神様のメモ帳

1 ⑥

「ふん。しんの探偵は俗人には理解されない仕事だからね。その本質は、死者の代弁者だ。失われてしまった言葉をはかの底から掘り返して、死者の名誉を守るためだけに生者を傷つけ、生者になぐさめを与えるためだけに死者をはずかしめる。理解も歓迎もされるはずのない仕事だよ。ひきこもりがなにを偉そうなことを、という目だね」

「いや、そんな具体的な目はしてないけど」

「ほんとうに?」

「うん」

「しかし、なにか言いたげだ。遠慮なくきたまえ。職業がらぎ早に質問されるのには慣れている。そして早く絶望させてくれたまえよ」


 ……絶望?

 とくべつ訊きたいことがあるわけじゃなかった。僕はただ、のべつまくしやべり続けるこのアリスというみような少女にびっくりしていただけだ。でも、流れ的にこっちからなにか訊かなきゃいけない雰囲気だったので、サイバーな部屋を一通り見回した後で僕は、いちばん疑問に思っていたことを口にした。


「食事とか……どうしてんの。いつもあんなの食べてるわけ?」


 アリスは丸い目をさらに丸くする。


「そんなが、きみの真っ先に思いつく疑問なのかい」

「……食事は大切だと思うけど」

「ふむ。もっともだ。きみは変わっているな。あやから聞いていたのと少しちがう」


 アリスは目を細めて僕を見た。微笑ほほえんでいるみたいに見える。


「栄養補給ならドクターペッパーだけでじゅうぶんなのだよ。しかしマスターがうるさいので、たまに野菜を頼んで食べている」

「だから背が伸びないんだよ……」

「背が高い方が優良であるというきみのそのへんけんはどこから仕入れたんだい? 短身であるメリットと長身であるデメリットをぼくはそれぞれ百五十ずつくらいは挙げられるけれど、きみもろんじんを張るというのなら受けて立とう」

「いや、ごめんなさい」


 たけのことは頭の中で考えてただけなんだけど、ぽろっと独り言でらしていたらしい。


「じゃあ、生活はミンさんのお世話になってるわけ」


 アリスはまゆをつり上げた。


「失敬な。ニートたんていだと言っただろう。ニート探偵は職業探偵だよ。まごかたき所得があり、マスターにもちゃんと対価を支払っている」

「え、え、でもニートなんでしょ」無職のことじゃないのか?


「きみはニートというものを根本的に誤解しているようだね。NEETの二文字目のEはEmployment、つまり雇用職だ。個人事業主にはがいとうしない。あとは当人の考え方の問題だよ」


 当人の考え方。


「……生きざま?」

「ヒロに言わせればそうなるな。あるいはツルゲーネフはそれを幻滅と呼ぶかもしれない。ドストエフスキーはごくと呼ぶかもしれない。サマセット・モームは現実と呼ぶかもしれない。むらかみはるは自分自身と呼んでいた。ぼくはまたちがった表現を用いるが、とにかく所得があることにはかわりがない」


 なにを言ってるのかさっぱりわからなかったけど、こんなパジャマむすめが実際にたんてい業でかせいでいるというのはにわかには信じがたかった。そりゃあ、パソコンとネットにはくわしいみたいだけど。


「疑いの目だね。いいだろう。もうすぐここに一人の男がやってきてぼくに仕事を依頼する。それを聞けばきみもぼくが職業探偵であることを認めるだろうさ」

「……え?」


 そのとき、タイミングをはかったかのように、チャイムが鳴った。僕はげんかんを振り向く。


「出てくれたまえ」

「僕が?」

「たまにはぼくの事務所も青ランプ以外の歓迎があってもいいと思っていたところだよ」


 玄関まで行ってドアを開いた僕は、その向こうに立っていた三人の男を見て固まった。真ん中は、かわのハーフコートをった若い男。僕よりちょっととしうえくらいに見えたけど、おおかみみたいに目つきが鋭かった。その後ろ左右に従えているのは岩山みたいな筋肉男と電柱みたいな背の高い男。そろいのグレイのトレーナー。


「だれだ、おまえ。アリスは?」


 狼が言った。僕がその視線に射すくめられ、くちびるをわななかせて言葉に詰まっていると、部屋の奥からアリスの声が飛んでくる。


「やあ、四代目。入ってくれたまえ」


 四代目と呼ばれたその男は、後ろの二人に「ここで待ってろ」と言うと、僕を押しのけて部屋に入った。ドアがばたんと閉じて二人が僕の視界から消える。閉まる直前の一瞬、にらまれたような気がした。僕の手はまだノブに張り付いて震えていた。


「ナルミ、ドクターペッパーをもう一本持ってきてくれたまえ」


 アリスの声で、ようやく僕はドアから手を引きがすことができた。


「おい、だれだこのガキは。仕事の話だっつったろうが」


 アリスにかんを渡すとき、ベッドのはしこしけた四代目が僕をあごでしゃくって言った。それから僕に向き直る。「おまえ、ちょっと外に出てろ」

「え」


 まさかドアの外であの熊並みのボディガード二人と仲良く話が終わるのを待てとおっしゃる。かんべんしてください。


「それは高校生の形をした置物だと思って気兼ねなく話してくれたまえよ四代目」

「おいアリス、ふざけんなよしろうとに聞かせられる話じゃないのはわかってんだろが!」

「大丈夫、ナルミは今日づけでぼくの助手になった。口の堅さは保証する」


 いつ助手になったんだ聞いてないぞ。


「そういう問題じゃねえ」

「どうしてもというのなら、きみの業界はいんかたまりみたいなものだろう、しろうとにはわからない言葉だけで説明してみたらどうだい。それもいやならよそに頼むんだね」


 四代目はしばらく苦々しい顔をして、ベッドの支柱をつまさきっていた。やがて、息をき出して話を始める。

 たしかに、さっぱりわからなかった。知らない固有名詞がいっぱい。意味のわからない動詞がいっぱい。かろうじて意味がとれたのは『見つけ次第殺す』とかそういう、あんまり聞きたくない言葉ばかりだった。


「ふむ」


 アリスは四代目の話を一通り聞くと、ドクターペッパーの二本目を飲み干した。


「わかった。ナルミ、今の話は理解できたかい?」


 僕はあわててぶんぶんと首を振る。


「そうかい。簡単に言えばこのかいわいで四代目の組のあずかり知らぬ薬物売買が行われているからそのルート解明に協力しろと」

「てめえなに解説してんだよ意味ねえじゃねえか!」四代目が切れた。当たり前だ。僕はちょっと安心していた。よかった、ちゃんと突っ込む人もいるんだ……。「てめえもなにうれしそうな顔してんだよ!」四代目の怒りがこっちに向かってくる。僕はろうまで後ずさって冷蔵庫の裏にかくれた。


「うん。今日のぼくは朝からたいそうへんつうがひどくてね。最初にうちに来た人間をだれでもいいから怒らせて発散しようと思っていたら、そこのナルミはなんだか知らないけどしんぼう強くていけない」


 あれもこれもわざとだったのかこのパジャマむすめ


「繰り下がりで四代目におはちが回ったというわけだから気を悪くしないでくれたまえ。四代目はひどいことをするとちゃんと腹を立ててくれるから大好きだよ」


 アリスは毛布の上に両脚を投げ出してにっこりと笑う。それで僕も(たぶん四代目も)げきついされてしまった。四代目は毛布を何度もなぐると、のどまで出かかった言葉をみ込んだような顔をして、立ち上がる。


「で、仕事は受けんのか」

「引き受けたよ。任せてくれたまえ」

くわしい話はメールで送る。じゃあな」



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