木乃の足取りは重く、トボトボと歩きます。鞄もポーチもホルスターも、スカーフやセーラー服の襟布さえも、ずっしり急に重みを増したかのようでした。
「ちょっと? 木乃、走らないの?」
「もういい。どうせ遅刻だし……。先生消えてからの方が教室入りやすいし……」
「やる気ないね。──学校はともかく、〝戦い〟もそんな調子じゃ困るよ」
エルメスはそう言いました。いきなり突拍子もない話題になりました。木乃は恨めしそうに、誰もいない道をゆっくりと歩き登りながら言います。
「〝戦い〟って言われてもねえ……。それ本当に本当の話なの?」
何を言っているのさ、とエルメスが少し怒りました。
「信じないの? じゃあ今ストラップと喋っている事実はどーなのさ? コレが事実じゃなきゃ、木乃は一人で喋る怪しいヤツだよ」
「まあ……、そういえばそうだけど……。でもさー、『変身する正義の味方になって学園に巣くう魔物と戦え』──なんて言われてもね、じゃあどうすればいいのよー? あー、困った」
木乃は走ってかいた額の汗を適当にハンカチでぬぐいながら、やる気ゼロの口調で言いました。対照的にエルメスは、
「安心して、木乃。君は今、学生生活を無難に送るために、本来持っているその戦闘能力を記憶と共にかなり制限されているんだ。いざとなったら、正義の味方に変身して、宇宙を我が物としようとしている魔の軍団と立派に戦えるんだよ! なんといっても、女神さまが選んだ勇者なんだから!」
どこから出てくるのか分からない自信たっぷりな口調で、大人が言ったら即座に熱を測られそうなことを力説するのでした。木乃はボンヤリと、緑の向こうの蒼い空を見上げて、
「わたしにそんな力があるなんて、全然思えないんだけどさー」
「ま、そのときになれば分かるって」
「そのときなんて来てほしくないなー。普通に平和な学校生活したい」
「しょっちゅう遅刻でも?」
「う」
さて二人がそんな会話をしながら歩いていくと、坂を登りきったところに校舎と、その前に校門が見えてきました。頑丈な鉄の門扉はしっかりと閉められていて、その脇には歩行者用の扉があるのですが、
「げ……。まっずー……」
木乃が露骨に顔をしかめます。そこには四人の生徒がいました。セーラー服と白い詰め襟学生服(注・夏用)の生徒達の腕には、〝生徒会・特務〟の腕章が。泣く子も黙る、この学園名物〝ミョーに元気でほとんどの生徒に煙たがられている生徒会〟所属の特務部隊による風紀取り締まりでした。決して毎日ではないのですが、今日はありました。
「なんで……、今日に限ってさ……」
昨日は遅刻しなかった木乃が、嫌そうな顔で言いました。生徒会の四人は、獲物を見つけたかのように目を輝かせます。木乃はゆっくりと近づきながら、
「そうだ──、今変身して、あの四人瞬殺できる……?」
ぽつりと訊ねましたが、エルメスはこれを黙って流しました。喋るストラップという非常識な存在のくせに、意外と常識人でした。
「はい! そこのあなた。生徒手帳を出して!」
開口一番命令形で吠えたのは、生徒会四人組の一人、キツイ目つきをした高等部二年生の女子生徒でした。
「…………」
瞬殺をあきらめた木乃が、鞄の脇ポケットから渋々生徒手帳を出しました。それを素早く取り上げた蛇のような顔つきの高等部三年男子が、じろじろと写真と本人を見比べます。
木乃は男子生徒をムッとした顔で、写真の中のすました顔とは似ても似つかない表情で睨み付けます。
男子生徒は何か言おうとしましたが止めて、木乃に生徒手帳を押し返しました。そして手持ちのメモに名前を書き込んで、
「高等部一年×組・木乃君ね。──で、君。今学期これで何度目の遅刻かな? 言ってもらえる?」
