学園キノ

キノの旅第四部・学園編第一話 「キノ颯爽登場!」─Here Comes KINO─ ⑤

 木乃が頭を引いて、階段下に逃げようとしてそんな閑はないと分かって、


「あの裏」


 エルメスのてんに従って、掃除道具入れのロッカーの裏に隠れました。

 ふられた女子生徒は木乃に全然気づかず、涙粒を散らしながら階段をパタパタと駆け下りていきました。そのあとに、


「危なかった……」


 小声で言いながらが出てきて、一度階段の下をのぞきます。だれもいないのをかくにんして、またてつのそばへ。再び覗くと、刀男は元いたところで、こちらに背を向けてしきを見ていました。


「ここはだめかー」


 木乃が小さくつぶやいて、


「もういなくなるよ」


 よく通る声が答えました。声の主が振り返ります。


「自由に使うといい」


 木乃は少しおどろきましたが、悩んでもしょうがないのでお言葉に甘えて、おやつのビニール袋を片手に屋上へと進み出ます。その姿を見て、先ほどまでほとんど無表情だったしずが、おやっと小さくまゆを寄せました。


「朝の君か……」


 木乃はてくてくと静に近づいて、先ほど人生最大のショックを受けたであろう女子生徒と同じ位置に立ちました。どうも、と一応あいさつはします。

 静はやはり無表情のまま、


「恥ずかしいところを見られたが、覗き見もよくないな」


 実は内心結構恥ずかしいのか、そんなことを言いました。即座に、


「よっ! このモテモテ男!」


 エルメスが大声で言ったので木乃は慌てて腰のストラップを押さえたのでしたがだからどうなるというわけでもなし単に一人で腰に急に手を当てた怪しい女の子を演じただけでした。


「今のは……?」

「いいいいいいいいいいやなんでもないです!」


 木乃が必死のぎようそうで否定して、その右手の中ではストラップが手のひらに型を作りそうな強さで握りしめられています。


「君が言ったのかい?」

「いいいいいいいいや、わたわたわたたた」

「〝綿〟?」

「いや、わたわたしかもしれないし! っそそそそっそそそうじゃないかもしれないしっ!」

「? まあ落ち着くんだ」


 静は景色へと向き帰り、顔中汗だらけの木乃は静に背を向けてうずくまります。両手の中のエルメスに向かい、最大限の小声で、


「なななななんてコトするのよ!」

「あーごめん。つい本心が」


 エルメスも小声で、全然悪びれずに言いました。


「わたしが言ったと思われるでしょ! 変な人間だと思われるでしょ!」

「あーそれは大丈夫」

「どうして?」


 が聞くと、エルメスが即答します。


「もう思われてるから」


 木乃はがおを作りました。それは引きつっていました。そして、エルメスにやさしい優しい言葉をかけます。


「この小さい小さいストラップ、あおい蒼い夏のお空にブン投げたらどこまで飛ぶかしら?」

「ごめん。もうしない。うん」


 木乃は呼吸をととのえ、しずわきで立ち上がりました。

 静がちらりと見て、つぶやくように言います。


「まあ、ごらんのとおりだ。──私のような不器用な人間に告白する人の気がしれない」


 木乃は何と反応していいのか分からず、あー、とか、えーと、とか言った後だまります。

 それから急に思いついて、ひじつるしたビニール袋をがさごそとあさり、小振りのメロンパンを取り出しました。先ほど売店で食後のデザート用に買った物です。二つのうちの一つを、静に突き出しました。


「食べます?」

「…………」


 静がそうな顔で木乃を見ました。木乃が〝あー対応まちがったかー?〟と焦り顔で手を下ろそうとしたときに、


「いただくよ。ありがとう」


 静はそれを受け取ったのでした。

 しばらく二人は、手すりに寄りかかり、景色を見ながら無言でメロンパンを食べました。ホルスター少女と刀男が並んでもくもくと食べる様は、かなり異様でしたが、だれも見ていませんでした。

