニコニコなのに、大事なときにはバシッと決めてくれるんだよ? もう完璧すぎて一生ついていきます! って感じよ」
「なるほどな」
灯也の知っている雫とはだいぶ異なる印象だが、夏希に元気や活力、そして憧れを与えている時点で、アイドルの姫野雫はすごいものだと感心する。
夏希は語り過ぎたと思ったのか、気恥ずかしそうに姫野雫の缶バッジを眺めてから、笑顔になって続ける。
「要するに《プリンシア》は――というか姫野雫ちゃんは、うちの恩人ってわけ!」
「恩人、ね。学校では話したりするのか?」
「話せるわけないでしょ。同じ学校とはいえ、遠目に見るのだって基本は遠慮してるわよ。この前だって、あんたの教室に行ったときも内心ではドキドキして冷や汗やばかったんだから」
「そういうもんか」
「それにうちはあくまでアイドル・姫野雫のファンであって、プライベートではご迷惑にならないよう一線を引いているというか、そういう距離感は大切にしたいのよ」
なるほど、夏希には夏希なりの距離感があるらしい。
これがファンの鑑というやつか、と灯也は素直に感心していた。
「ちなみに《プリンシア》って三人いるけど、やっぱり金井のイチオシは姫野なんだな」
「ええ。シズクちゃんは絶対的な不動のセンターで、この世の至宝、百億年に一人の伝説的な美少女アイドル――あの女神で天使なお姿は、ありとあらゆる事象を癒し尽くしているわ!」
アイドルグループ《プリンシア》の構成メンバーは、不動のセンターでピュアピンク担当の姫野雫のほか、パチパチイエロー担当の岸ゆいな、フレーバーブルー担当の青峰薫子が所属している。
わかりやすくタイプ分けをすると、姫野雫が清純派、岸ゆいなは元気系、青峰薫子はお色気担当といったところだ。
やはりこの中でも姫野雫の人気・知名度が凄まじく、ほぼ彼女が一強でグループの看板と化している状態だが、大きなライブイベントをグループとしていくつも成功させているので、他のメンバー二人も十分にすごいアイドルと言えるだろう。
「まあ要するに、やっぱり顔が好みってわけか」
「夢のない言い方をするとそうなるわね。てか、オーラもやばいから! 声も、歌も、ダンスも、仕草一つ取っても全てが最高!」
「結局全部なんじゃないか」
「当たり前でしょ! 存在そのものが尊いっての」
鼻息荒く食い気味で語る夏希を見て、灯也はどこか眩しいものを見ているような気分になる。
何かに熱中する姿というのは、それだけで他者を感化させるほどにエネルギッシュだ。
だから灯也も、自然とボルテージが上がってきた気がした。
「ほら、そろそろ始まるわよ」
夏希の言葉通り、間もなく会場内が暗転する。
先ほどまで騒いでいた観客たちは静まり返り、場内は明るいBGMが流れるだけの異様な雰囲気に包まれた。
そしてイントロが流れ始めたかと思えば、観客たちが一斉に「三、二、一――」とカウントダウンを始め――
「「「――続いていく~、どこまでも~♪」」」
歌声とともにステージ上に現れたのは、華やかなアイドル衣装に身を包んだ《プリンシア》の三人だった。
その瞬間、場内の熱気が爆発する。
「みんなーっ、今日は来てくれてありがと~!」
スポットライトに照らされながら、アイドル・姫野雫が声を上げる。
ピンクの衣装に彩られた姫野雫はセンターに立ち、イヤーマイクを通して大声で言うと、観客たちが熱狂するように声を上げた。
最初の曲は、誰もが知っているような《プリンシア》の代表曲。
灯也は生のコール&レスポンスというものを初めて見たが、ここまで会場に一体感が生まれるとは思いもしなかったので、素直に驚いていた。
その後も会場の熱気はそのままに、合計三曲の歌が披露された後、メンバーたちのMCコーナーに移った。
