世界最強の魔法使い。だけどぼっち先生は弟子に青春を教わります
第6話 休み時間のリア充談義 ②
◇
「スポーツでも始めてみたらどうだ?」
メローナさんがスコーンをかじりながら言った。イリアさんがそれに追随する。
「それはいいですね。精神は肉体に引っ張られると言いますし、身体を鍛えたらメンタルも安定するんじゃないでしょうか」
「思うに、先生は運動不足なんだよ。もっとアクティブになったほうがいいと思うぞ」
「スポーツかあ……」
私は記憶を反芻する。
ドッジボールで最後まで取り残された思い出。スキーで転がって雪だるまになった思い出。バスケットボールが顔面に直撃して鼻血を出した思い出。クラスの子たちから「お前がチームにいると弱くなるんだよ!」と真正面から言われた思い出。
涙が出てきた。
「む、む、無理ぃ。だって私、運動苦手だもん……」
「おわあっ!? な、泣くなよ!? あたし変なこと言っちゃったか……!?」
「古傷が抉れてしまったんでしょうねえ。セレネ様は小さい頃から体育とかで苦い思いをしてきましたから……」
「わ、分かった! チームスポーツじゃなくていい! ジョギングとかでどうだ!?」
「そ、そうだね。頑張って走ってみる……」
「じゃあ今日からスタートな。講義が終わったら3000メートルくらい走るか」
「あ、それは遠慮しておく方向で……」
「は?」
「だ、だって急なんだもん。こっちにも心の準備があるっていうか。やるなら来週から……ううん、再来週から……それと走るのもグラウンド1周くらいで……」
「やる気あんのかよ!?」
「あ、あるよ! あるけど徐々に慣らしていくことが大切でしょ!? 私、もともと運動が苦手というか、あんまり好きじゃないから……」
「根本的に腑抜けてやがる……」
呆れられてしまった。
プラミさんが「やれやれ」と肩を竦め、
「メロちゃん、そんなんじゃダメだよ」
「何であたしが責められるんだ? おかしくないか?」
「嫌なことを無理にやっても長続きしないでしょ? セレネ先生に必要なのは、楽しく継続できることだよ。セレネ先生、好きなことはなに?」
「研究とか、おやつを食べることとか、あとは……」
「読書も好きでしょ?」
「あ、うん。小説はよく読むよ」
「じゃあ、本を音読するのがいいと思うよ。口下手を直すためには、たくさんしゃべることが大事。文章を読むだけなら、誰にも気兼ねなくできるでしょ?」
「お、おお……! それなら簡単そう!」
「はい、試しにここで読んでみて」
プラミさんが渡してきたのは、ブックカバーがかけられた本だ。私は特に疑うこともなくそれを受け取り、ぺらぺらとめくってみる。
「えーっと……『オレンジの季節になると、思い出すことがある。あの人は病気がちな私を気遣って、しばしば私のお屋敷を訪れてくれたんだ』」
「その調子その調子」
「『彼から囁かれた言葉は、一言一句、そのすべてを全身の細胞が記憶している。好きだよ、可愛いね、といったシンプルかつ情熱的なものから、詩的で婉曲的な愛の告白まで様々だった。私の凍りついていた心は、彼の甘い言葉でゆっくりと絆されていき』――」
そこまで読んで、顔に熱がのぼってきた。
「な、何これ……? どう見ても恋愛小説だよね……!? は、恥ずかしんだけど……」
「そう? べつのがいい?」
「うん」
「ではこちらにえっちな小説がありまして」
「もっとダメ!!」
この子は何を考えてるんだ。アイネル魔法学院の風紀が破壊されちゃう。
私は紅茶をごくごくと飲み、なんとか頭をリセットしようとする。
メローナさんが溜息を吐き、
「音読なんて意味ねーだろ。結局のところ1人でブツブツ言ってるだけだぞ」
「ええ? そうかなあ……?」
「私にいい考えがありますよ」
イリアさんがドヤ顔を浮かべ、
