男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている。I ‐Time to Play‐〈上〉

第一章 「四月十日・僕は彼女と出会った」 ①

 男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首をめられている。

 それが、今の僕だ。

 僕は、硬い床に背中をつけて横たわっている。きざみにれて、音としんどうを伝えてくる冷たい床に。

 クラスメイトであり、一つ年下であり、声優をやっている女の子が、僕の腹の上に馬乗りになっている。

 水色で薄手のセーターをまとった彼女の両腕が、僕の首に伸びている。両手の細い指が、僕のけいどうみやくおおかぶさって、左右からはさんで、その流れを止めようとしている。

 彼女の手は、とてもとても、冷たい。

 それは、まるで、くさりのマフラーでも巻かれたかのようだ。

 僕の視界の中には、左右に黒いカーテンがある。

 彼女の黒くて長い髪が、真っ直ぐ垂れ下がっているからだ。リンスだろうか、南国のお花のような、いい香りがする。

 そしてカーテンの中央に見えるのは、照明からは逆光になるので少し薄暗い、彼女の顔。

 彼女は泣いている。見開かれた大きなひとみから、セルフレームの眼鏡めがねのレンズ内側に、ぽたぽたと涙を落としている。められた口元から、白くれいな歯がのぞく。


「どうしてっ!?」


 彼女の叫び声と共に、さらに強烈な力が僕の首に加わる。

 人間は、叫びながらだと、いっそうの力を出せるらしい。自分で試したことはないが、こうして体験すると、それが真実だとよく分かる。

 首を左右から絞め付けられているが、まるで痛くはない。

 そのかわり、僕の脳の中で──、

 真っ黒なすみが一滴、音もなく落ちた。その黒い染みは、じんわりと広がり始める。


「どうしてっ!?」


 彼女が、再び叫んだ。

 どうしてこんなことになったのか。

 それは僕が知りたい。


    *     *     *


 僕が、彼女に初めて会ったのは──、

 ひとつき半ほど前のことだった。

 四月七日。それはこの月の第一月曜日であり、高校の新年度の初日だった。

 学校に行くのは、一年ぶりだった。

 僕は、その前年度をまるまる休学していたからだ。十六歳の春から十七歳の春まで、本来は高校二年生であるべき時間を、ずっと、それ以外のことをして過ごしていた。

 僕は、高校二年生になった。

 復学を機に、学校も変えていた。高校一年生のときだけ通っていた公立高校から、私立高校へ転入した。

 新しい高校は、しっかりした理由さえあれば、そしてテストできちんと点を取れば、出席日数は問わないでくれる。

 僕は、これからしばらく、週に一日はどうしても学校を休まなければならない。


 その日の朝。

 僕は学校に入った。手続きのとき以来、二回目だった。そして、廊下にある大きなクラス分けの表で自分の名前をさがして、初めての教室に入った。

 当然だが、クラスメイトに知っている人など誰もいなかった。

 この学校は共学で、男女比はおよそ半々。二年に進級する際だけクラス替えがあると聞いていた。だから、新クラスに知り合いがいなくて、僕のように一人でだまって座っている生徒は珍しくなかった。

 やがて、これから二年間お世話になる、担任の先生がやって来た。中年の男性教師だった。

 始業式は、教室備え付けのテレビで見た。

 校長先生が、画面の中でしやべっていた。体育館にいちいち移動しなくていいスタイルは、楽でいいなと僕は思った。

 それから、絶対にないことがない、クラスメイトの自己紹介が始まった。

 僕は、黒板に向かって右、そして廊下側で後ろから二番目の席に座っていた。自分の順番がやってくるまで、だいぶ時間がかかった。

 一つ前の席の女子が、喋り終えて座った。

 僕は立った。そして、自分の名前と、必ず言うことになっていた好きな食べ物を言った。

 好きな食べ物はたくさんあるが、選んだのはカレーだった。普通だったが、他のクラスメイトもラーメンや寿、女子は甘いものなど──、実に普通だった。

 ほとんどのクラスメイトが、自分の部活のことや、趣味のことなど、情報を付け足してクラスを盛り上げていた。ここで終わってはいけない、あんもくの了解のようなものがあった。