嫌らしそうに聞きました。教師が遅刻日数を記録していますので、毎日チェックしているわけではない彼らが知ったからといって別にどうこうでもなく、単なるイヤガラセでした。生徒が数を答えると、『それはちょっと多いね』とか『本当はもっとじゃないの?』とか、答えなければ答えないで、『忘れるほど多いの?』などとイヤミを言うのです。
「正確には覚えていませんけど……、二億四千五百回よりは少ないと思いますよ」
木乃は木乃でしれっとした顔でそうい言い返すものですから、ああもう四対一の緊張状態は増すだけですね。
「では、違反持ち物がないか調べさせてもらいます!」
キツイ目の女子生徒ともう一人の女子が、左右から木乃ににじり寄りました。木乃は露骨に嫌そうな顔をしましたが、一応同性生徒会委員はそれができる規範になっていたので、渋々鞄を渡します。
二人は鞄をがさごそと調べ、じっくりと調べ、
「特に、ないようですね」
ルールをちゃんと守っているのですから誉めるべきなのに、妙に悔しそうな顔をして木乃に突っ返しました。
「もう行っていいですか?」
木乃が聞きました。特に返事がなかったので通り過ぎようとすると、ちょっと待て! と声がかかります。もう一人の二年男子です。木乃の腰回りを指さし、
「さっきから思っていたんだけど、その腰の──」
とまあそこで、さっきからベルトの隅っこでぶら下がって黙っていたエルメスなんぞは、
(うーん。やっぱりモデルガンはヘンだよね)
とか思うわけですが、
「緑のポーチは校則違反じゃないのか?」
(そっちかよ)
男子生徒に不機嫌そうな顔を向けた木乃は、
「えー、今まで言われたことないですけど。急になんでですか?」
かなりつっけんどんに言い返して、生徒会連中を見事にムッとさせます。
連中は、ちょっと調べさせなさいと言いながら、四人で囲むようににじり寄りました。女子男子構わず、なんとしても、それこそポーチをむしり取ってでも違反事実を発見しようと、木乃の腰にわらわらと八本の手を伸ばします。木乃はそうはさせまいと身構えます。
「ちょっと、何するんですか?」
生徒会の腕章がなければ、ほとんど犯罪発生現場です。ヤバイです。みんなは真似しちゃだめですよ。まったく権力というヤツは人を狂わせます。そんなときでした、
「やめないか」
朝の校門に、よく通る声が流れました。生徒会の四人がほぼ同時に、はっとして声のした方へと向きました。後からもう一人もなんとなく、んーまあ見てやろうかくらいの気分で振り返ります。
風が吹きました。
ざわわわっと葉擦れの音を従えて、道の真ん中を、一人の男子生徒が歩いていました。
とても端整な顔立ちをした、そしてどこかもの悲しそうな目をした男でした。少し長い黒髪が、風で揺れます。彼は染み一つない白い学生服をきっちりと着こなして、その左腰のベルトに、一本の日本刀を帯びていました。
風の中、彼は静かに、そしてしっかりと前を見据えて歩きます。その一歩一歩が路面を踏みしめる音が聞こえてくるようでした。朝の光を浴びて、日本刀の鞘が黒光りします。男の前を、今純白のハトが飛びながら横切りました。ちなみにスローで。
「あ……、あ……。し……」
生徒会女子生徒の一人が、驚きの表情で口を開きます。そしてほんのりと頰を朱に染めながら、彼の名前を呼ぶのでした。
「静先輩……」
彼の名は静。この学園の高等部三年生です。余談ですが五年近く留年して実際は二十歳超えているという噂もあります。でも噂です。
彼はその端整な容姿と上品な物腰、常にクラストップを難なくキープする優秀な学力と身体能力で、性別関係なく当学園生徒で彼を知らない人などほとんど誰もいない、有名人中の有名人でした。