男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている。I ‐Time to Play‐〈上〉

第一章 「四月十日・僕は彼女と出会った」 ④

 電撃小説大賞のしめきりは、毎年四月十日(つまり今日)だ。

 三年前の昨日──、新学期開始直後の四月九日。

 〆切の前日に、僕は書き上げた長編小説を郵便局から送った。

 そして、落ちた。


 電撃小説大賞は、あまりにも応募数が多いので、選考過程も多い。

 四月に募集がめ切られ、それから一次選考で数千の応募数が数百にふるわれる。二次選考でそれが三分の一くらいになる。三次選考で数十となる。

 そして四次選考で、十作品ほどの最終選考作が選ばれる。

 最終選考作は選考委員に読まれて、九月の終わり頃に大賞、金賞、銀賞など、賞が決められる。発表は十月の十日頃。

 受賞作品は、翌年の二月に出版される。その一年前まで応募原稿を書いていた人達が、プロ作家の仲間入りをするしゆんかんだ。電撃文庫は十日に、同じ編集部が作っているがより一般向けレーベルの〝メディアワークス文庫〟なら、二十五日に発売される。

 普通の新人賞なら、落選した人のデビューはない。〝残念でした。また来年、がんってくださいね〟、ということになる。

 でも、電撃小説大賞では、落選してもデビューができる。

 まず、最終選考作になっていれば、三月以降になるが、ほとんどの人がデビューする。

 さらに、最終選考以前に落選した人さえ、才能を認められれば担当編集がつき、やがてデビューすることもある(もちろん、数は少ない)。

 そんな人達は打ち合わせを重ねて、より完成度を高めるために応募作を書き直したり、またはまるっきり別の作品を一から書き上げたりする。


 僕の応募作は、落ちた。

 でも、今は本が出版されている。

 では、最終選考作として世に出たのかというと、それも違う。

 僕の経緯いきさつは、やや複雑だった。


 まず、応募作は四次選考で落ちた。最終選考作にすらならなかった。

 落ちたことを知ったのは、公式ホームページでの発表だった。

 それまで発表されていた三次選考までの結果で、名前が残っているのは分かっていた。うれしかった。もし最終選考作に残ればデビューがほぼ決まるわけだから、ドキドキしながら待っていた。

 そして、最後の最後に、届かなかった。

 とてもくやしいと思ったが、そこまでたどり着けたことは、誇っていいことだと思った。

 ごたえはあったから、来年も応募しよう、または別の新人賞に応募しよう。

 二次選考まで残った作品には、編集部員の選評が送付されることになっていたから、それを読んで参考に、そしてはげみにしよう。

 そんなことを思いつつ、受験勉強をしていた十月のある日──、

 家の電話が鳴った。とうきようの電話番号だった。

 ひょっとしてと思って取ると、やっぱりそれは、電撃文庫編集部からだった。かけてきたのは、以後とてもお世話になることになる担当さんだった。

 ガチガチに緊張して応対する僕に、担当さんは言った。


「本当に、中学三年生なんですよね? 重要なお話があるので、できればおやさんといつしよに、東京の編集部に来てもらうことはできませんか? または、こちらからうかがわせていただきます」


 電話があった日の翌週。

 母と一緒に訪れたアスキー・メディアワークスの編集部で、僕は知った。

 僕の小説が最終選考作になれなかったのが、年齢のせいだったことを。

 嬉しいことに、僕の応募作は評価が高かった。話としては十分におもしろくて、それだけを考えれば、最終選考作に上げることに異論はなかったらしい。ちなみに、四次選考は電撃文庫の編集者全員によって行われている。

 しかし、もしこれを最終選考作に上げてしまうと──、

 受賞しようがしまいが、来年上半期のデビューが決まってしまう。

 もし受賞すれば、翌年二月の出版になる。しなくても三月や四月など、比較的早い。作者はそれを見越して、応募原稿の〝改稿〟にうつることになる。

 今だからよく分かっているが、応募原稿がそのまま出版されることはほとんどない。改稿作業がある。作家は、担当編集さんといつしよに、小説を何度も直していくことになる。

 ライトノベルは、シリーズ化して続巻が出ることが普通だ。その方が部数も伸びる(あまりにれいにしっかりと話が終わっている場合は例外だが)。すると、デビュー前から続編を書きためておいた方が、以後は圧倒的に有利になる。だから、そのしつぴつ作業も必要になる。