 僕には、言えそうなことが何もなかった。順番が来るまで、割と真剣に考えていたのだが、思い浮かばなかった。

 だから、つい──、

 けいなことを、言ってしまった。


「えっと……、僕は、今学期からこの学校に転入してきました。この制服を着るのも、校内に入るのもまだ二回目です。見るものが、なんか、全て新しいです。新入生みたいな気分です」


 ここまでは、よかった。

 クラスメイトも、僕に関心を寄せてくれた気がする。〝そうなんだ〟とか、〝転校生なんだ〟とか、〝珍しいね〟とか、心の声が聞こえた気がした。

 この先がよくなかった。


「その前は、僕は一年間、事情があって休学していました。だから、またこうやって高校生活が送れるのは、とてもうれしいです」


 僕の、本心からの言葉だった。

 だったが──、

 クラスメイトはざわついた。


「えっ? 年上?」

「ダブり?」


 今度は心の声じゃなかった。そんなつぶやきが、実際に耳に聞こえた。

 しまったと思っても、あとの祭り。

 教室の空気がそれまでの、〝転入生がいる〟から、〝年上の、本来はせんぱいの人がいる〟になった。

 後々、この学校では留年する生徒など一人もいないことを知った。年上の同級生など、よくしやべる金魚ほどに存在しないことを知った。

 一年間学校から離れたせいで、そしてその間ずっと年上の人と話をしていたせいで──、

 高校生にとっては〝たった一歳〟の差がとても大きいという当たり前の感覚を、僕はなくしてしまっていた。

 本当に、余計なことを言ったと思う。

 この学校で新生活を始めるとき、自分で望んだというのに。母とも約束したというのに。

 勉強はもちろんだが、少なくてもいいから気の置けない友達を作って、一度しかない高校生活を楽しむということを。

 つまり、〝普通の高校生をやる〟ことを。

 それが──、

 のっけからつまずいた。初日からミスをしでかした。


「……というわけで、よろしくお願いします……」


 なにが、〝というわけでよろしく〟なのか、まったく分からない。

 自分から〝お前らより一歳年上だぜ!〟って言ってしまったくせに。それは、かくしておくこともできたのに。

 人生最大の失敗を終えた僕が、力なくイスに座った。我ながらマヌケすぎると思った。ためいきをつく気力もなかった。


「えー、では、次の人。最後ですね」


 先生のフォローはなかった。でもこれは、これ以上傷口を広げないようにしてくれたのかもしれない。

 そして、


「はい!」


 後ろの席に座る女子の快活な声と、イスを引いて立ち上がる音が聞こえた。後ろの席に女子が座っていたことを、僕はこのときに知った。

 り返る気力もなかったので、彼女には申し訳ないと思ったが、僕はそのままで聞いた。


にたどりです。みようと名前、最後は〝り、り〟でいんを踏んでます」


 な声だった。

 ボリュームは決して大きくないのに、とてもよく聞こえる。耳をスッと通り抜けて、脳に直接届くような声だった。


「私は、去年の秋に転校してきました。二組でした。好きな食べ物は、色々ありますが、なんといっても、毎日三食でも食べていたいのは──」


 僕は、答えを予想した。

 女子らしく、甘いものだろうか? ケーキやパフェか? 普通に、カレーやラーメンだろうか? 少し意外性を持って、ソースカツ丼か?

 僕は、彼女に勝手に勝負をいどんだ。

 彼女が答える前に、可能性がありそうなメニューをかたぱしからもうそうしていった。

 そして、


し! です!」


 彼女は言った。

 僕は負けた。

 あんまり、というか、かなり女子が選ばない好物のせいで、クラスメイトが楽しそうに笑った。先生まで笑っていた。

 見事だった。

 彼女は、ひとり前の生徒が不注意で不必要に重くしたふんを、たった一言で吹き払ってくれた。

 いくらこの県がしの産地だからといって、高二の女子が毎食馬刺しを食べる生活は、あまり想像できない。