男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている。I ‐Time to Play‐〈上〉

第一章 「四月十日・僕は彼女と出会った」 ③

「なんだ、かんちがいしていた。なあんだ」


 少しガッカリした様子の似鳥を見ながら、


「…………」


 僕は、彼女がとんでもないしようわるである可能性を考えていた。

 単に偶然見つけた〝年上の〟クラスメイトをからかって楽しんでいるだけで、しばらくすると、ケラケラ笑いながら席を立つのではないかと。

 そんな一連のシーンが、いつしゆんのうちに頭をけめぐった。彼女が最後にき捨てる、鋭くとがった台詞せりふまで浮かんだ。

 もしそうだとしても、彼女に対して怒って、


「おいちょっと待てよ! 今のはなんだよ? 話がある!」


 などと男らしくかつこうよく追いかけるようなことはしない。

 僕は単に少し傷ついて──、それからそんな彼女を、〝使わせて〟もらうだけだ。


「でもね、からかっているわけじゃないんだよ?」


 似鳥は言って、僕の考えをバッサリと否定した。エスパーかと思った。

 そして、次の彼女の言葉に──、

 僕は心臓が止まるほど驚くことになった。


「明日の『ヴァイス・ヴァーサ』のアフレコに行くんでしょ? 先生」


 快走する特急の車内は、きざみなれとしんどうに包まれていて、普段ならそれがわりと心地ここちよかった。ゆりかご代わりにして、ぐっすりと眠ってしまうこともあった。

 でも今は、その音と振動が、まるで大地震のように感じられた。

 ぐわんぐわんと、僕を席からり落とそうとしているように思えた。

 なんで鉄道にはシートベルトがないのだろうと、生まれて初めて思った。僕は、ひじけに両手でつかまっていた。

 僕は、にたどり眼鏡めがねの奥に視線を固定しながら、


「な、な……、な、な、なんで……?」


 しぼり出すように言ったが、その先は声にならなかった。

 とても言いたかったのに。


「なんで、知ってるの?」


 と。


「あ、〝なんで知ってるの?〟って言いたそうな顔してる」


 何も言えない人形状態が五秒は続いたので、似鳥の方から口を開いてきた。

 こくん、とうなずいてから、


「なんで、知ってるの……?」


 僕は言わなくてもいい台詞せりふを言った。


「ぷっ!」


 似鳥が小さく吹き出した。美少女の笑顔を間近で見ることで、僕はいつしゆん、自分が置かれている状況を忘れることができた。でも、そのまま忘れ去るわけにはいかない。僕はすかさず座席から立ち上がると、車内を見渡した。

 人間の頭のてっぺんが、五つ見えた。

 ほとんど最前列に二つ並んでいる。これは、僕のすぐ後ろで列車を待っていた中年ご夫婦に違いない。登山者のかつこうだったから、僕の部屋から見える峰々からの帰りだろう。まだ結構寒いし、雪もたっぷり残っているのだけれど。

 その少し後ろの窓側に、サラリーマン風の若い男性。一つ後ろの列の右窓側に、旅行中らしい、大学生のような男性。この二人も、ホームで見かけた。

 一番近いのが、車両の中央あたり、通路側に一人で座っている若い女性。グレーのパンツスーツ姿で、ホームでは見かけなかったが、よくいる出張帰りの勤め人のようだ。

 これなら、普通の声量で会話すれば、誰かに聞かれる心配はないように思えた。僕の意をんで、似鳥が、


「やっぱり気になる? 大丈夫。他の人には絶対に聞こえないように、注意するから」

「それは、どうも……」


 ややおさえた声を聞きながら、僕は座った。顔を右に向けて、かなり近い位置にある似鳥の顔を見て、僕はもう一度たずねる。


「なんで、知ってるの?」

「さあて、どうしてでしょう?」


 彼女は、質問に質問で答えてきた。その意味するところは、


『教えるのは簡単だけど、それじゃおもしろくないでしょう? すぐに分かるから、自分で考えてみなさいよ』


 に間違いない。

 だから、僕は考えた。否定できる可能性と、あり得る可能性を、ゆっくりと、順序立てて。

 二分かかった。それが長かったのか短かったのか、分からない。

 その間ずっと、前の座席の背もたれをにらんでいたから、となりにたどりがどんな顔をしていたのかも分からない。楽しんでいたのかもしれないし、退屈していたのかもしれないし、あきれていたのかもしれない。


