さよならピアノソナタ

2 花畑、忘れられた音楽室 ②

「まだできてもない部に誘うなよ。ていうかぐらざかせんぱいってだれ?」

「二年一組の人。すっごいかっこいいの」


 詳しく聞いてみてなぞはすべて解けた。あきは去年の夏あたりにその神楽坂なる人物と知り合ったらしく、この高校のすいせんをわざわざ取ったのもドラムを始めたのもその神楽坂なにがしのためだというのだ。ばかばかしい。ぼくはかばんを取り上げて教室を出た。それでなくてもぼくと千晶がしやべっているとクラスメイトの注目を浴びるのでずかしい。


「待って待って、いいじゃないどうせヒマでしょ?」千晶が追いかけてくる。


「ヒマだけど部活はやらない」

「なんで」

「だって、どうせ続かないよ」


 小学校のころおまえにつきあわされて柔道始めて二週間でやめたのはおまえもよく知ってるだろ、と言おうとしてやめる。


「えー。じゃあなにしに高校入ったの?」


 勉強のためだろ? なんて心にもないしゆしようせいろんはもちろん口にできなかった。


「あんた人生つまんなくない?」


 おまえは楽しそうだよな。


「なんでぼくのつまんない人生にいちいちかまうわけ?」


 なにげなくいてみると、あきはいきなり立ち止まった。ぼくが振り向くとせんをそらし少しうつむく。どうしたんだろう。


「……どうしてだと思う?」と、顔をそむけたまま千晶は訊いた。ぼくは返答に困る。


「おまえもヒマだから?」


 千晶の手がぼくのブレザーのえりもとにすっと伸びた。と思った次のしゆんかんにはぼくの身体からだは一回転して背中から廊下にたたきつけられていた。


「……ってぇ」目の前でちかちかと星が散る。しばらく息ができない。それでもなんとかかべに手をついて立ち上がる。「ことあるごとに背負い投げすんのやめろ!」

「背負いじゃなくてたいとしだもん」

「そういう問題じゃないだろ殺す気か!」

「ばーか!」


 最後にぼくの太ももにりを一発入れると、千晶は走り去った。なんなんだよ。



 ぼくが部活をやらないのには、めんどくさいという巨大で消極的な理由に加えてもう一つ、せつきよくてきといえないこともないわけがあった。ほう、学校でやることを見つけたからだ。

 千晶を見送ってから一階まで下りると、校舎の裏口から狭い裏庭に出る。使われなくなって久しいさびだらけのゴミしようきやくわきに、一棟の細長い建物があった。公園の公衆トイレみたいな、コンクリートの無造作な直方体の側面にドアがいくつも並んでいる。長いことだれも使っていないらしくかべもドアも土や泥がこびりついて汚れていた。私立校でに広い上に最近生徒数が減っているらしいのでこういう未使用施設やき教室がけっこうあるのだ。

 その建物の左端のに入れることを発見したのは、入学三日目のことだった。学校探検中にノブをがちゃがちゃやっていたら開いてしまったのだ。後の研究で、右斜め下に押し込みながら四十五度だけ回すとかぎはずれるという事実が判明した。

 中には鉄製の高い棚とロッカーと古びた長机が一つずつ。壁は無数の小さな穴がとうかんかくに並んだ吸音材で、ゆかについたこんせきから、たぶん昔はピアノが置いてあったんだろうとわかる。でも今は、備品らしい備品といえば机の端の小さなCDコンポ一つきりだ。 実はこの高校は父の母校でもあるのだけれど、その父の話によると昔は音楽科があったのだそうだ。父の卒業後ほどなくして廃止されたらしい。じようだんまじりに「おれたちの学年があまりにこうが悪かったからつぶれた」などと言っていたが、案外ほんとうかもしれなかった。

 防音なのをいいことに、ぼくはその部屋に大量のCDを持ち込んで、大音量で思う存分好きな曲をいて放課後の時間を潰すことにした。なにしろ家ではだいたい父がこれまたすさまじい音量でクラシックのレコードをかけていることが多いので、落ち着いて楽しめる場所がなかったのだ。

 建て付けが悪くて防音がかんぺきではないので、ドアの上のすきにタオルをねじ込んでから、コンポの電源を入れる。その日の一枚目はボブ・マーレィのライヴアルバム。なんとなくレゲエな気分。たぶんあきが言っていたことが引っかかっていたんだと思う。

 人生つまんなくない?

 そんなの考えたこともなかった。ていうか部活をやらないくらいで人生総括されても困る。いいじゃんかべつに、音楽かんしようでもさ。だれにもめいわくかけてないし。無断使用だけど、久しく使われてないだったみたいだし、自分で掃除もしたし、外に音がれないようにいているぶんには問題ないんじゃないかな。



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