バッカーノ! The Rolling Bootlegs

『1日目』 ④

「……おぼえて……覚えておけ……例え殺されようが、おれさまらのようなマフィアの存在は認めないぞ……いつか俺が…お前らを排除してやるからな………! 絶対にだ!」


 二人の背後から、やっとしぼり出したと思われる警部補の声が聞こえて来る。


「あー、我々は『マフィア』ではありませんよ」


 もはや振り返りもせず、手を軽く振りながらマイザーが答える。

 その後をフィーロが続けると、二人はその姿をざつとうまぎれ込ませて行った。


「俺達は───『カモッラ』だ」



 二人の去ったうらで、警部補がこぶしをワナワナと震わせている。


「あの……警部補殿、そろそろ署に戻りましょう」


 そこへ、先ほど証拠品のおうしゆうを行っていた警官の一人がやって来た。


「……今までに行っていた」

「あ……いえ…車の中で皆と待っておりましたが、中々お見えにならないもので……」

「ふざけるな! あの出納係コンタユオーロにビビって、今までここに入って来れなかっただけだろう!」

「そ、そんな事は……」


 警官の顔色が青く染まる。それが、警部補の推測の正しさを伝えていた。


さまらそれでも警察官か! おれ達の仕事は何だ? 合衆国の法と市民の安全をまもる事だろうが! その両方をおどかす連中に、俺達までおびえちまってどうするつもりだ!」


 新品に近いかわ靴を、何度も何度も赤れんの壁にりつける。

 今の言葉は、自分自身にも当てはまる。それが彼を一層いらたせていた。


「マイザー・アヴァーロ………フィーロ・プロシェンツォ………前々から気に入らんやつらだったが、いつか必ずこの手で破滅をもたらしてやるぞ!」


 いきり立つ警部補を静めようと、愚かな警官は余計なじようだんを付け加えた。


「その科白せりふ、まるで小説に出て来るマフィアみたいですね」


 エドワードはボロボロになった革靴で、部下のすねを思いきりり飛ばした。


    ⇔


「俺達、排除されちゃうらしいですよ」

「いや怖い怖い、ああいうタイプの人間は本当にしゆうねん深いですからね。まあ、警官は執念深い方が信用できますけど」


 フィーロとマイザーの二人が、顔を見合わせ小さく笑った。


「俺らが警官信用してどうするんすか」


 うらから抜け出した二人は、リトルイタリーとチャイナタウンの間を通って、マンハッタン橋の方へと向かっていた。ぼうを買う為にあの店で待ち合わせたのだが、「ケチがついた」という事で別の店に向かう事にしたのだ。


「どうせこっちに来るんだったら、いい店を知ってますよ」


 このマイザーの言葉により、二人は一時間程歩く事となる。


「ミュージカルはいいですよねえ……オズの魔法使いに出て来る『いい魔女』って、普段何をやって暮らしてるんでしょうねえ」


 マイザーという男は、実に『カモッラらしくない』男であった。

 けんはしない、りもしない、いつもニコニコしている、誰に対しても敬語を使う。およそ暗黒街の住人の要素を持ち合わせない人間に思えた。普段の街中だけならば、本当の自分を世間に隠しているのかとも思えるが、組織の集会や部下に指示を伝えるときですらこの調子である。

 カモッラとマフィアが比較された場合、『カモッラの方がより暴力的である』と言われる場合が多い。だが、マイザーからはそんな荒廃した雰囲気のへんりんすらうかがえない。

 組織の中で読み書きと計算が一番達者だったということで『出納係コンタユオーロ』に任命されたという話だが、幹部以前に『組織』にいる時点でおかしい人間なのだ。少なくともフィーロはそう感じていた。

 組織のしたの中には、彼の事を『おくびよう者』とか『しろはた計器』等と言ってさげすむ者すらいる。フィーロは彼の事を嫌いではなかったので何かとかばい立てもするが、いかんせん本人がこれでは説得力の欠片かけらも無い。


「ああ、見えて来ましたよ。あそこはちょっとしたみの店でしてね」


 マンハッタン橋が見える大通り、その中にたたずむ古びたぼう屋があった。

 中に入ると年老いた店主がいちべつを寄越したが、いらっしゃい等といった声がかかる事はなかった。大通りにある店の割には無愛想な店主だったが、店内の品揃えの多さを考えればどうでもいい事だと思えた。そこは帽子とベルトの専門店だったが、あまりの品物の多さに、フィーロは軽く驚嘆の声をあげた。


「すごいっすね………」


 壁という壁に帽子がかけられていた。いや、帽子によって壁が見えなくなっているので、本当にその裏側に壁があるのだろうかと思える程の量であった。無論壁だけではなく、店に並ぶ棚にも大量の帽子が陳列されており、レジの周囲には、ベルトがまるで壁紙のようにびっしりと垂れ下げられていた。


「本当に、いつ見てもすごいですね……この中から君に一番選ぶ帽子を見立てろっていうんですから。……すみませんが、ちょっと時間がかかるかもしれませんよ?」

めつそうも無いです。いつまでだって待ちますよ」


 軽く頭を下げると、自らも帽子の山に見入り始めた。

 通常カモッラという組織において、『カモッリスタ』と呼ばれる幹部に昇進する際、とうがい者には『昇進の儀式』の夜まで知らされる事は無い。だが、彼らのファミリーにはほかのカモッラとは違う風習があった。当該者には前日に知らせが届き、『儀式』の日の朝に、特定の幹部と共に帽子屋へおもむく。そして、幹部は今晩から自分達と同列に並ぶ幹部の為に、その者に一番似合う帽子を見立てるのだ。

 別に特別な意味があったわけでは無い。現在の組織を束ねるモルサ・マルティージョがこのニューヨークでファミリーを旗揚げした際に、初期のメンバーの一人ひとりに帽子を贈った事から始まった慣例、それだけの事だった。

 それでも、これから幹部になろうというフィーロにとっては帽子選びも重要な『儀式』の一端であり、軽い緊張と高揚感を持ってこの場に望んでいた。

 マイザーと帽子を見ているうちに、先刻の事件や、いけ好かない警部補の事はすっかり頭の中から消えてしまった。今の彼にあるのは、今夜行われる儀式に対する期待と緊張のこうさくのみだ。


「これなんか、いいんじゃないですか」


 フィーロの頭に帽子がかぶせられる。

 パールグリーンのなかおれぼう。ドアの方からの光が反射して、淡く輝いて見える薄い緑色。それは少年の色白な肌と調和して、まるで一枚の絵のような印象を与える。一転して光が当たらない場所に移動してみると、光を失った緑は急に暗い色へとへんぼうし……白い顔とのコントラストがはっきりとして、見た者に引き締まった印象を与える。


「これは…いいですよマイザーさん! これ、きっとおれにピッタリです!」


 それは『出納係コンタユオーロ』に対する気遣いなどではなく、純粋な喜びだった。店内の大きな鏡で見ると、自分がまるで別人になったように思える。コートも同じ色で揃えたいと思った。少々…いや、かなり目立つかも知れないが構うものか。

 鏡をのぞく少年は、実にうれしそうに笑った。その顔からは、先刻ごうとうの物いに皮肉を言ったり、顔面にようしや無くこぶしを放る姿は想像できなかった。

 彼がこんな顔を見せたのは、とうりようにファミリー入りを許された日以来であった。




 帽子を購入する時も、相変わらず店主は無言だった。黙々と商品を袋に入れ、帽子の値札をもとに金の受け渡しは行われた。マイザーが軽い時節のあいさつをした際でも、無言のままジロリといちべつをよこすだけだった。