WORLD END ECONOMiCA I

第一章 ⑦

 息が止まった。まさかここに来るまでに、誰かに通報されていたのか? なんにせよ、ここにいるのはまずい。

 玉突きのように思考が進み、俺は辺りを見回して窓に飛びついた。

 しかし、立て付けの悪い窓はなかなか開かない。それに、今にも入り口からこっちに回って警官が中の様子をのぞきに来そうだった。

 あたふたと周辺を見回すと、視線が一点に吸い寄せられた。

 演台の手前でさくにふけっていた少女もまた、顔を上げていて、俺と目が合った。

 こうの猫を思わせる、あまりにもれいな黒い瞳だった。


「警察です! もしもーし!」


 俺と少女のかいこうは、その一言に吹き飛ばされる。

 それに、少女も相変わらずの気難しそうな顔だが、明らかに慌てていた。こんな時間にこんなところにいるのだから、まともに学校に通っていない、ある種お仲間なのだろう。

 俺は警官がノックする扉と、少女とを見比べ、視線が第三の場所に向けられた。

 磔像の下の演台だ。

 一段高くなっている舞台に足を乗せ、わずかに躊躇ためらってからまどったままの少女の二の腕をつかむ。細い腕で、思い切り力を入れたら折れてしまいそうだった。

 少女は驚きに目を見開くが、乙女のように悲鳴はあげなかった。


「な、にを」


 代わりのきつもん調ちようの声は、気の強さをうかがわせる。俺はそれ以上言わせず、少女を無理やり演台の下に引っ張り込んだ。状況に頭が追い付いていない感じの少女は、狭い演台の下で俺と目が合って、ようやく事態をあくできたらしい。直後に、両腕で思い切り俺のことを突き放してきた。

 手にしていたたんまつの角がほおに当たり、かなり痛い。


「お、おい、警官にばれる……」


 俺が押し殺した声で言うと、少女の動きは止まったものの、けん感丸出しの目で俺のことをにらみつけていた。


「おい、こっちにインターホンがあるぞ。お前、そのせっかちな性格なんとかしろよ」

「早く出世したいんですよ!」


 扉の向こうからそんなやり取りが聞こえ、ほどなく、カンコーン、と遠くで音がした。

 どうやら、この聖堂部分の隣が人が住むおもになっているらしい。

 しばらくすると、聖堂の真ん中あたりにある、母屋とつながっているらしい扉の開く音がした。そっと顔をのぞかせると、背の高い女が見えた。


「はーい、お待たせしましたー」


 ぱたぱたと扉に向かって駆け寄り開けた女の声が聞こえた直後、少女が再び体を動かそうとしたので、必死に抱きとめた。

 直後、女の子らしい柔らかさと甘い匂いに、危うく腕を解きそうになる。


「お忙しいところすみませんね。地域課の者ですが」

「危ないお仕事に、神のを?」


 女は意外にちやっ気があるらしい。


「はは、幸い治安はいいもので。いえ、でもその治安を乱すやからがいるので、その聞き込みに」


 地球の映画でると、こういう底辺の場所では警官はたけだかで、住民は敵意き出しで対応するものだが、実に和やかだ。

 ただ、その内容は、俺にとって穏やかではなかった。


「実はすぐ隣の第七外区で、せつとうやらせんいんしよくを繰り返してるやつがいましてね。どうもこっちのほうに逃げて来てるんじゃないかと」

「あらあら」

「年齢は十代半ばの、東洋人系で、黒髪黒目の少年です。多分、家出をして金もなくなりってことなんでしょうが、観光客に強盗でも働いたら大問題ですから、早くとっ捕まえろと上がうるさくて」