 食べ終わった後、木乃は、


「朝は、ありがとうございました」

「ん? ああ……。いいよ。私も生徒会の連中は好きじゃない」

「おかげで、ポーチを開けられなくてすみました」


 木乃が楽しそうに言って、静はその〝ポーチ〟を見下ろしながらたずねます。


「朝も、少し気にはなったが、それは? ──もしよかったらでいいが」

「あ、これですか? 学校に入る前に、田舎いなかのおばあちゃんがお守りに持っていけって送ってくれたんです。先祖代々のお守りだって、いつも腰に巻いてろって。でも、困ったとき、いざというとき以外開けるなって」


 が正直に答えました。

 しずは〝それのどこがお守りだ!〟などとは突っ込まず、


「おばあちゃんか、いいね」


 などと言います。そして、


「私の祖母は、私が生まれるちょっと前に他界したからね。会ったことがない。あこがれる」

「そうですか。わたしも学校入ってから会っていないんですけど」


 静は、どんなおばあちゃんなんだい、とたずねました。


「とてもてきな、自慢のおばあちゃんです。いつも背筋がピッとして格好良くて、なんでもできて。──若いころはいろいろなことに挑戦して成し遂げてきたって。陸軍の特殊部隊にいて某国の独立戦争をかげで糸引きしたり、工作員養成学校の設立に尽くしたり、伝説の谷越え二キロげきを成功させたりしたって、近所でも評判でした」


 静は、ふーんと納得したよううなずきます。ホントにいいのかそれで?

 木乃は、


「もし今度会ったら、今日きようのことはお土産みやげばなしになります」


 そう言って笑いました。

 そのがおを見ていた静の顔が、逆にくもります。よくいえばうれいを帯びた渋い表情ですが、悪くいえば、くよくよウジウジと思い悩んだ神経質な青年です。


「君は……、本当に楽しそうに笑うね」


 静はそんなことを、いきなりぽつりと言いました。


「え?」


 木乃が思わず強い調ちようで聞き返して、


「いやごめん。皮肉でもいやみでもない。君は、楽しいことを本当に楽しいと思って、心から笑うことができる。そう思えるんだ」

「えっと、せんぱいは?」

「私は、……いつの頃からだろうか? 心の底から楽しくて笑えなくなった気がする」


 そう言って静は、学生服のポケットに手を入れて、時計を取り出しました。それは、複雑な細工がされたかいちゆう時計でした。ふたを開かないのは、時間ではなく時計を見るために出したからでしょうか。


「いつの頃からだろう……」


 静はつぶやいて、時計を元あった場所へとしまいました。景色に目をやります。


「私はね、ふと疑問に思うことがあるんだ」


 木乃は静のわきで手すりに軽く体を預け、ちらちらと静の横顔を見上げます。


「? なんですか?」


 しずは、しきぐなひとみで見据えながら、こう言います。


「〝今の自分は、本当の自分じゃないんじゃないか?〟って」

「本当の自分、ですか?」

「ああ。時折思う。──平和なこの国で平和に学生生活を送っている私は、実は仕組まれた世界の中でそう演じさせられているだけで……、本当はもっとさつばつとした世界で、生きるか死ぬかの人生を送っている、もしくはふくしゆうに身をやつしている……、人を殺し傷つけるすべだけにはけている、とても悲しい男なんじゃないか、って」

「はあ……」

「だから、いまひとつ、〝今〟という恵まれた時期を楽しめない……、のかもしれない」


 そう言い終えて、静は自分のとなりにいる少女が大きなひとみでじっと見つめていることに気づきました。少しだけ焦ったようで、軽く手を振りました。


「変な話をしたね。忘れてくれ」


 はそんな静を見て、


せんぱい。わたしはこう思います」

「ん?」

「たとえ自分がどんな生活をしていても、自分を、自分のことを好きでいる限り、〝その自分は良い自分だ〟──って。別の世界の自分のことは、別の世界の自分に悩んでもらいましょうよ」

「ああ──。そうだな」

「そして今の私達は、今の私達にできる楽しいことと、自分のためになることをすればいいと思います!」