世界最強の魔法使い。だけどぼっち先生は弟子に青春を教わります
第2話 青春を教えてあげます ⑥
私はドミンゴス先生から借りたカメラを取り出し、無音で写真を撮影した。
これを新聞部に提供すれば、少なくともセレネゼミの馬鹿どもが校則を破ったことを喧伝することができる。セレネ・リアージュがクビにでもなれば、イリアの魔法がこれ以上成長する危険性はなくなるのだ。
歯軋りをしながらシャッターを切っているうちに、ふと疑問が芽生えた。
……それにしても、あいつらは何をやっているのだろうか?
さっきからずっと監視しているが、遊んでいるようにしか見えない。
明日の朝、ドミンゴスゼミはこのプールで水魔法の講義をすることになっているのだ。
変なことはしてほしくないのだけれど……。
「……あっ」
その時、私はとんでもないことを閃いてしまった。
やつらは、まさに〝変なこと〟をするのが目的なんじゃないだろうか?
ドミンゴス先生の講義を妨害するために、トラップか何かを仕掛けている可能性も否定できなかった。
「そうに違いないわ……! 許せない、セレネゼミ……!」
邪悪な企みは阻止しなければならない。
私は気づかれないように身を翻し、急いでプールを後にした。
◇
「待てやこらああああああ!!」
「きゃあああああああああ!!」
メローナさんが鬼のようなクロールで追いかけてくる。
私は悲鳴をあげながら必死で泳ぎまくった。
運動は得意じゃないけれど、今は泣き言を言っていられる状況じゃない。
何としてでも逃げ切らなければ、弟子たちに無理難題を突きつけられてしまうのだ。
「ちっ、意外と速い……! 魔法使ってるんじゃねーだろーな!?」
「使ってないよっ!」
たぶんあれだ。火事場の馬鹿力的な……。
でも、このプールは縦に50メートルしかなかった。水泳の授業では無間地獄のように思える広さなのに、鬼ごっこのフィールドとしてはあまりに狭すぎる。
実際、あっという間にメローナさんに追い詰められてしまった。
「覚悟しろ先生! これであたしは潔白だ!」
「そんなの……認めないっ!」
私はメローナさんにタッチされる寸前、壁をキックして華麗にターンを決めた。まさか上手くいくとは思わなかったけれど、なんとかメローナさんの魔手から逃れることに成功。
「なっ……そっちに行ったぞイリア!」
メローナさんが振り返りざまに叫ぶ。
私の行く先には……イリアさんが仁王立ちして待っていた。
冷静に考えて、3対1って無理ゲーすぎない?
「さあ先生! 講義の時間を延長してくださいっ!」
「それ自体はべつに構わないけどプラミさんやメローナさんの要求を呑むわけにはいかないから無理っ!」
私は半泣きになってビーチボールを投擲した。魔法で筋力を増強させているわけでもないのでへぼへぼな投球だったけれど、イリアさんは驚愕した様子で目を見開く。
「なっ……そんなものをどこで……!」
「たまたまそこで拾ったのっ」
どかっ!!
ビーチボールはイリアさんの頭部に命中し、くるくると回転しながらプールサイドのほうへと飛んでいった。
私はその隙をついてイリアさんの横を抜けると、プールの反対側へと泳いでいく。
でもダメだ……このまま3分間もしのげるとは思えない。
「どうしたら…………ん?」
その時、カチッと何かが作動する音が聞こえた。
これはあれだ、魔法回路が励起する時の気配だ。
どうやらプールの底に設置されていた魔法陣を踏んでしまったらしい――
次の瞬間、足元から大量の魔力があふれて大爆発した。
どばしゃーん、と水しぶきがあがり、視界が真っ白に染まってしまう。
「げほっ、げほっ……な、何これ? 誰がこんなの仕掛けたの……?」
「わたしだよ、セレネ先生♡」
甘えるような声が聞こえ、ぞくりと鳥肌が立ってしまった。
水しぶきの向こうから現れたのは、とろける笑みを浮かべたプラミさん。
な、何で……? イリアさんたちと同じで、まだ初級の魔法しか使えないはずじゃ……。
「先生、何か勘違いしてない? もともとわたしはブロンズランクの魔法使いだよ。これくらいできてとーぜん♪」
「いや詐欺でしょそんなの……」
「ちなみにその爆発、周囲の水をローションに変換するから気をつけてね」
「え? わああ!?」
いつの間にか、私の周囲はぬるぬるの園になっていた。
何これ……上手く動けないんだけど!? というか全身がぬるぬるになっちゃう!