 やっぱり、何度聞いても俺のことを指しているとしか思えない。

 羽交い締めにしていた少女が動きを止め、驚きとも嫌悪とも怒りとも違う、ぼうぜんとした目を俺に向けてくる。

 俺は、必死に演台の下で首を横に振る。


「それに、つい先ほど通報がありまして、そんな風体の少年がこの辺をうろついていたと」


 勘弁してくれ、と危うく演台の下で声をあげそうになった。


「もしかしたら、この辺に逃げ込んだのではないかと思いまして」

「ここ、昼間は自由に出入り可能ですよね?」


 二人の警官が、明らかにいぶかしんでいる。

 気配で、応対に出た女が中を振り向いたのもわかった。


「ええ……そうですが、まさか……」

「ちょっと、中を見せてもらっても?」

「万が一忍び込んでいたら、あなたにも危険がありますから」


 もちろん、善良な市民の答えは決まっている。


「そうしていただけると、私も安心です」


 そして、警官たちが入ってくる。

 しかし、その足取りは慎重で、手にはけいぼうを持っているらしく、かん、こん、と椅子の背をたたく音がする。

 聖堂は広い場所ではない。

 俺たちのもとにどんどん警官が近づいてくる。演台の下をのぞきこまれたら一発でアウトだ。

 あるいは、不意をいて飛び出し、全力で走るか? きっと振り切れる。振り切れるはずだ。

 こんなところで捕まって実家に送り返されたら、かぶしきとうを悪魔の所業かなにかだと思い込んでいる肉体労働者のおやは、間違いなく俺から夢へのきつを取り上げる。

 それでつまらない学校に送り込まれ、卒業後は似たようなもうからない仕事に就かされるのだ。

 一歩一歩着実に、なんて二言目には言いやがるが、それでたどり着ける場所などたかが知れている。

 そんな人生、死んだも同然だ!

 やってやる、と俺は息を深く吸う。場合によってはこの少女をおとりにし、警官を殴り倒してでも……。

 ぎし、ぎし、と近づく足音に、俺は飛び出すタイミングをうかがっていた。

 あと二歩で出る。

 その、瞬間だった。


「あ、すみません。ここから先は、神聖な祭壇なので……」

「おっと」


 女の申し出に、足音が止まった。


「失礼。そういうことにうとくて」

「いいえ。地球でも最近はりませんからね」


 女の悪戯いたずらっぽい自虐に、警官二人は笑っていた。


「まあ、特に問題なさそうですが……」


 と、警官は鼻を鳴らした。


「ここの教会は、なにか、ペットを?」

「え? ああ……もしかしたら、朝の礼拝に、飼い犬を連れてらした方がいましたので、それかもしれません」

「ああ、なるほど。いや、懐かしい匂いだと思いまして。地球にいた頃は大きな犬を飼っていたんですが、ここにはとても連れてこれませんからね。飼い犬とは羨ましい」

「そうですね。私も会うのが毎回楽しみで」


 和やかな会話と共に足音が遠のき、警官は挨拶をして、立ち去った。

 俺は演台の下で、助かった……とあんのため息をつく。あとは、女がおもに戻ったらこっそり出て行けばいい。

 と、その直後だ。

 少女がぱっと演台の下から飛び出した。

 馬鹿野郎、と思ったのもつかの間、少女が言った。


「リサ」


 どうやら、少女はここの人間だったらしい。


「あら、そんなところにいたの? こっちで考え事するのやめなさいって言ってるでしょ。人目について危ないわよ」

「……わかった」


 どこかしようしような物言いで、それだけで黒くめの少女の性格がうかがえる。

 と、同時に、こんな言葉が届いた。


「で、もう一人は?」


 は?


「出てらっしゃい。いるんでしょ?」


 俺は身動きできなかった。どうして?

 少女が端末にメモ書きでもして、無言のうちに女に知らせたのだろうか。ただ、頭のよさそうな少女ではあったが、そういう小細工ができそうな感じにも見えなかった。

 俺は、深呼吸をして、体に酸素を蓄える。

 窓硝子ガラスかばんたたき割れば、すぐに外に出られる。あとはがむしゃらに走り、しばらくしたら、硝子の修理代を放り込んでおけばいい。

 よし。それでいく。