男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている。I ‐Time to Play‐〈上〉

第一章 「四月十日・僕は彼女と出会った」 ②

「運動はにがなので部活は入ってませんけど、毎日、犬の散歩に行きます。ウチには〝ゴンスケ〟という三歳の──」


 愛犬について楽しそうに語る声を聞きながら、僕は〝馬刺し女子〟がどんな顔をしているのか知りたくなって、ゆっくりとり向いた。

 そして、見上げた。

 そこには、とても背が高くて、とても髪の長い眼鏡めがね女子がいた。

 身長は、百七十センチくらいだろうか? 女子にしては、間違いなく背の高い方に入る。

 決して太っているわけではないが、きやしやという印象もない。運動は苦手とたった今言ったが、バレーボール部やバスケットボール部から引く手あまたではないかと思った。

 髪は黒くて、ストレートで長さがそろっていて、胸を通り越してお腹にまで届くほど長い。前髪は、横に一直線。つまりは長いおかっぱ。左右こめかみの上あたりに、フェルトだろうか? ボタンのようなデザインのヘアピンを留めている。

 色白で、かなり目鼻立ちがハッキリしていた。ほおのラインもはなすじもスッと通っている。バランスがとれた、とてもたんせいな顔立ちをしていた。



 セルフレームの眼鏡めがねけている。色は、しんせんぐみおりのようなあさいろ。レンズ越しに見える顔のラインがゆがんでいないから、だて眼鏡か、または度がそれほど強くはない。大きな目の中に見えるひとみは、濃い茶色だった。

 彼女が仮に小説のキャラクターだとしたら──、描写はこれくらいか。

 恵まれた体型と顔立ちと、地味な大和やまと撫子なでしこ風の髪型は、アンバランスに見えて、そしてとても似合っていた。

 僕は思った。

 彼女は、美少女だ。

 いつかそのうち〝使わせて〟もらおう。


 にたどりと名乗ったクラスメイトは、視線を適度に動かしながら、愛犬ゴンスケについてしやべり続けた。その可愛かわいらしいエピソードに、クラス中が聞き入っているのが分かった。

 僕は、犬を飼っていればあんなバカなミスはしなかっただろうかと思いながら、それを聞いた。あまりに近いので、似鳥が僕を見ることはなかった。もし見られたら、僕は目をらしていただろう。

 似鳥は適度なところで犬自慢を終えて、写真が見たい人はスマートフォンに入っているからあとでどうぞと、見事すぎるアピールをした。

 これなら──、

 犬好きなら男子女子関係なく、彼女に話しかけることができる。そこから、話すきっかけをつかめる。ひとり前の誰かさんとは対極的な、自己紹介の見本のようなスピーチだった。

 彼女は最後に、これから二年間よろしくお願いしますと付け加えた。

 長い髪を背もたれの向こうに逃がしながら、ゆっくりとイスに座る。

 その際、目の前の僕と近距離で、そして初めて目が合った。

 僕は視線を逸らそうとして、できなかった。


「ひっ!」


 彼女が、それまでのにこやかな表情をこおり付かせ、小さく声を上げて驚いたからだ。僕の視線から全力で逃げるように、彼女は顔を廊下側に逸らした。

 まるで、絶対に見てはいけないものを見たかのような対応だった。ゆうれいを見たときだって、あんなに驚かないのではないかと思えるほどの。

 そこまでを見届けてしまった僕は、ゆっくりと前を向いて、心の中でためいきをついた。

 初日からこれなら、復学なんてしない方がよかったんじゃないかと思いながら。



 だから──、


となり、座っていいよね?」


 そのにたどりから突然親しげに話しかけられたときは、本当に驚いた。

 四月十日。つまり、始業式から三日後の木曜日のこと。

 僕は、特急列車の車内にいた。

 今住んでいる町から、三時間近くかけて都心へ向かう特急列車。その自由席車両の最後列、左側の窓側の席に、僕は座っていた。

 夕方に始発駅を出発したばかりの列車はまだガラガラで、誰かが僕の隣に座る必要などまったくないはずだった。たならないほど大きな荷物があるからとか、誰にもねなくリクライニングさせたいからとか、理由があって列の一番後ろに座りたいのだとしても、通路の右側はまだいている。

