神様のメモ帳

1 ④

「なりませんよ!」と僕はあわてて抗議した。少佐はゴーグルの奥から僕をにらみ、段ボール箱の上にこしを下ろす。


「一億総ニートの時代には、このような量産型ニートも必要なのか。我が国の未来は暗い」

「……量産型?」


 おそるおそるいてみると、少佐はびっと僕を指さしてまくしたて始めた。


「そもそも貴様はニートの定義を知ってるのか? 原義では十六さいから十八歳の非就学・非就職者を指していたのが、英国から日本に輸入されて十五歳から三十四歳までと爆発的に定義が拡大されたのだ。あまりにも多様化したために、能動型・受動型の二種、せつ型・せつ型・ちつきよ型・ちゆうちよ型の四種、あるいは三次元じくはつしようげんで分類しようとの試みも見られるが自分に言わせればすべてナンセンス」

むかさん、お待ちどおさま」


 彩夏が少佐の分の塩ラーメンを持ってきた。向井さんというのが少佐の本名らしい。


「ごめんねふじしまくん、もうちょっとしたらピーク過ぎるから」


 僕は彩夏に全力で、この座から脱出したいからなにか口実を作ってくれと念を飛ばしたけど無視された。少佐はスープを一口すすってまたしやべり出す。


「そもそもニートは文化依存症だ。我が国のような富強国でしか生まれ得ない。我々はもっとニートを誇るべきだ! ニートをはぐくんだ国土を愛し、内外のてきから守るために立ち上がらなくては! 量産型ではなく精鋭のニートをつのせつたくし、日本新党にいとを結成し悪のすうじくに断固たる戦いをいどむのだ! 増えるぞニート! 燃え尽きるほどニート!」

「うるせー黙って食え!」


 ちゆうぼうからミンさんの怒鳴り声と一緒になべが飛んできて少佐の頭に激突した。

 三人目がやってきたのは、少佐がぼうをぬいで後頭部のこぶをさすっているときだった。


「あれ。どうしたのその子」


 男の声がして、路地の入り口に背の高い影が差す。

 明るい色のジャケットとチノパンツを少しくずした感じで着こなした青年が立っていた。どこの業界かわからないけど業界人のオーラが出ている。テツせんぱいとは違う意味でされてしまい、その人が寄ってきたのでドラムかんからずり落ちそうになった。


あやの知り合い。ほら、M高の」とテツ先輩が言うと、「あー、あーあー」とその人は笑って、僕のブレザーのかたたたいた。


「テツがこの制服着てた時代もあったんだよなあ」


 その人はせまくるしい勝手口周辺を見回すと、テツ先輩のとなり、階段にこしを下ろした。僕は内心、首を傾げる。この場所はニート専用とかどうとか言ってなかったっけ?


「はじめまして。おれ、こういうもんです」と、その人は胸ポケットから薄い名刺入れを取り出して一枚僕に差し出してきた。やっぱり、ちゃんと働いてる人なのだ。そう思って受け取った名刺を見たら、こんなことが書かれていた。



『ニート

   くわはら ひろあき



 ……はっ。一瞬、意識を失ってしまった。

 自分の生きている世界を確かめるために、僕は深呼吸してあたりを見回した。テツ先輩はアイスに、しようはのびかけた塩ラーメンにかかりきりだった。彩夏はちゆうぼうけむりの中でどんぶりを洗うのに忙しく、ミンさんはちゆうなべほのおと格闘中、見上げた晩秋の夜空はどこまでも高く、突っ込む人間は僕だけだった。


「え、と……お仕事がニートなんですか?」


 こわごわたずねると、ヒロさんは歯磨き粉のCMみたいな笑顔を浮かべて答える。


「なに言ってんだよ。ニートは職業じゃないぞ?」


 そりゃそうだよなあ、とうなずきかけた僕にヒロさんの追い打ちが飛ぶ。


「ニートというのは生きざまなんだな」


 僕はもう泣きそうだった。生き様だってさ。目を細めてかみをかきあげるヒロさんはにかっこよかった。なんなのこの人たち。


「ヒロなんで名刺作ったんだっけ」

「これナンパに便利なんだよね。見せるだけでウケるから」

「彼女に怒られるから無差別ばくげきはやめたと言ってませんでしたか」

「あ、あのとは別れた。今はヘルスじようの部屋に泊めてもらってんの。最初から無職って主張しとくと居着くの楽だわーほんと」


 ヒロさんはヒモだった。そうか、生き様かあ。

 彼らの会話を遠く聞きながら、僕はラーメンのスープを飲み干した。味はよくわからなかった。断片的な話から察するに、全員まだ十八さいか十九歳らしい。輝かしい未成年。

 テツせんぱいの言う通り、僕ももうすぐこうなるのかな、とぼんやり思い始めた。それだけはかんべんしてほしかった。



 みんなラーメンを食べ終えて食後のアイス(テツ先輩は二つ目)をついばんでいるとき、不意にせまいビルの間にけたたましいロックのリズムが鳴り響いた。『コロラド・ブルドッグ』のイントロだ。三人とも飛び上がるように立ち上がって、それぞれの携帯電話を取り出す。三つの携帯がまったく同じタイミングで同じ着メロを鳴らしていた。

 テツ先輩が真っ先に電話に出た。しようとヒロさんの携帯はいきなり黙り込み、二人はなんだかくやしそうにこしを下ろす。

 電話を切ったテツ先輩は、ちゆうぼうに向かって怒鳴った。


「マスター、注文! アリスから。ネギラーメンのめんとチャーシューと卵抜きで」


 それはただのネギじゃないのか? と思ってたら、三分後にミンさんが持ってきたどんぶりにはほんとにネギとスープしか入ってなかった。


「うちはラーメン屋だってあいつにちゃんと言っとけ」とミンさんは苦々しい顔で言う。

 スープの海面にこんもりと盛り上がったしらネギの島を囲んで、テツ先輩としようとヒロさんはしぶい顔をしてひたいを突き合わせた。


「問題は、だれが持ってくかだ」とテツ先輩。


「アリス、げん悪そうだった?」とヒロさんがたずねる。


「かなり」

「出前ですか?」といてしまったのが僕の運の尽きだった。テツ先輩はうなずき、それからはたとひざを打った。


「四人いるし、山手線ゲームで負けたやつが届けることにしよう」


 ……四人?


「お題は」

「じゃあ『ハローワークによく置いてあるさつ』で」

「わかりました。パス一回までですね」

「ちょ、ちょっと待って僕も入ってるんですか?」

おれからな。《よう保険受給資格者のしおり》」

「《三十二さいからの自分探し》」

「《二分であなたの天職が見つかる!》」

「え、あ、あの」

「ナルミ、パスいちな。《だれも教えてくれなかった得する退職法》」

「《パソコン一台でらくらく起業できる!》」

「《新しい職場に三日でなじむための完全マニュアル》」

「……そんなん知ってるわけないでしょ!」

「逆切れかよナルミ。ニートならみんな知ってるぞ。職安に一回だけ行ってなんもしないで帰ってくる。全員通る道だから」


 いや、ニートじゃねえから。


「敗戦は素直に認めろ負け犬」

「気にしなくてもいいんだよナルミ君。知らなくても恥ずかしいことじゃないから」

「当たり前ですなぐさめないでください!」

「でも配達はしてくれよ」


 絶句。まんまとはめられた。

 出前先は、ラーメン屋の入っているのと同じビルの三階だった。308号室。「行けばわかる」と言われた通りだった。ドアにでっかいかんばんが打ち付けてあったのだ。


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