世界最強の魔法使い。だけどぼっち先生は弟子に青春を教わります
第5話 次の国王は誰? ④
ミルテが「そうじゃないですよ」と頬を膨らませ、
「さっき研究棟の正面玄関に行ってみたんですが、気味の悪い液体がぶちまけられていたんです。マスターたちが調査をしていましたが、何やら魔力が含まれているみたいで」
「何それ?」
「分かりませんねえ。廊下もけっこうぐちゃぐちゃになっていたので、わざわざ中庭を迂回する羽目になっちゃいました」
「あ、だから窓から入ってきたんだ」
清掃担当の人が汚れた水をこぼしちゃったのかな?
最近は掃除用の生活魔法も発達してるし、魔力が含まれていても変じゃない。
いずれにせよ、あんまり深く考えても仕方ないだろう。
「たぶん大丈夫じゃない? 誰かが片付けてくれるだろうし」
「他力本願ですねえ。私はちょっと嫌な予感がするのですが……」
ミルテがふと窓の外を見上げる。
空を飛ぶカラスを見つめ、思い出したように言った。
「そういえば、カミラ・ムーンライズさんと話しました?」
「ん? まだだけど……」
「じゃあ、さっさと話をつけたほうがいいと思いますよ。あの人、イリアさんを妨害するためなら何でもしますから」
ミルテにはカミラさんのことは話してある。王位継承云々の事情を聞かされたミルテの第1声は、「うわめんどくさっ」だった。
「まあ、一応あとで話をする予定だけど……あんまり話したことないから不安だよね……前にタイツ破いちゃった件もあるし……」
「ここでコミュ障発揮させてる場合じゃないですよ! 自宅謹慎程度じゃ絶対反省してないですもん。……あ、ドミンゴス先生にもガツンと言ってやってくださいね? あの人もあの人でセレネ様のことを目の敵にしてますからねえ」
「何言ってるの? フレデリカ先生は私の由緒正しき友達候補だよ」
「あらまあ、セレネ様って頭の中がお花畑なんですねえ。素敵すぎて涙が出ますよ」
「それってどういう意味――あ、ちょっとミルテ! そのプリンは私のだから!」
ミルテは勝手に冷蔵庫を開けて残りのプリンを取り出していた。あれは――コーヒー味のやつだ! 私が明日食べようと思ってたのに!
「いいじゃないですか、6個もあるんですから」
「さっき1口あげたよね……!?」
「もっと食べたくなりました!」
「ダメええええ!」
私はプリンを奪い返すために、必死でミルテに飛びかかるのだった。
◇
校門に向かって歩いていた時、背後の校舎から悲鳴のようなものが聞こえました。メローナさんが眉をひそめて振り返り、
「やけに騒がしくねーか? 講義も終わる時間だってのに」
「どこかの研究室が爆発したんじゃない?」
「そう頻繁に爆発してたまるかよ」
私は「いえ」と首を振りました。
「この時期はよくある話だそうですよ? 4月と5月は新入生のための基本的な講義が開かれることになっていますが、毎年調子に乗った学生が身の丈に合わない魔法を発動させて事故を起こすんです。去年は研究棟で5回くらい爆発があったと聞きました」
「バカだなー」
「本当にそうですよね」
今朝、火事を起こしかけたことは黙っておきましょう。
「なので皆さん、気をつけるように。セレネ先生の研究室で興味深い魔法陣を発見しても、勝手に起動させてはいけませんよ」
「んなこた分かってるって」
「むしろリアちゃんがやらかさないか心配」
「私はそこまで愚かではありませんっ。やっていいここと悪いことの分別くらいはつきます」
無理をして道を踏み外したら大変ですからね。かえってシルバーランクへの道のりが遠のいてしまいます。
「ま、あたしらには関係ないことだ。さっさと店に行こうぜ」
「では急ぎましょうか。夕方になると街も混んできますから――」
しゅんっ。
髪が揺れました。
一瞬、視界の端を黒い何かが通り過ぎたように見えたような。
「え?」
不思議に思って横を見れば、石畳の上に、ねばねばとした黒い液体が付着しているのが見えました。
まるで何かを引きずったかのように、校舎のほうから引き伸ばされている液体――こんなもの、さっきまであったでしょうか?