 だから僕は、誰だか分からないがその声の意味にまず驚いた。そして、読んでいたプリントアウト原稿から顔を上げて、それが毎日後ろの席に座っている似鳥であることに気づいて、さらに驚いた。


「や! こんにちは」

「…………」


 僕は何も言えずに、通路に立つ背の高い彼女の眼鏡めがねを見上げたまま、固まった。

 似鳥は当然制服ではなく、僕はあまりくわしくないが、せいで上品で高そうに見えるワンピースを着ていた。

 似鳥は、僕が彼女自身を忘れている可能性を考えたのか、


「えっと、同じクラスの、似鳥。一つ後ろの席だよ」


 そんな自己紹介をした。


「あ……、は、はい──」


 僕は、ようやく、どうにか返事をした。そして、ゆっくりと言う。


「それは、分かってます」


 そこまでは分かっていた。分からないのは、どうして僕に話しかけてきたかだ。

 似鳥は、くすっと笑いながら、


「ん? 敬語? 年上なのに?」

「あ、いや……。なんでもない。似鳥さん」

「〝さん〟付け? 年上なのに?」

「…………」


 僕は一度息を吸って、心を落ち着かせてから、


「いいや……、えっと、〝似鳥〟で、いい?」


 なるべく平静をよそおって、ごく普通に話しかけた。こうして同年代の女子と話をするのは、何年ぶりだろうと考えて──、答えが出るまで時間がかかりそうだから、考えるのをやめた。


「もちろん。で、座っていいの?」


 そのとき僕は、リュックをとなりの座面の上に置いていた。中には愛用のノートパソコンと、本や着替えなどが入っている。

 リュックの口を大きく開けっ放しだったので、手を伸ばしてファスナーを閉じながら、


「えっと、別にいいけれど……、なんで、ここなの? まだ、あちこちいてるよ?」


 僕は、思ったことをなおに口に出した。

 失礼だったかもしれないが、正直な気持ちだった。どうしてにたどりが僕の隣に座りたがるのか、まったく理解ができないでいた。

 学校が始まってから四日つが、その間、教室で彼女と話したことなど一度もなかった。というか、クラスメイトの誰とも話したことはなかった。

 僕は、〝年上同級生〟としてみんなかられ物あつかいされていた。当然、話しかけてくる人などいない。敬語を使うべきかタメ口でいいのか、思い悩んでいたのだろう。誰かが敬語なら全員敬語にしたいだろうし、逆もまたしかりだ。でも、それを決める最初の誰かには、誰だってなりたくはない。

 僕も同じように、無理に話しかけて無視、または逃げられたらどうしようと思ってしまい、結局はコミュニケーションを取れずにいた。もともと誰かと会話するのがにがな僕に、一歳というギャップは大きすぎた。


 座りたいという人に対して、〝他が空いているよ?〟とは、我ながらずいぶんな質問だった。僕は、彼女が腹を立ててもしょうがないと思いながら答えを待ったが、


「ちょっと、話がしたくて」


 彼女は、笑顔というわけではないが、怒っているようでもない表情でそう言った。


「えっと……、どんな?」


 僕は、リュックを自分のひざに乗せながら聞いた。その中に、丸めた原稿をわりとぞうに放り込む。どうせ自宅でプリントアウトしたものなので、いたんでも構わない。


「ありがと」


 似鳥は両手を使い、長い髪をうなじの後ろでていねいにまとめて、右肩から胸の前に逃がした。そして、するりと僕の隣の席に座った。

 肩が触れあうほど近い距離で、似鳥は左を向いた。そして僕の目を真っ直ぐに見て、おさえた声量で、質問に答える。


「お仕事に関係した話をしたくて」

「はい? 誰の?」

「〝誰の?〟 ──私達の」

「……?」


 意味が分からなかった。高校生が二人して、なんの仕事の話をするのか。僕は、リュックを足元に置いた。

 そして、


「ごめん。何を言ってるのか、サッパリ分からない」


 正直に言った。

 するとにたどりは、やや真剣な表情で、


「そっか……。てっきり、気づいているのかと思っていた」

「…………。何に?」

「私のことに」

「…………」