 もし当時の僕がそうなれば、受験勉強に影響を与えることは想像にかたくない。


「来年早々にデビューできるのなら、高校には行きません!」


 僕が、そんなことを言いだすかもしれない。

 優秀な作家を集めるための新人賞だし、おもしろくて売れる本を出すのが企業として正しい行動なのは間違いないが、そのために一人の人間の将来を変えていいわけではない。

 編集部として、慎重な判断を下すことにしたのだ。だから、四次選考で落とした。


 この話を聞いて、母は恐縮しきりだった。

 僕はというと、心の中で考えがてんびんの両端を行ったり来たりしていた。


「いえ! 受験と並行してでも書いてみせました!」


 というくやしい気持ちと、


「そこまで配慮してくれて、ありがとうございます」


 という感謝の気持ちと。当時の僕でも、分かっていた。デビューは、本が一冊出ることを約束するだけで、ずっと生きていくに足るほどの収入を保証してはくれない。

 僕の思いはどうあれ、もうくつがえらない決定事項だった。僕は、感謝の気持ちだけを持つように、強引に心を傾かせていった。

 話は、それで終わらなかった。

 その場で、編集部から提案があった。

 作品自体は素晴らしいので、本人の意志があれば、遠からず文庫として世に出したい。

 ただし、急ぐ必要はない。そのための作業開始は、絶対に受験が終わってからにする。

 だから、高校受験がちゃんと終わったら、また連絡を取り合いましょう。

 最後に、このことは絶対に公表しないように。


 それから、僕の受験勉強に熱が入ったのは言うまでもない。

 もともと、高校進学はするつもりでいた。そんななか、目の前にぶら下げられた、


『高校生になれば電撃文庫で作家デビューできる。つまり、自分の書いた小説を本として売ってもらえる。買ってもらえる。読んでもらえる』


 そんな大きな大きなニンジンは、日の出直後の太陽のように光り輝いていた。

 万が一にも、受験に失敗などできない。とにかくひたすら勉強したが、かくれて続編のしつぴつもしていた。これは、後々、あっさりばれたけれど。

 翌年の春。つまり、今から二年前のこと。

 僕は、第一志望の公立高校に合格した。

 合格を知ったその日そのしゆんかんに、僕は編集部に電話をした。


「合格しました! 週明けの月曜日、そちらに行ってもいいでしょうか?」


 今思えば、なんて失礼で強引だったのだろう。

 苦笑しつつも予定をけてくれた担当さんには、本当に感謝している。


 こうして、僕の作家デビューは決まった。

 春休みのほとんどをつぎ込んだ打ち合わせと改稿を終えて、原稿ができあがったのが四月の中頃。


『ヴァイス・ヴァーサ』の第一巻が出たのは、八月十日のことだった。

 それは今から二年前で、僕は十六歳になりたてで、高校一年生だった。

 その年の二月に受賞作品が、四月から七月の間に、最終選考作だったが受賞をのがした作品が出版されていた。

 応募原稿が最終選考作に選ばれなかった人達がデビューすることは、先に言った通り、電撃小説大賞では珍しくない。

 つまり僕もそのパターンだが、同じ年の八月のデビューは早い方だった。

 こうして世に出た『ヴァイス・ヴァーサ』は、大ヒットすることになった。

 うれしいことに一巻から評判がよく、売れ行きは良好だった。十月に二巻が出てからそれにはくしやがかかった。翌年一月に三巻が出る頃には、さらに売れた。

 担当さんに聞いた話だが、僕は電撃作家の中でも、筆が速い方に入るらしい。もちろん、最速ではないけれど。

 僕は高校に通いながら、続編を書いて、その直し作業をして──、

 三巻が出る頃には、五巻までの原稿があった。

 そして同じ頃、つまり高校一年も終わりつつあった一昨年の三月、『ヴァイス・ヴァーサ』にアニメ化の話が来た。


 とてもうれしいオファーだったが、アニメ化となると、原作者もいろいろと大変になることも知った。アニメに協力するとなると、設定の協力やシナリオチェックなど、すべきことが一気に増える。