「おいイリア! 前を見ろ!」
メローナさんに腕を引っ張られ、慌てて視線を前方に戻しました。
アイネル魔法学院の壮麗な校門。
その上に、真っ黒いドラゴンのような怪物がたたずんでいました。
全長は3メートルを超えるでしょうか。
翼はないので巨大なトカゲのようにも見えますが、体躯は見るからにぬめっていて、尻尾や腕の先からぽたぽたと黒い液体が垂れています。
その双眸が、ぎょろりと私たちを捉えました。
周囲の学生たちが「ひいい」「ばけものぉ!」などと叫んで逃げていきます。
先ほど校舎のほうから聞こえた悲鳴は、このドラゴンを目撃した人たちのものだったようです。
「何だあいつ……!? 学院で飼ってるペットか……!?」
「メロちゃん、あんなの飼えないよ」
「見たことないドラゴンですね。迷い込んでしまったのでしょうか……?」
「というか、あたしたちのこと狙ってねーか?」
「うん。あれは獲物を見る目だね……」
「そんなまさか」
その瞬間、ドラゴンが咆哮とともに飛びかかってきました。
メローナさんが「ぼけっとするな!」と私の首根っこをつかんでジャンプします。
ぼぐんっ!!
トゲトゲの腕が振るわれ、石畳がたやすく抉られてしまいました。
体表がぬめぬめしているので柔らかいのかと思っていたのに、人を殺すのに十分な威力を秘めているようです。
ドラゴンが唸り声を発して私を振り返りました。
頭真っ白。だって怖すぎるもん。
「……ど、どど、どうしましょうか!? とりあえず王族の紋章を見せつけて平伏させますか!? それともお金を支払って帰ってもらいましょうか!?」
「落ち着けイリア! どっちも意味ねーから!」
「でも私、王族なんですが……!?」
「ドラゴンには王族も不良も変態も関係ねーよ!」
「あ、あれ見て!」
プラミさんが指をさしました。つられて見やれば、ドラゴンの身体に何かがくっついているのが見えました。
それは……顔?
しかもあの顔には見覚えがあるような……。
「ぐ……に、逃げなさいっ! あんたたちも捕まっちゃうわ……!」
「か、カミラ……!?」
何故か、ドラゴンのお腹のあたりにカミラの頭部が浮かび上がっているのでした。正確に描写するならば、首から下がドラゴンの体内に埋まっているような感じでしょうか。
メローナさんが叫びます。
「うわキモっ!? なんだお前……!?」
「キモイって言うなっ! このドラゴンに取り込まれちゃったのよ! 私みたいになりたくなかったら逃げなさい、今すぐにね!」
「カミラ! このドラゴンはいったい何なのですか?」
一瞬、気まずそうに目を逸らされてしまいました。しかしすぐに吹っ切れたように歯を食いしばります。
「……あ、悪魔に取りつかれたドミンゴス先生よ! 私、研究室にあった魔法陣を勝手に起動させちゃって……! やり方をよく知らないまま魔力を流し込んだから、怒った悪魔が襲いかかってきたの! それでドミンゴス先生が身代わりになって取りつかれちゃったってわけ!」
「「「………………」」」
ああ……。
まーた諸悪の根源……。
「と、とにかく逃げなさい! デビルドラゴンドミンゴス先生は、あんたたちが敵うような相手じゃないんだから………」
そこでカミラが「うっ」とうめき声をあげました。
「カミラ……?」
「う、ぐぐ、ぐ、ああああっ…………!」
苦悶に染まる表情。ドラゴンの体内で何が起きているのか分かりませんが、何かの責め苦に耐えていることは明らかでした。
「カミラ!? どうしたんですか……!?」
「よ……、よく分からない、けど……! 全身から力が抜けていくのっ……! 何これ……」
「ま、まずいよ。あれは消化かも」



