世界最強の魔法使い。だけどぼっち先生は弟子に青春を教わります
第5話 次の国王は誰? ③
「これは実用段階ではありませんのよ。セレネ・リアージュをぎゃふんと言わせてやりたい気持ちは分かりますが、その手の計画はゆっくり時間をかけて練るのが常道ですわ」
「セレネ・リアージュじゃなくてイリアを直接何とかしたいんですっ! 4年間だけでもあいつが無能になれば、私が次の国王に……!」
「ダメです。外道魔法は悪魔の力を借りる危険な魔法。完全でない状態で発動すれば、悪魔に心を乗っ取られてしまいますもの」
ドミンゴス先生は「そろそろお帰りなさいな」と言って踵を返した。
でも……私は諦めることができなかった。
気持ちが逸るのを感じながら方眼紙を見下ろす。おどろおどろしい曲線で描かれた、見たこともない不気味な魔法陣。今の私にとっては、すべてを解決する希望の印に見えてならなかった。
あとで怒られるのは分かっている。
だが、今は目の前の利益をとるべきだった。
「ごめんなさい、ドミンゴス先生……!」
【ゴッドスレイヤー】の魔法陣に手をかざした。未完成らしいが、ある程度の効果は期待できると思う。だってドミンゴス先生は天才だから。
魔法を発動する方法はすでに習っている。魔法陣さえあるならば、あとは魔力を流し込んで魔法回路を励起させるだけだった。
はたして魔法陣は、紫色の禍々しい光を発し始めた。
対象はイリアだ。イリアの才能をゼロにしてしまえばいい――
「――カミラさん!? 何やってるんですの!?」
ドミンゴス先生が振り返った。
だが、ここまで来てやめるわけにはいかない!
「ごめんなさい先生! あとでいくらでも土下座しますんで!」
「その魔法陣は未完成だと言ったでしょう!? 前を向いてくださいっ」
「え?」
私は言われるまま魔法陣に視線を戻した。
その瞬間、黒い何かが……ドロドロしたヘドロのような液体が、川が氾濫するような勢いであふれてくる。
あっという間に床は黒く染め上げられ、散らばっていた書類や備品が押し流されていった。私も足をすくわれ、無様に尻餅をついてしまう。
「な、何これ」
呆然としていた時。
ぬぷり。
魔法陣の中央から、何かが天井に向かって突き出してくるのが見えた。
それは……無数のトゲトゲが生えた、黒い腕だろうか。
禍々しい瘴気を振りまきながら、4本の指をぬるぬると動かしている。やがてその鋭利な爪が、まっすぐ私のほうに向けられた。
あ、やばい。
死を覚悟した瞬間、黒い腕が、獲物に飛びかかる肉食獣のように迫ってきた。
あれは悪魔の腕に違いない。
私を殺そうとしているんだ。
「どきなさい!」
横からドミンゴス先生がタックルをかましてきた。
魔法で全身を硬化させているのか、ハンマーで殴られたような衝撃だった。私はそのまま瘴気の海に転がり、ガツンと壁に顔面をぶつけてしまう。
い、痛い……鼻が折れたかもしれない! でもそれどころじゃない!