「やっほ~! ピュアピンク担当のシズクだよ~! 今日もい~っぱい楽しんでいこ~っ♪」
姫野雫の明るい声色が会場中に響き渡る。
ステージ上に立つ彼女は見知った姿のはずなのに、なぜだかとても遠い存在に感じられて、灯也は言い知れぬ心細さを覚えていた。
メンバーの挨拶が終わった頃、観客の掲げるペンライトの色に偏りがあることに気づく。
ピンクが八割、黄色と青が残り一割ずつといった割合だ。これが推しのメンバーカラーを表しているのだとしたら、やはりピンクの雫に人気が集中しているということになる。
隣の夏希も『一生シズク推し! ピースして!』と書かれたうちわとともに、ペンライトをピンク色にして掲げていた。
灯也の方もペンライトをピンク色に点灯させて、とりあえず掲げてみる。
しばらくはメンバーの軽いトークが続いたが、一区切りついたところで雫が前に出てきた。
「それじゃあ、続いての曲にいっちゃおうと思うけど、みんな準備はいいかな~?」
雫の問いかけに、観客は大声で返す。
「「「次は、この曲ですっ!」」」
アイドル三人が揃って口にした直後、イントロが流れ始める。
場内がとんでもない盛り上がりを見せる中、灯也はその熱気に飲み込まれていった――。
――――
「――ダーイスキだよっ☆」
巨大スクリーンに映る姫野雫がウインクを飛ばし、指だけでハートマークを作る。
一瞬の間を置いたのち、
「「「「「ワァ――ッ!!」」」」」
場内に割れんばかりの歓声が巻き起こった。
姫野雫のパフォーマンスはファンの心を鷲掴みにし、会場のボルテージは最高潮に達する。
「がわいずぎるよぉ~~~~っ」
隣の夏希は鼻水を垂れ流しながら号泣しており、それを見た灯也はティッシュを差し出す。
「すごいんだな、アイドルの姫野雫って」
灯也も素直に感想を述べると、夏希はうんうんと物凄い早さで頷いてきた。
ステージ上で綺羅星の如く輝く姫野雫は、抜けるような透明感と華やかな可愛らしさを併せ持ち、キュートな歌声とキレのあるダンスにより、唯一無二の存在として異彩を放っていた。
これは誰もが称賛するのも納得のパフォーマンスとエンターテインメント性だと、素人目にも理解させられる。
……けれど、そんなトップアイドルを遠目に眺める灯也は、やはりどこか心細いような、物寂しい気持ちを抱いていて。
この気持ちの出どころがなんなのか、言葉では言い表せない複雑な心境だった。
もちろん、素顔はクールでサバサバとした雫が、今やアイドル姿で『ダイスキだよ☆』なんて言ってくれていると思うと、そのギャップに悶えそうにはなる。
しかもこのギャップは、およそ灯也しか知り得ないもの。優越感がないと言えば嘘になる。
だからこそ灯也は、自分がなぜこんなに微妙な気持ちになっているのかがわからなかった。
「――次はこの曲いくよ~っ! 【わたしサマ☆サマバケーション】!」
そうこう考えているうちに、次の曲が始まったようだ。
変な曲名だなと灯也は思っていたが、ファンたちは誰もがそのアップテンポなサウンドに魅了されているようで、場内はこれまで以上の大盛り上がりを見せている。
雑念のせいで、いまいち乗り切れない灯也はボーッとステージ上の雫を眺めていたのだが、
「「――ッ」」
そのとき、雫と目が合った。
間違いない、今ステージ上の雫と灯也は完全に目が合っている。
雫はほんの一瞬だけ、驚きに目を見開いた後、
――あはっ。
吹き出すように笑ったかと思えば、右手でグーサインを向けてきた。
その無邪気な笑顔とグーサインは、いつぞやの夜に見せた素顔の彼女を想起させて、灯也の鼓動をどくんと高鳴らせる。
特大のファンサを――しかも素顔の雫が見せるような笑顔でもらったことで、灯也は得も言われぬ興奮を覚えていた。