「セレネ先生は孤独に慣れすぎているんです。友達を作りたいと思う反面、人付き合いが億劫でしょうがない。そういう矛盾した感情があるんじゃないでしょうか?」
「う、うん。確かに……」
「だから、まずは人と接することが重要です。少々荒療治になってしまいますが、強制的にたくさんの人と関わるようになれば、ある種の慣れが生じてメンタルも変わっていくのではないでしょうか」
「お前にしてはマトモなことを言うじゃねーか」
「リアちゃん、さっすがー」
イリアさんの言うことには一理あった。
私には経験の絶対量が不足しているのだ。
「で、でも。どうすれば……?」
「お金持ちになればいいんです」
「「「は?」」」
「あるいは権力者でもいいですね。富や権力を頼って多種多様な人間がすり寄ってくるようになります。誰が敵で誰が味方か判断がつくようになりますし、対人経験を積むにはもってこいの環境が構築されますよ」
「……ダメだな、これは」
「お金持ちだから感覚がバカになってるね」
「な、何でですか。私はそうやってコミュニケーション能力を磨いたんですよ?」
「そうかそうか。ドンマイ」
「リアちゃん、可哀想な半生だったね……」
イリアさんが「憐れまないでくださいっ!」とぷんぷん怒っていた。
私は3人からいただいた貴重な意見を復習してみる。
運動は苦手なのでいったん保留。音読は一応やってみようと思うけれど、本当に効果が出るのかは疑問だった。お金持ちや権力者になるのは、たぶん物理的に不可能……。
いったいどうすればいいのだろうか。
「うう。リア充への道のりは遠いね……」
「そんなに悩むようなことじゃないと思いますけどねえ?」
ミルテがポットで紅茶をそそぎながら言った。
私は思わず頬を膨らませてしまう。
「他人事だと思わないでよ。雇用主がリア充になれるかどうかの瀬戸際なんだよ? ミルテも親身になって考えてよ」
「いや、ぶっちゃけお給料もらえればどうでもいいので」
「ひどいよっ! もっと敬ってよ!」
「敬ってますよ。だから美味しいスコーンを買ってきたんじゃないですか」
「う……そ、そうだね。ミルテはいい秘書だね……」
さくり、とスコーンをかじる。めちゃくちゃ美味しかった。
ミルテが「でもまあ」と不自然に視線を逸らし、
「セレネ様は、順調にリア充への階段を上っていると思いますよ」
「え……?」
「だってセレネ様、1か月前よりはるかに明るくなりましたもん」
弟子たちが顔を見合わせた。
私もきょとんとしてしまう。
「そ、そうかな? 自分的には全然変わってないと思うんだけど……」
「いいえ、うるさいくらいに明るくなりました。弟子が一気に3人もできたおかげですね。それと皆さんと交わした青春契約――あれが効いているのではないでしょうか? 先ほどイリアさんは『人と接することが重要』とおっしゃっていましたが、まさにそういう状況にいるわけですから」
た、確かにそうだ。
私は弟子たちに振り回され、普段ではありえない体験をたくさんしてきた。
プールに忍び込んだり、デートをしたり、牢獄で刑務作業にいそしんだり……。
おかげで私のリア充力が上がってきた気がする。
「じゃ、じゃあ、青春契約を続けていれば、私もそのうち友達ができてリア充になれるってこと……?」
「保証はできませんが、確率は高まるでしょう。というわけで皆さん、今後もセレネ様のことをよろしくお願いします♪」
ミルテがぱちりとウインクをした。
これを受けたイリアさんは、恐縮した様子でガタリと立ち上がる。
「は、はい! セレネ先生にはお世話になっていますからっ! 私がシルバーランクで卒業する頃には、先生も立派なリア充になっていることでしょう!」
メローナさんやプラミさんも「うんうん」と頷いている。
「まあ、そういう契約だからな。あたしも協力するよ」
「同意。セレネ先生のためにがんばる」
「み、みんな……! なんていい子たちなのっ……!」