「先生、大丈夫ですか……!?」
「あ……ぐっ!」
振り返った先で目撃したものは、絶望的な光景だった。
魔法陣から生えてきた黒い腕が、ドミンゴス先生の首をがっしりとつかんでいる。ドミンゴス先生は振り解こうとするが、よほど相手の力が強いのか、びくともしなかった。
「がっ……に、逃げなさい……カミラさん……!」
「ご、ごめんなさいっ。私、そんなつもりじゃ……」
「いいから逃げなさいっ……! 不完全な魔法陣、未熟な魔力の込め方……。2つの要素が、合わさって、向こう側にいる、悪魔の逆鱗に、触れたのですわ……! このままだと、取り込まれてしまいますから……、はやく別のマスターに、連絡を……」
ドミンゴス先生の身体を、黒いドロドロが包み込んでいった。
私は結局、腰を抜かして動くことができなかった。
無数の腕が、私のほうにも伸びてくる。
◇
「お疲れ様です、セレネ先生」
「んじゃ、また明日ー」
「ではでは~」
講義が終わると、弟子たちは研究室から去っていった。
最近はみんなの、特にイリアさんのやる気が倍増している。私が何かを説明するたびに「どういうことですか!?」「じゃあこっちはどうなるんですか!?」と質問を浴びせてくるのだ。
勉強熱心なのはいいことだけれど、教える側も教える側でけっこう大変だ。おかげ様で講義が終わるころにはへとへとになってしまっている。
こういう時は贅沢するに限るよね。
研究室に設置されている冷蔵庫をパカリと開ける。
そこに入っていたのは――
「〝アイネル屋〟の期間限定プリン! みんなに内緒で食べちゃお」
頬がにやけるのを自覚しながらカップを手に取る。
やっぱり疲れを癒すには甘いものがいちばんだ。
ちなみにこのプリン、フレデリカ先生からいただいたものだ。
こないだ、謝罪のためにわざわざ訪ねてきてくれたんだよね。
そこで「カミラさんにきつく言っておくこと」「原因を究明すること」「2度と起こらないように徹底すること」などを約束してくれた。
カミラさんの色々も考えなくちゃいけないけど……今はそれよりもプリンが大事だ。
フレデリカ先生がくれたのは、色々な味のプリン6個セットである。
これを販売しているスイーツ店、〝アイネル屋〟は常に繁盛しているため、平日でも1時間以上並ばないと買えない。
人込みが嫌いな私には、まず入手は不可能なのである(フレデリカ先生ありがとう!)。
だから、隅から隅まで味わい尽くしたかった。
他の人がいるところでは絶対に食べられない。
もしも「1口ちょーだい」なんて言われた日には、断腸の思いで1口譲ることになっちゃうからだ。
私はきょろきょろと周囲を警戒する。
弟子たちはもう帰った。ミルテもとっくに帰っている。
誰もいない今がチャンスだった。
「ふふ……いただきまーす♡」
「おやおやセレネ様! いいもの食べてるじゃないですか~!」
「ぴや!?」
振り返れば、掃き出し窓からミルテが侵入してくるのが見えた。
何で!? 帰ったはずじゃないの……!?
「な、何か用かな……? 忘れ物でもした?」
「その通りです。家で読もうと思っていた推理小説が置きっぱなしだったんですよ。あとちょっとで犯人が分かるところだったってのに――お、ありましたありました」
「勤務中にそんなの読んでんの……?」
「堅苦しいことはいいじゃないですか。……それにしてもセレネ様? 美味しそうなものを食べてますねえ? せっかくだから1口いただいてもよろしいですか?」
「あげないからっ。これ限定品なんだからっ!」
「そんな殺生なっ……! 不肖ミルテ、日々セレネ様のためを思って一生懸命働いているんですよ? ちょっとくらいご褒美があってもいいじゃないですかっ……!」
「うっ……」
た、確かにミルテはよく頑張ってくれているよね……。
朝ごはん作ってくれるし、スケジュールの管理とかもしてくれるし……。
ええい、しょうがない! 私の感謝を食らえ!
「わ、分かったよ。1口だけだからねっ」
「ありがとうございます」
ミルテはスプーンでプリンすくって――
ぱくりとそれを口に運んだ。
「え? 今の絶対1口じゃなくない……? 3口ぶんくらいなかった……?」
「これが私の1口なのです♪ そんなことよりセレネ様、気づいてますか? 研究棟が大変なことになっているみたいですよ?」
「べ、べつにいいけどね……ミルテには色々お世話になってるし……。……でもさっきのが1口っていうのは無理がない……? リンゴを丸呑みする時くらい開けてたじゃん……」
「セレネ様、聞いてます?」
「あうっ」
頭を軽くチョップされて我に返った。
「な、なに? もうあげないよ?」
私は拗ねつつプリンを口に運ぶ。ふわふわした幸せが弾けた。やっぱり甘いものは最高だよね。疲れがどんどん癒されていく感じがする……。



