世界最強の魔法使い。だけどぼっち先生は弟子に青春を教わります
第5話 次の国王は誰? ⑪
『な、何をした! 我の奥義が……!』
「私も昔は酔いやすい体質だったからっ……! みんなの前で吐いちゃったことがあって、それ以来ずっとからかわれてて……。もうそんなことがないように、こっそり処理できるような魔法を作ったの! 100万リットルまでなら吸収できるよ!」
『そんなに必要ないだろうが!!』
「だ、大丈夫! このことは誰にも言わないから……!」
『わけの分からぬ配慮はいらぬわァ――――――――――――――――――!!』
咆哮とともに腕を躍動させる。
さらには【ファイア】や【サンダー】といった魔法もめちゃくちゃに乱射してやった。
壁が抉れ、そこかしこで爆発音が響く。
ところが、小娘はそれらすべてをいなして突き進んでくる。
ぞっとしてしまう。
この世にはこんな人間がいるなんて。
『馬鹿な……! この我が! 悪魔公爵アスタロト様の下僕であるこの我が……! こんな小娘ごときにっ……!』
「フレデリカ先生っ! いま行くから……!」
小娘が床を蹴って飛翔した。
大慌てでその場から離脱しようとしたが、何故かその場から動くことができなかった。
『何だこれは……!』
床に、白いねばねばした物体がぶちまけられている。
足が絡めとられ、1歩も移動できない。
やつがいつの間にか罠を仕掛けていたのだ。
「それは【トリモチを一瞬で生み出す魔法】だよ! 罰ゲーム用に作ったんだけど、むかし学校のパーティーで使ってみたら、ドン引きされてお蔵入りしちゃったの……」
『くそ、動けぬ! 解除しろ!』
「だ、ダメだから! じっとしててね、フレデリカ先生!」
ぎゅっ。
いつの間にか、小娘が我の首元にしがみついてきた。
恐怖が全身を駆け巡る。
やめろ――そう言いかけた瞬間、
「【キャンセル】」
打ち消しの魔法が発動した。
『ぐあああああああああああああああああああああああああああああ!!』
激痛。そして絶叫。
我を構成している粘液が、ぼろぼろと崩れていく。
ダメだ。抗うことができない。魔力量の差が大きすぎる。こんなことがあっていいはずがない。我は悪魔公爵アスタロト様に仕える由緒正しき悪魔なのに……。
「フレデリカ先生っ! しっかりしてよっ!」
小娘の真剣な顔がそこにあった。
この期に及んでこいつは何をのたまっているのか。
ああ。恐ろしい。
我の敵う相手ではない――
◇
どぱあんっ――!!
セレネ先生が抱き着いた瞬間、ドラゴンの身体が破裂しました。真っ黒い液体が飛び散り、雨のごとく体育館に降りそそぎます。
しかし、それもすぐに止んでしまいました。
体育館を覆っていた黒いねばねばも、春の日差しで溶かされる雪のように薄くなっていきます。戒めから解放された私たちは、重力に従って床に落ちてしまいました。
「ぐえ」「いたっ」――そんな悲鳴が連続しました。
メローナさんとプラミさんです。
私だけは辛うじて受け身をとり、身体の凝りを解しながら立ち上がりました。
「セレネ先生……!」
「あ、イリアさん! 大丈夫だった……!?」
体育館の中央に立っていたセレネ先生が、慌てた様子で振り向きました。
そのすぐ近くには、フレデリカ・ドミンゴス先生が倒れています。
ドラゴンの体内から解放されたのでしょう。
私は大急ぎでセレネ先生のもとに駆け寄ろうとしました。
ところが、ふと自分が裸だったことを思い出してしゃがみこんでしまいます。
「あの……! 何でもいいので服を持ってきていただけると助かるのですが……!」
「そ、そうだよね! とりあえずこれを着てて……!」
セレネ先生が腕を振ると、近くにどさどさと衣類が落ちてきました。
下着などもありましたが(何故?)、サイズが違うので着けるわけにもいきません。ひとまず大きめのパーカーを羽織っておきました。
「怪我とかない? ずっと縛られてたみたいだけど……」
「は、はい。だけど才能が……」
そこでふと気づきました。
自分の中に、魔力が感じられるのです。
試しに【ライト】を発動してみると、問題なく指先に光が灯りました。
「あれ? 何ともない……?」
「どうしたの?」
「あのドラゴン、人間の才能を食べる悪魔だったんです。私たちの才能も奪われちゃって、もう魔法を使えないと思っていたんですが……」
「フレデリカ先生、そんな魔法も使えたの……!?」
「いえ、魔法というか何というか……」
セレネ先生は「う~ん」と考え込んで、
「えっと、外道魔法が解除されたからじゃないかな? フレデリカ先生の中に残っていたものが、あるべきところに戻ったんだと思う。いま【スキャン】してみたけど、メローナさんたちも無事みたい」
「そ、そうですか。よかった……」
そこでふと、気絶しているフレデリカ・ドミンゴス先生が視界に入りました。ドラゴンに囚われていたのに、服はまだ完全には溶け切っていないようです。
「……ドミンゴス先生は無事なんですか?」
「うん。たぶん。……今は気を失っているみたいだけど、外道魔法も解けたし、正気に戻ってくれたはずだよ」
「えっと、非常に申し上げにくいのですが、それって勘違いじゃないですか……? あの方は悪魔に取り憑かれていたんですよ」
「分かってるよ。フレデリカ先生が心に闇を持っていることは、私も気づいていたから……。これからはフレデリカ先生の力になれるように頑張ろうと思うんだ」
セレネ先生、思い込みが激しいタイプのようですね……。
私が何を言っても無駄な感じがします……。
ま、まあそれはともかく。
私はセレネ先生に向き直り、深々と頭を下げました。
「先生。助けていただきありがとうございました」
「え? ああ、うん」
「自分だけの力ではどうにもなりませんでした。もっと強くならなくちゃですね。先生みたいに、どんな敵でも倒せるくらい強く……」
「べつに私はそんなに強いわけじゃないけど」
「いいえ。強いです。それに……かっこよかったです」
「そ、そうかな?」
私は小さく息を吸って吐きました。
セレネ先生が戦っている間、私はその姿をじーっと見つめていました。記憶に残っているあの人の姿と重なっていたからです。
……ひょっとしたら、セレネ先生とは会ったことがあるのかもしれません。
それを確かめなければなりませんでした。
「セレネ先生、お聞きしたいことがあるのですが」
「なに?」
「昔、ルナディア王国を訪れたことがありますか?」
セレネ先生はきょとんとして、
「あると思うけど……」
「詳しく聞かせてください! どこへ行ったとか、どんなことがあったとか――」
がこおん。
体育館の扉が開かれていく音が響きました。
「おーい、誰かいるのかー? さっきから妙な物音が聞こえるが、まさか無許可で遊んでるんじゃないだろうなー?」
騒ぎを聞きつけた警備員さんが様子を見に来たようです。
セレネ先生が「うひゃあ」と悲鳴のような声を漏らしました。
「イリアさん! 隠さなくちゃ!」
「隠す? 何をですか?」
「メローナさんやプラミさんだよっ! 男の人に見せたらまずいからっ……!」
あ。一気に焦燥感が膨れ上がりました。
「ど、どうすればいいでしょうか!? いまから運び出すのは無理ですよ……!?」
「ひとまず毛布で包むよ! イリアさんは警備員さんを足止めしてきて!」
「はいっ……!」
私は慌てて入り口のほうへと走ります。
結局、セレネ先生のことは聞きそびれてしまったのでした。



