WORLD END ECONOMiCA I

第一章 ⑤

「おい、地球野郎。似たような店に心当たりはないのか?」


 月面都市は中心部のてんろう群から、同心円状に街並みが形成されている。

 この辺りは周辺部もいいところで、遠心力の吹きまりだ。

 似たような店の一軒や二軒くらい、あるはずだった。


「それが人にものを聞く態度かね」

「その分、金は払ってるつもりだ」


 チップみたいな非合理な習慣は月面にはないが、地球産の映画でたうらぶれた通りでは、いつもそれが大きな効果を発揮していた。

 アフロ野郎はがしがしと頭をいて、肩をすくめた。


「ったく、月野郎は生意気なくそばっかりだな」

「大きなお世話だ」


 吐き捨てる俺に対し、アフロはどこか楽しげだ。

 こういう場所の、違法すれすれの店で働いているやつの余裕かもしれない。

 あるいは、重力が月の六倍の地球から来た、落ち着きというやつだろうか。


「とはいえ、お前は確かにうちのお得意様だからな、むげにはしたくねえが……他の店に行って、そっちに居つかれてもなあ」

「ああ?」


 金の要求かよ、と俺は眉をひそめながらも、支払うしかない。むしろ金で解決できるならそうすべきだ。

 俺は喉の奥でうなりながら、命と同じくらい大切な金を、ズボンのポケットから取り出そうとしたら、大きなアフロがもさりと動く。

 そして、店員の手には、メモ用紙があった。


「ここに行けよ」

「……は?」


 このごせいに、メモ用紙。地球で言えば、魚屋でシーラカンスを売るようなものだろう。

 俺はそれを受け取りつつ、いぶかしがった。


「住所? お前の家か?」

「俺の家は絶賛くんせい中だ。違う」


 やっぱりこの店員は店に住んでいるらしい。月面の中でも相当のらく者だ。


「じゃ、なんだ? 役所のふく課かなんかか」

「んあ、まあ、似たようなもんかな」

「はあ?」


 まさか家出をやめて家に帰れなんて説得するつもりかと思ったが、アフロの店員は再びゲーム機に戻りながら、言った。


「昔、俺も世話になったところでな。お前みたいなのをかくまうのが趣味な奴がいんだよ」

「……」


 夢を追いかける場所、と言えば聞こえはいいが、要ははいきん主義のせいで金色に輝いているようなこの月面で、そんなとくな奴がいるものかと耳を疑った。

 しかし、店員が特になにかをたくらんでいるようにも見えない。


「店の燻製が終わるくらいまでは泊めてくれるだろ。俺からも連絡入れといてやるから」


 そう言われても、メモを手にしたまま動かない俺に、アフロはいたずらっぽく笑っていた。


「まあ、怪しいよな。わかるぜ。俺も最初は信じられなかったからな」

「ここになにがあるんだよ」

「さてね」


 俺が尋ねても、アフロははぐらかす。


「だが、行けばわかる」

「おい、真面目に──」

「俺たちは、そうやって月に来たんだぜ」


 アフロの下から、思いのほか鋭い視線が向けられて、俺は言葉を続けられなかった。

 だが、アフロはすぐに視線を緩めると、半笑い気味に言った。


「お前みたいなすさんだ小僧に必要なのは、他人のこうを受け入れる余裕というやつだ。こんな場所で働いている、俺みたいなやつにできる数少ない助言だ」

「……」


 アフロはそう言って、ゲームに舞い戻る。

 ぴこぴこという、いかにも古臭い電子音が、妙に大きく響いている。


「ああ、それと、店が開いたらすぐ戻って来いよ。稼ぎがないと飢え死にだからな」


 不敵な笑みは妙な厚みを持っていた。こういう場所で長く暮らしている地球人によく見られる特徴だった。彼らのほとんどが、重力のきつい、ろくなことのない地球から、苦労の果てに月面にやってきている。たとえ月面でせつしたとしても、なにかしらの重みが感じられる。