プラミさんは何を思ってこんな魔法を開発したのだろうか。
と、とにかく逃げなくちゃ……!
「じゃ、そろそろ終わりにしよっか。一緒にぬるぬるになろうね」
「きゃあああああああ!!」
プラミさんが頬を真っ赤にして近づいてきた。
明らかに変質者だったため、私は大慌てでその場を離脱する。
しかし行く先々で魔法陣が連鎖的に反応し、あちこちで爆発が巻き起こった。
そのたびにぬるぬるに包まれ、私は何度も転びそうになる(巻き込まれたメローナさんやイリアさんも転びまくっていた)。
もはやプールではなく地雷原を駆け抜けているような感じだ。
攻撃力はゼロに設定されているみたいだけれど、これでは上手く逃げることができない。
何故かプラミさんにはローションが全然効いてないみたいだし……。
「おいこらセレネ先生! 一緒に犯罪者になろうぜ!」
「ボールをぶつけられた恨みは忘れませんからねっ!」
「先生、教え子に手を出しちゃいなよ」
「捕まってたまるかああああっ」
ぬるぬるの水しぶきを掻い潜り、私は死ぬ気で弟子たちから逃走した。
そうしているうちに、心が異様なほど高揚していることに気がつく。
絶体絶命の大ピンチのはずなのに……何故か、自然と笑みがこぼれてしまった。
研究室では絶対に味わえないスリルがここにある。
私はいま、リア充っぽい青春を存分に味わっているのだ。
……もし私が勝ったら、イリアさんたちにどんな命令をしようかな?
みんなに猫耳をつけてもらうのも楽しそうだよね。あとは難しい早口言葉を言えるまで帰れません、とかも盛り上がりそうだ。ゆ、夢が膨らむ……。
「セレネ先生! そろそろ観念したらどうですかっ」
「うわ、ボールそんなにあったの!?」
イリアさんが大量のビーチボールを放ってきた。
避けきれずに命中してしまい、その場でバランスを崩してつんのめる。
さらに足元の地雷が爆発。
視界は一挙に漂白され、右も左も分からなくなってしまう。
「もらったぁ――――――!!」
「じっとしててね、セレネ先生っ」
いつの間にか、前後からメローナさんとプラミさんが急接近していた。
ダメだ。捕まっちゃう。まだ捕まりたくないのに。
弟子たちの凶悪な要求を呑みたくないというのもある。
だけど、それ以上に――できることなら、この時間がもう少し続けばいいと感じていた。
リア充らしく、周りを気にせず大はしゃぎする。
それは、私が今までずーっと夢見てきたシチュエーションなのだから。
メローナさんとプラミさんが手を伸ばしてくる。
私は逃げることもできず、その場で立ち往生していた。
ああ。これで鬼ごっこは終わりか。
なんだか寂しい気もするけれど――
「こらぁ――――ッ!! 何をやってるんだ貴様らぁ――――っ!!」
突如、大音声がプールにとどろいた。
全身を雷で貫かれたような気分になる。
びっくりして振り返れば、プールの入り口のところにライトを持ったおじさんが立っているのが見えた。顔面を怒りで真っ赤に染め、ぎょろりと私たちを睨んでいる。
あ、終わった。
あの人、警備員さんだ。
「やばい、見つかった! 逃げるぞ先生!」
「え? ええ? えええええ!?」
メローナさんは私を置き去りにして走る。
ちょっと待ってよ。私を置いて逃げるなんてズルいでしょ。