この高鳴る鼓動の意味はよくわからないが、代わりにわかったこともある。
あそこにいるアイドルは、自分の知っている彼女と同一人物なのだと。
このときようやく、灯也は確信を持てたような気がした。
――――
「んぎゃ――っ! さっきの見た!? うちにファンサしてたよね!? やばすぎぃ!」
そうしてライブが終わっても、夏希は興奮ぎみに騒いでいた。
灯也はTシャツの袖をぎゅうぎゅう引っ張られながらも、「ああ……」と半ば放心状態で反応することしかできずにいた。
「でも、シズクちゃんのあんな笑顔は初めて見たかも……ほら、【わたバケ】のときにさ、なんか子供っぽい笑顔っていうか、素の自然体な感じがしなかった?」
「そ、そうか?」
「なんでトーヤが動揺してるの?」
「いやまあ、動揺とかはしてないけど」
「はは~ん、さてはあんたも勘違いした口ね?」
「勘違い?」
思わず聞き返す灯也に対し、夏希はドヤ顔で言ってみせる。
「こんな広い会場でファンサをもらえるなんてレア中のレア。仮にもらえたとしても、周りに人はいっぱいいるし、そもそも固定ファンサでもない限りは自分にしてくれたとは言い切れないでしょ? だからこそ、みんな勘違いをするものなのよ、『今のファンサ、オレにしてくれたんじゃないか?』ってね。実際は個人にしたかも不明なのにさ」
「じゃあ、さっきの金井も勘違いだとわかっていながら喜んでいたわけか」
「こういうのはノリだからね~。極論、アイドルと同じ空気を吸えているだけでも有り難いと思わなくっちゃ」
「ははは……なるほどな」
灯也は内心だとそのノリに全然付いていけてなかったが、下手に口を出すと面倒なことになりそうだったので、ひとまず流すことにした。
「んじゃ、立つ鳥跡を濁さずって言うし、ちゃんと忘れ物がないよう確認してから撤収するわよ」
「だな」
心底満足そうな夏希とともに、忘れ物がないか確認してから会場を出る。
外はすっかり夜の暗さだった。他の観客たちは興奮冷めやらぬ様子で、駅までの帰り道中はしばらく熱気溢れる人々に囲まれる状態が続く。
そうして電車を乗り継いで、ようやく自宅方面の最寄り駅に戻ってきた。
夏希とはここから別方向のはずだが、何か言いたげな様子でこちらを見つめている。
なので灯也の方から、今日のお礼もかねて声をかけることにした。
「今日はおつかれ。金井に誘ってもらえたおかげで、良い経験ができたよ。ありがとう」
「う、うん、ならよかった。トーヤも、シズクちゃんのファンになった?」
「……いや、悪いけどファンになったって感じはしないかな。良い経験だと思ったのは本当だし、ちゃんと楽しめたけどさ」
「推し活の仲間にはならなかったか~。……でも、久々にこうやって一緒に楽しめたし、また誘っていい?」
「ああ。行くかどうかはそのとき次第だけどな」
灯也がそう答えると、夏希は嬉しそうに笑ってみせた。
「それでいいわよ。じゃ、また学校でね」
「おう、気をつけて帰れよ」
灯也はその背が見えなくなってから、ゆっくりと歩き出す。
夏希に語ったことはおおよそ本当のことで、灯也はべつにアイドル・姫野雫のファンになったわけじゃない。
ライブ中に鼓動が高鳴ったのも、ふいのタイミングで素顔の雫を垣間見られたからこそだろう。
それに夏希からの誘いの答えを濁したのだって、これから雫にどう言われるか次第というか、今後来るのを嫌がられれば行かないと決めているからであって……
「って、俺は何に言い訳をしているんだか」
自分でも呆れながら、頭上の月を仰いでため息をつく。
明日からはまた学校で、雫とは顔を合わせることになるはずだ。
そうなったとき、ライブへの無断参加について何か言われるだろうか。
灯也は妙な緊張感を覚えつつ、帰路を急ぐのだった。