ヴァルプルギスの後悔Fire1.
chapter one〈the righteous〉 ①
『正しいことをするときに必要なのは、疑いを持たないことではなく、疑うことを畏れないことだ』
──霧間誠一〈他人の夢、他人の世界〉
1.
よく世間の人は、正義の味方なんかどこにもいないっていう。
(でも──私は知っている。正義の味方はほんとうにいるんだ、って──)
彼女は料理の専門学校に通っている、見た目はごくありふれた普通の少女だ。しかし彼女は、
(私は、救われた──
彼女は、今、自分がこうして生きているのは全部、助けてくれた人たちのおかげだと思っている。
システムに見捨てられて、行き場をなくしてしまったはずの彼女は、今は霧間凪というとても変わった人と一緒に住んでいる。彼女は女子高生の
「……ふふっ」
綺は、つい一人で笑ってしまう。誰が信じるだろうか、学校では
人がごった返すにぎやかな駅前広場で、人を待っている彼女の姿は、どう見ても普通の、デートの約束をした彼氏を待っている少女にしか見えないし、それも間違いではない。彼女は今、恋人の
(そういえば、正樹のご両親が近い内に帰国されるって話もあるらしいけど──)
そのときは、自分はどうしようか、と思った。もちろん彼女は、まともに生きていけるかどうかもわからない身の上である。正樹はそんなことはかまわないと言ってくれているが、それに
(ご両親が、正樹とは付き合わないでくれって言うなら、私は考えないといけない──どうすれば正樹にとって一番いいことなのかを)
正樹の父は世界を
あの二人に迷惑をかけるような
(だから、今──正樹と会える時間は大切にしよう)
彼女は強張った顔をこすって、笑顔を戻そうとした。正樹に変な顔は見せられない──と、彼女が気持ちを切り替えようとした、そのときだった。
──ぞくっ、
と背筋に冷たいものが走った。肉体を突き抜けて、心の中に直に突き刺さるような視線を感じて、綺は身体を硬直させてしまった。
少し離れた前方に、ひとつの人影が立っていた。
どう見ても小さな子供だったが、頭から
(に……人間じゃない……〝魔物〟……みたいな……)
そんな風なものにしか見えなかった。その両眼が、まっすぐに綺のことを見つめてきているのだった。
その小さな
〝君は──いずれ直面する〟
「え……」
〝君がどちらかだけに味方したくとも、君はその中間に立ち、均等に、両者の運命を促進させるだろう──アルケスティスとヴァルプルギスの、千年ぶりの魔女戦争──
その子供は、彼女をまっすぐに見つめて、視線を
(な……こ、この人は……いったい……)
〝僕を、統和機構はリキ・ティキ・タビと呼んでいる──〟
その言葉に、綺はぎょっとした。自分は思っただけなのに、それに対して返事が来た──この声は声ではなかった。言葉は彼女の心の中に響いているのだった。
〝今、ヴァルプの
その奇妙な言葉が最後だった。リキ・ティキという子供が口を閉じると同時に、それまでどういう訳か途絶えていた人通りが元に戻って、綺と子供の間にどんどん割って入って、そしてふたたび向こうが見えたときは、リキ・ティキの姿はどこにもなかった。
「な──何……今のは……?」
綺が
「きゃあっ!?」
綺は悲鳴を上げて、後ろを振り向いた。
そこに立っていたのは──正樹だった。
「な、なんだい? どうかしたの?」
正樹は、綺以上にびっくりした顔をしていた。
「ま、正樹──い、今そこに──いや待って……たしかに、あの人──〝彼女〟って言った──」
綺は、その身体は小刻みに震え出していた。正樹は焦って、
「ど、どうしたんだ? 何があったんだ?」
と
「な、凪は──彼女は今、どこにいるの?」
と
2.
……そこは白い病院の中で唯一、照明を
「さて──博士、今回はちょっと面倒になりそうだ」
この研究室内にいる二人の人間のうちのひとり、霧間凪はそう切り出した。
「ふうむ──君が面倒でないことを持ち込んできたことが、一度でもあったかな?」
博士と呼ばれた男は、面白そうに笑みを浮かべた。
男は実に不気味な外見をしていた。とにかく、全体に色が薄い。肌は白いというよりもほとんど透き通っているようで、顔面の毛細血管が透けて見えるほどだ。髪の毛も、そして
「そもそも君自身が、とても面倒な症例の持ち主じゃないか──思い出すよ。まだ幼い頃の君の、あの全身に激痛が走って、
「別に、博士に研究させるために病気になってた訳じゃねーよ」
「まあそう言うなよ。正直、
「…………」
凪は少し無言で、博士のことを
「別に研究素材扱いするからって、患者を治さなかったり、苦痛を放置したりするわけじゃない。他の、節約理由で患者を
と淡々とした口調で言った。凪は無言のまま、博士と自分の間にあるテーブルの上に、持ってきたバッグを置いた。それを開いて、中に入っていたものを無造作に
それは──
「…………」



