男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている。I ‐Time to Play‐〈上〉

第一章 「四月十日・僕は彼女と出会った」 ⑦

 僕と似鳥の間にそこまでの上下関係があるとは思えないけれど、確かにこうして普通に話しているところを見られて聞かれたらいろいろと大変だし、ごまかすのもめんどうだと考えて、


「分かった。スタジオでも、話しかけない。お互いばれたら、多分やっかいなことになるから。僕は、口べたで、ごまかしきれないから」


 似鳥は、くすっと笑いながら、眼鏡めがねの下の眼を細めた。


「了解。──ねえ先生、来週もこの列車に乗るんでしょ?」


 僕はうなずいた。


「もしおじやでなかったら、またとなりに座ってもいい? 作家さんなんて会ったことないから、興味があるんだけど……、いろいろと、聞いてもいい?」


 ことわる理由は、なかった。

 例え質問されるだけの存在であっても、僕にとって、似鳥のような女の子と話すのはめつにない経験になる。

 やがてはそれを、小説の中で〝使わせて〟もらいたい。

 ただ、そのときは、モデルにさせてもらったことをハッキリと言って許可を取るか、それとも絶対にばれないようにするだろう。


「大丈夫だよ。僕は、いつも、この号車のこの位置に座ってる」

「やった! これで、演技の深みアップ!」

「〝深み〟は、アップするものなの?」

「作家みたいに細かいね」

「作家……、ですから」


 人生二回目だ。このやりとりは、今後お約束になるのだろうか?


「よし、じゃ、また来週!」


 そう言ったときにたどりは、もちろん僕の顔を見ていたが──、どこか僕に向けての言葉じゃないように聞こえた。まるで、似鳥が自分自身に言い聞かせるような口調だった。

 似鳥が、席から立ち上がった。そして、長い髪を後ろに流してから、僕に小さくしやく


「じゃあ」


 僕は軽く手をって、通路を歩き出した似鳥の背中と黒髪を見送った。

 ずっと女子のおしりを追いかけるのも恥ずかしくなって、車両の半分ほどで視線を窓の外に戻した。

 それから、ふくらはぎに当たっていたリュックを、さっきまで似鳥が座っていた席の上に戻したところで、


「あ……」


 僕は気づいた。似鳥が誰を演じるのか、聞きそびれたことに。

 聞きそびれたと分かると、急にとても気になった。


「…………」


 もしまだ、似鳥がこの車両のどこかに座っているのなら、それくらいは聞いておこうかと思って、僕はその場で立ち上がった。

 目をらしてさがしたが、この車両に座る人達のなかに、似鳥らしい姿はなかった。さすがに、前の車両まで追いかけることはしなかった。

 僕は座った。


 その日の夜、ホテルで気がついたことが三つあった。

 一つめは、ノートパソコンの中に、以前プロデューサーさんからいただいた、キャラ名と声優名が全員分リストアップされたデータが保管されていたこと。

 二つめは、僕と同じように一泊の行程で、しかも台本のチェックをすると言っていた似鳥が、荷物を何も持っていなかったこと。

 三つめは、立ち上がって似鳥を捜したときに、グレーのスーツの女性も座っていた席からいなくなっていたこと。



 翌日の金曜日。四月十一日。

 アニメ『ヴァイス・ヴァーサ』の第二話アフレコで、僕は似鳥を見た。

にたどりと会った〟ではない。文字通り〝見た〟だけだ。

 東京都内ぼうしよの録音スタジオ。

 僕と担当さんが九時四十分頃にコントロール・ルームに入ったときに、似鳥はすでに録音ブースの中にいた。

 服装は、動きやすそうで地味なものになっていた。声優さんは、なるべく音を立てない服を選ぶと聞いたことがあった。

 黒くて長い髪は、じやにならないように後ろで一つにまとめられていた。

 それをらしながら彼女は、次々にやってくるせんぱい声優さん達に、体育会系的な角度のあいさつを何回も送っていた。

 収録が始まった。

 似鳥の出番は、ほとんどなかった。

 無理もない。アニメ二話は、時系列で言えばまったくのぼうとうになる。原作一巻の、三十ページまでくらいだ。

 主にしやべるのは、『ヴァイス・ヴァーサ』の主役級キャラ達だけ。似鳥の演じるキャラクターは、この先の五話まで、いつさい出てこない。

 では、似鳥はなんのためにいるのか?

 この日出番がない別の有名声優さん達のように、スタジオに来なくてもいいのではないか?

 僕が悩んでいると、やがて答えの一つが分かった。

 名前すらない主人公のクラスメイト女子や、通りを歩く女性などを、ひとことふたことだけ演じるためだ。そして、〝ガヤ〟と呼ばれる、多人数がガヤガヤと喋るシーンを。

 一番マイクから遠い位置にあるイスに座って待機してる間も、本当にわずかな演技の時間も、似鳥はいつしゆんたりとも集中力と緊張をゆるめず、真剣な表情をしていた。

 真剣の言葉通り、〝本物の日本刀〟のような、鋭い表情だった。

 話しかけるチャンスがなくて、よかった。あんな状態の彼女と何を話せばいいのか、僕にはまったく分からなかった。

 四時間以上かかって収録が終わると、僕がその場にいる理由はなくなる。

 アニメのかんとくさん、音響監督さん、プロデューサーさんなどに挨拶をして、挨拶の言葉通り、お先に失礼させてもらうことになる。

 声優さん達も、順次録音ブースを出て、コントロール・ルームに短く挨拶を送ってから帰って行く。

 僕が去り際にブースをちらりと見ると、似鳥は帰る声優さん達に、再び髪を揺らしながら挨拶をしていた。