「そう、か……」


 二分間睨み続けた背もたれに、僕は語りかけた。


「〝私達のお仕事に関係した〟ってのは、そういうことか……」

「どういうこと?」


 似鳥が聞いてきた。その意味するところは、


『人と話すときは、その人の目を見なさいね』


 に間違いない。

 僕は、ゆっくりと顔を似鳥に向けた。

 そして見た似鳥は、眼鏡めがねの少女は──、

 勝者の笑顔をしていた。



 僕は口を開いた。


にたどりは……、声優だ。そして、僕の小説のアニメに参加している」


    *     *     *


 僕は、プロの作家だ。

 僕の書いた小説、タイトル『ヴァイス・ヴァーサ』は──、

 文庫本として本屋に並んでいる。

 僕が生まれて初めて世に出した小説であり、今もまだ書き続けているシリーズの名前でもある。

『ヴァイス・ヴァーサ』は、〝ライトノベル〟と呼ばれるジャンルの小説だ。

 ライトノベルとは何か? どんな小説がライトノベルなのか?

 ある人は、まん・アニメチックなイラストが表紙にも口絵にもさしにもふんだんに使われている小説のことだと言う。

 本屋で見かけるほとんどのライトノベルがそうだし、外見的特徴はよく言い表していると思う。ただ、イラストがないものもある。

 ある人は、ライトノベル(とされる)レーベルで出ていればどんな小説でもライトノベルだと言う。

 分かりやすい考え方だと思う。ただ、それまでライトノベルレーベルで発売されていた本がイラストをなくし、いわゆる一般文芸として出たこともある。

 ある人は、児童文学より上の、中高生読者をメインの読者層にすえた小説だと言う。

 購買層としてはその通りだと思う。ただ、年を重ねても読み続けて、大学生から大人おとなの読者だってたくさんいる。必ずしも、〝中高生向け〟とくくれるものでもない。

 お話の内容で決められるかというと、そんなこともない。

 ファンタジーからコメディからアクションからSFから推理小説から歴史小説から恋愛小説から青春物から、およそありとあらゆるジャンルがある。もちろん、ファンタジーやラブコメなど、特に多いジャンルはあるけれど。

 結局のところ、ライトノベルの明確な定義というのは、誰にも決められない。

 ほとんどの人は、そして僕も──、

 完全な定義がないままライトノベル、または略してラノベという言葉を使ってきたし、これからも使うんだと思う。



『ヴァイス・ヴァーサ』は、〝電撃文庫〟から発売されている。

 電撃文庫は、今現在十以上はあるライトノベルレーベルの一つで、さいおおと呼ばれている。

〝アスキー・メディアワークス〟という会社(当時は〝メディアワークス〟)が、一九九三年にそうかんした。僕の産まれる前の話だ。

 厳密に言えば、アスキー・メディアワークスという会社はもうない。〝株式会社KADOKAWA〟という大会社に統合されているからだ。ただ、〝ブランドカンパニー〟という、正直よく分からない存在として名前が残っているので、僕は愛着も込めて、アスキー・メディアワークスという名前を使っている。

 電撃文庫は、二十年を超える歴史の中で、いくつかの大ヒット作を産み出した。そのたびに売り上げを伸ばし、そして本屋のたなを広げてきた。

〝本屋の棚を広げる〟とは、それだけ本屋で並んでいるスペースが増えたということで、それだけお客の目に付きやすいということになる。

 この電撃文庫が、創刊翌年からしゆさいしているのが、〝電撃小説大賞〟だ(二〇〇三年までは、〝電撃ゲーム小説大賞〟と呼ばれていた)。

 電撃文庫でのデビューを想定した、小説新人賞(同時にイラスト賞も行っている)。

 これにより次から次へと作家を、そしてヒット作を産み出してきたのが、電撃文庫やくしんの原動力だと言われている。

 人気があるレーベルだから、応募数も毎年増え続けて、今は優に数千を超える。

 そんなとうりゆうもんに僕が応募したのは、今から三年前のこと。

 僕は、中学三年生になったばかりだった。