楽聖少女
第一幕 ②
「なあヴォルフィ、けっきょく小説か戯曲だよ!
こんな
「ヴォルフィ、おまえもまた戯曲書けよ。『タッソー』書いてからもう十年以上なんにも書いてないだろ? 小説もご
「あー、ううん」僕はさらに言葉を
それは半分くらい
フレディは渋い顔をして、すぐに
「んじゃますます温泉行かなきゃな!」
あれ。うまいこと話を戻されてしまった。
「明日すぐ出発したいから列車のチケットもとっといてくれ、もちろん食事つきで。いや、この季節なら飛行船もいいな」
「予約も僕がやんの?」
「俺は
ほんとに自慢になってないんだから胸張って言うな。
僕はため息をついて二階の寝室に行った。カーテンを開き、ヴァイマールの街を見渡す。
さて、自慢じゃないが僕もホテルや交通機関の予約の手配となるとさっぱりわからない。なにせ先月まで日本で高校生やってたのだ。おいゲーテ。ゲーテさん。いつも原稿やってくれてるみたいに、電話予約のしかたも思い出してくれよ。
なんの反応もない。
僕はいらだって髪の毛を乱暴にかきまぜる。呼びかけるとすぐになんでも思い出してくれるわけではない。そんなに便利なら、評論の原稿だの温泉の予約だのよりも日本に戻る方法をさっさと思い出させている。
しょうがない、だめもとで、あいつに
「……メフィ、出てこい」
夕空に向かってつぶやいた。
しばらく、なにも起きなかった。窓から流れ込んだ夕風が机の上の書きかけの原稿用紙をさらと鳴らしただけだ。
やっぱり出てこないか。あの女、僕をこの十九世紀ドイツに連れてきてから完全放置じゃないか。なんでも命令聞きますみたいなこと言ってたのはなんだったんだよ? ああ、いやその、やらしい奉仕をしてほしいわけじゃなくてね? 温泉にはちょっと行こうかなという気分になってきたけど、べつにメフィについてきてほしいわけじゃないからね?
だれに述べ立てているのかよくわからない言い訳を胸の中でさんざん並べてから、窓を閉めようとしたとき、鋭く風を切る音が僕の耳のすぐ横を通り過ぎた。なにか小さい黒い影が寝室に飛び込んできたのだ。振り向くと、ベッドの
「──お呼びでしたか、ユキ様」
すっかり人間の女性の姿になったメフィ──
僕は口を半開きにして、その変身の一部始終を見つめていた。まさかこんな用事で出てきてくれるとは思ってなかったからだ。彼女の視線に気づき、半ば照れ隠しのぶっきらぼうな口調で言う。
「……これまで何回呼んだと思ってるんだ」
ほんとうは
「おや。契約内容をご確認いただけていませんか?」とメフィは小首を
「僕の命令を聞くんじゃなかったのかよ?」
「なんでも、ではありません。あなた様の欲望のために、だけです」
今度は僕が首を傾げる番だった。
「いや、だから、僕のしてほしいことを」
メフィは歩み寄ってきて僕の
「わたしの力は、あなた様の、世界すべてを味わい尽くしたいという強い渇望によってのみ引き出されるのです。ただしてほしいと思っただけではぴくりとも動きません」
なにその後付けっぽい条件。アメリカの保険会社かよ……。
「なら、僕の最初の願い事はどうして無視して消えやがったんだよ」
「はて?」
「とぼけんな! 日本に帰りたいんだよ僕は!」
「この時代ですと日本は鎖国中ですからオランダから」
「この時代の話はしてない! 二十一世紀の日本に帰りたいの!」
「かしこまりました。二百年ほどかかりますが」
「ふざけんなっていうか帰す気ないだろッ?」
「
僕は肩を上下させ、息を落ち着かせ、
「帰したら
メフィはそんなことを言うが、なにせ契約したのは僕じゃなくゲーテだ。書面を交わしたのかどうかもわからないし、内容なんて確認できない。どう言い訳されても僕には反論できないのだ。
「……で、それなら今はどうして出てきたんだよ」
「今回はそれなりに強い欲を感じたからです。さて、どのような欲なのか読み取らせていただきます」
「え」
メフィは僕の頭を両手でがっちりつかんで、顔をよせてくると、その
「わ、わっ」
逃げようとしても、
「……ユキ様。残念ですが」暗い顔になって言う。「この時代のヨーロッパの温泉は混浴ではありません」「なにをどう読み取ったんだよッ」
僕はメフィを突き飛ばした。彼女は
「ようやくわたしが
「べつにいいだろ。どこに電話すればいいのかもわからないんだから。あと、せっかく出てきたんだからこの際メフィには
「ちょうどよかった。わたしもユキ様に訊きたいことがあります」
「……なに?」
「わたしはそんなに女としての
いきなり言われ、気づくとメフィの顔が至近
「な、な、なにっ? なんでそんなこと」
「ユキ様は十六歳の高校二年生でお盛んな時期ですから、きっとそういう欲望ばかりわたしに言いつけて、あっという間に満足されて契約満了、楽な仕事だともくろんでいたのですが」
僕はメフィのセクハラから逃げ出し、部屋の隅に後ずさる。
「高校生って言ったな? や、やっぱり僕は高校生のままなんだな?」
メフィは
「それはもう、見ての通りですが」
「そこだよ、まずそこが変だろ!」
僕は胸をばんと



