「……おぼえて……覚えておけ……例え殺されようが、俺は貴様らのようなマフィアの存在は認めないぞ……いつか俺が…お前らを排除してやるからな………! 絶対にだ!」
二人の背後から、やっと搾り出したと思われる警部補の声が聞こえて来る。
「あー、我々は『マフィア』ではありませんよ」
もはや振り返りもせず、手を軽く振りながらマイザーが答える。
その後をフィーロが続けると、二人はその姿を雑踏に紛れ込ませて行った。
「俺達は───『カモッラ』だ」
二人の去った路地裏で、警部補が拳をワナワナと震わせている。
「あの……警部補殿、そろそろ署に戻りましょう」
そこへ、先ほど証拠品の押収を行っていた警官の一人がやって来た。
「……今まで何処に行っていた」
「あ……いえ…車の中で皆と待っておりましたが、中々お見えにならないもので……」
「ふざけるな! あの出納係にビビって、今までここに入って来れなかっただけだろう!」
「そ、そんな事は……」
警官の顔色が青く染まる。それが、警部補の推測の正しさを伝えていた。
「貴様らそれでも警察官か! 俺達の仕事は何だ? 合衆国の法と市民の安全を護る事だろうが! その両方を脅かす連中に、俺達まで怯えちまってどうするつもりだ!」
新品に近い革靴を、何度も何度も赤煉瓦の壁に蹴りつける。
今の言葉は、自分自身にも当てはまる。それが彼を一層苛立たせていた。
「マイザー・アヴァーロ………フィーロ・プロシェンツォ………前々から気に入らん奴らだったが、いつか必ずこの手で破滅をもたらしてやるぞ!」
いきり立つ警部補を静めようと、愚かな警官は余計な冗談を付け加えた。
「その科白、まるで小説に出て来るマフィアみたいですね」
エドワードはボロボロになった革靴で、部下の脛を思いきり蹴り飛ばした。
⇔
「俺達、排除されちゃうらしいですよ」
「いや怖い怖い、ああいうタイプの人間は本当に執念深いですからね。まあ、警官は執念深い方が信用できますけど」
フィーロとマイザーの二人が、顔を見合わせ小さく笑った。
「俺らが警官信用してどうするんすか」
路地裏から抜け出した二人は、リトルイタリーとチャイナタウンの間を通って、マンハッタン橋の方へと向かっていた。帽子を買う為にあの店で待ち合わせたのだが、「ケチがついた」という事で別の店に向かう事にしたのだ。
「どうせこっちに来るんだったら、いい店を知ってますよ」
このマイザーの言葉により、二人は小一時間程歩く事となる。
「ミュージカルはいいですよねえ……オズの魔法使いに出て来る『いい魔女』って、普段何をやって暮らしてるんでしょうねえ」
マイザーという男は、実に『カモッラらしくない』男であった。
喧嘩はしない、怒鳴りもしない、いつもニコニコしている、誰に対しても敬語を使う。およそ暗黒街の住人の要素を持ち合わせない人間に思えた。普段の街中だけならば、本当の自分を世間に隠しているのかとも思えるが、組織の集会や部下に指示を伝えるときですらこの調子である。
カモッラとマフィアが比較された場合、『カモッラの方がより暴力的である』と言われる場合が多い。だが、マイザーからはそんな荒廃した雰囲気の片鱗すら窺えない。
組織の中で読み書きと計算が一番達者だったということで『出納係』に任命されたという話だが、幹部以前に『組織』にいる時点でおかしい人間なのだ。少なくともフィーロはそう感じていた。
組織の下っ端の中には、彼の事を『臆病者』とか『白旗計器』等と言って蔑む者すらいる。フィーロは彼の事を嫌いではなかったので何かと庇い立てもするが、いかんせん本人がこれでは説得力の欠片も無い。
「ああ、見えて来ましたよ。あそこはちょっとした馴染みの店でしてね」
マンハッタン橋が見える大通り、その中に佇む古びた帽子屋があった。
中に入ると年老いた店主が一瞥を寄越したが、いらっしゃい等といった声がかかる事はなかった。大通りにある店の割には無愛想な店主だったが、店内の品揃えの多さを考えればどうでもいい事だと思えた。そこは帽子とベルトの専門店だったが、あまりの品物の多さに、フィーロは軽く驚嘆の声をあげた。
「すごいっすね………」
壁という壁に帽子がかけられていた。いや、帽子によって壁が見えなくなっているので、本当にその裏側に壁があるのだろうかと思える程の量であった。無論壁だけではなく、店に並ぶ棚にも大量の帽子が陳列されており、レジの周囲には、ベルトがまるで壁紙のようにびっしりと垂れ下げられていた。
「本当に、いつ見ても凄いですね……この中から君に一番選ぶ帽子を見立てろっていうんですから。……すみませんが、ちょっと時間がかかるかもしれませんよ?」
「滅相も無いです。いつまでだって待ちますよ」
軽く頭を下げると、自らも帽子の山に見入り始めた。
通常カモッラという組織において、『カモッリスタ』と呼ばれる幹部に昇進する際、当該者には『昇進の儀式』の夜まで知らされる事は無い。だが、彼らのファミリーには他のカモッラとは違う風習があった。当該者には前日に知らせが届き、『儀式』の日の朝に、特定の幹部と共に帽子屋へ赴く。そして、幹部は今晩から自分達と同列に並ぶ幹部の為に、その者に一番似合う帽子を見立てるのだ。
別に特別な意味があったわけでは無い。現在の組織を束ねるモルサ・マルティージョがこのニューヨークでファミリーを旗揚げした際に、初期のメンバーの一人ひとりに帽子を贈った事から始まった慣例、それだけの事だった。
それでも、これから幹部になろうというフィーロにとっては帽子選びも重要な『儀式』の一端であり、軽い緊張と高揚感を持ってこの場に望んでいた。
マイザーと帽子を見ているうちに、先刻の事件や、いけ好かない警部補の事はすっかり頭の中から消えてしまった。今の彼にあるのは、今夜行われる儀式に対する期待と緊張の交錯のみだ。
「これなんか、いいんじゃないですか」
フィーロの頭に帽子が被せられる。
パールグリーンの中折帽。ドアの方からの光が反射して、淡く輝いて見える薄い緑色。それは少年の色白な肌と調和して、まるで一枚の絵のような印象を与える。一転して光が当たらない場所に移動してみると、光を失った緑は急に暗い色へと変貌し……白い顔とのコントラストがはっきりとして、見た者に引き締まった印象を与える。
「これは…いいですよマイザーさん! これ、きっと俺にピッタリです!」
それは『出納係』に対する気遣いなどではなく、純粋な喜びだった。店内の大きな鏡で見ると、自分がまるで別人になったように思える。コートも同じ色で揃えたいと思った。少々…いや、かなり目立つかも知れないが構うものか。
鏡を覗く少年は、実に嬉しそうに笑った。その顔からは、先刻強盗の物乞いに皮肉を言ったり、顔面に容赦無く拳を放る姿は想像できなかった。
彼がこんな顔を見せたのは、頭領にファミリー入りを許された日以来であった。
帽子を購入する時も、相変わらず店主は無言だった。黙々と商品を袋に入れ、帽子の値札をもとに金の受け渡しは行われた。マイザーが軽い時節の挨拶をした際でも、無言のままジロリと一瞥をよこすだけだった。