 俺は、そこのところにわずかながら敬意を表し、メモをポケットにしまってやった。


「いたずらだったら、ここから下に投げ落とすからな」

「へっ。このアフロがあればたいけんから落ちてってもしねえよ」

「言ってろ」


 俺は吐き捨て、鉄製のさくに足を乗せた。


「階段使えよ」


 アフロが、視線も向けずに言ってくる。


「ちまちまそんなことしてられるか。俺は忙しいんだ」

「いいね。どこまでも飛べ、月野郎ってか」


 明らかなからかいだったが、なぜかそこには本当に励ましのようなものが感じられた。

 俺はついそちらを振り向き、動きが止まる。

 すると、アフロがもさりと動き、視線が向けられる。


「どした?」

「なんでもねえよ」


 ぶっきらぼうに答え、ぐいっと体を柵の上に持ち上げて、向かい側のビルに向かって飛んだ。

 反対側のビルの壁に飛びつき、再び壁を蹴る時に見ると、踊り場から俺のことを見上げていた店員が笑っているように見えた。


「どこまでも飛べ、か」


 俺には夢があった。俺の夢は、前人未踏の地に立つことだ。

 そこは前しか見る場所がなく、進むことで存在するこの世の端なのだ。

 そして、その夢が実現しなければ、俺は生きている意味がないと本気で思っていた。

 俺が心配するのは金がどれだけ増えて、どれだけ早く目標に達するかであり、手段を選んだり、後ろを振り向いている場合ではない。あのアフロの言うとおり、どこまでも飛ばなければならない。誰よりも早く、誰よりも高く。

 俺は風の中で鼻を鳴らし、書かれた住所に向かったのだった。



 月面都市をおおう半透明の膜の向こうには、白くかすみがかった半分の地球が小さく見えていた。

 膜は月面都市の頭上を覆うドームで、その先は即宇宙空間になっている。ドームのおかげで空気が保たれ、しかも昼も夜も演出してくれる、いわば月面の空だった。

 ちなみに昼と夜は、地球の基準にあわされている。月は地球と違い、二週間の昼と二週間の夜が交互にやってくるのだが、何万年と地球で暮らしてきた人間の生命サイクルはそんなふうになっていない。地球からの移民がほとんどの月は、地球と同じ環境になるように調節されている。なお、無数のスプリンクラーも付いているので、雨だって降る。

 ただ、しや降りだとからいだとかいうのは、動画の中でしか見たことがない。

 ここで降るのはいつもきりさめだし、大風だって吹いたことがない。遠心力とコリオリ力による緩やかでまとわりつくような大気の移動と、機械的にドーム内の空気をじゆんかんさせるための柔らかな風だけだ。

 俺はそんな月面都市の周辺部を駆け抜け、ビルからビルに飛び移り、草の生えた崖下にたどり着く。月面都市は月の巨大なクレーターにドームをかぶせて作られているので、端っこのこの辺りには、こういった崖が多い。大抵、区画もこの手の崖を境界線に区切られていて、メモ書きにあったのはこの崖の向こうになる。

 回り込むのは遠回りだったし、この崖の上には気晴らしによく訪れるので、知らない場所ではない。俺はひざを曲げ、崖に飛び移り、駆け上がった。低重力の月面ならではだ。

 最後に木の枝を蹴って体を回転させ、崖上の道に出ると、正面にはトンネルがある。まだ都市が建設中だったころの遺物らしく、今となるとなぜこんな崖上にトンネルがあるのかわからない。道そのものは今も使われているが、下からはかなりの高低差があるので、めつに人は通らない。

 俺はその道からさらに跳躍して、トンネルの上に着地する。

 ここは月面都市の大部分を見渡すことができる、特等席だった。

 かばんからビーフジャーキーを取り出し、口にくわえた。地球から来た連中に言わせると似ても似つかないものらしいが、俺の知っているビーフジャーキーとはこれのことだ。

 月面都市、といっても本当は月の上にいくつかあり、俺が見渡しているのはその中でも最初に作られた都市で、自分が生まれた街でもある。

 人口は約七十万ほどで、観光客やらもろもろを入れると常時百万人ほどになるらしい。