ヴァルプルギスの後悔Fire1.

chapter one〈the righteous〉 ④

 その中でひとり、村津隆はじっと踊り続ける客たちを観察している。自分の商売相手になるかどうかを見極めているのだ。やけに興奮している癖に、妙にびくびくしているような連中は絶好のカモである。

 うまいことを言って薬物にハメたカモを相手に、延々と金をしぼり取る──それを繰り返してきた。

 だがその出発点には、あきらかに冥加暦の影があった。彼女の言っていた、そしてその横顔に満ちていたあの確信──人には人の運命があり、生まれ変わるときを待っているのだという──あの言葉に導かれて、隆はとにかく、彼にとって唯一、力であり、強くて無敵だと思えるもの、つまり金にしがみつくようにして、自分でそれを操れるようになりたかっただけだった。


(どうする……ダイアモンズはもう俺と取り引きしそうにない。新しいツテを探すか? それとも──)


 隆がぼんやりとしていると、ふと、クラブのフロアの隅にひとりの女がいるのに気がついた。

 そいつは、こういうところに踊りに来るにしてはあまりにも場違いな格好、プロテクター付きのかわのつなぎなどを着込んでいた。

 そして彼と同じように、自分は踊らずに他の者たちばかりを見ている──そして、その眼が隆の方を向いた。

 じっ、と、まるでたかが獲物を探しているかのような、鋭い眼つきである。隆は反射的に眼を逸らしていた。

 そして、どうにも落ち着かない気持ちになり、今日のところは新しいカモを見つけるのはやめて、とりあえず去ることにした。

 そのときに彼の脳裏に浮かんでいたのは、どういうわけか冥加暦が話していた、あのとりとめのない言葉の中でも、特に意味がわかりにくい呟きだった。

〝そうね──私はきっと、戦うことになるんじゃないかって思う〟

〝私が冷たく、冷静な氷だとすれば、それを溶かそうとする燃える炎のような、熱くて鋭いなにか──私はそれと戦うように決められているんじゃないかって、そう思う──〟

 熱くて鋭い──それは、あの女が自分を見つめてきたあのまなしのような、そんなものではなかったのかと、ふいにそう感じていたのである。


    *


 翌日──。

 秘密結社ダイアモンズの男は、彼らが利用していた村津隆から一千万円をまんまと引き出すことに成功して、アジトへと戻った。

 そこは、輸入会社名義で借りている倉庫だった。実際に倉庫としても使っていたが、今はすべての在庫を処分してしまったので、かんさんとした広い空間が無駄に広がっている。

 取り引きしてきた男の他にも、全部で七人の人間がそこにはいた。全員が、その筋のプロとしかいいようのない、すきのないとがった気配の持ち主ばかりであった。


「どうだった、例のぞうは」

「いや、さすがにこの国の連中は金がある──あんな子供でも、ぽんと一千万だしやがったよ。ほれ」


 男がスポーツバッグに詰められた札束を見せると、他の仲間たちもほう、と声を上げた。


「当面の移動費用はこれでなんとかなったか。本部との連絡が切れてから、すでに五日にもなるしな──我々としても、これ以上は同じ場所に留まっていられない」

「在庫が残っていて助かったが──それでも、あのジィドのヤツが〝船を動かせ〟なんて変なことを要求してこなきゃ、億単位で金を残せたのに」

「じゃあ、おまえがヤツに文句を言ってみるか?」

「……よせよ。冗談じゃない。あいつは合成人間よりも危ない」


 男たちの間に、うんざりしたような空気が流れた。話題に上っていた人物に対して、誰一人として好印象を抱いていないようだった。


「しかし、ヤツは俺たちと一緒には逃げないんだろう?」

「そのはずだ。なんだか〝後は勝手にしていいぜ〟とか言ってやがったからな」

「だがあいつだって、本部がどうなっているかわからない、この状況は知っているんだろう? 今、ヤツは何をしているんだ?」

「ヤツは、前からパールにしんすいしていたからな……自分だけで彼女をさがす気なのかも知れないな」

「パールだって、もう生きているかわからんのだろう? 本部が統和機構に襲撃されたのだとしたら、彼女は真っ先に狙われるだろう」

「俺たちだって、狙われることには違いないんだ。なんとか身を隠さないとな──」


 男たちが互いの顔を見合わせて、あらためて結束を固めたそのとき、ふいに倉庫の天井から、ごん、という鈍い音が響いてきた。


「──!」


 男たちは一斉に、腰の銃を抜いてかまえた。上だけを見る者は誰もおらず、周囲全体を警戒している。

 すると続いて、今度は倉庫の西側の壁から音がした。

 さらに東側からも、裏手の方からも──ごん、ごん、と四方から、まるで乱暴なノックのような音が聞こえてくる。


「…………」


 男たちは神経をとがらせて、この音の正体と次の事態を待ちかまえた。何者かの襲撃だとしたら、音はおとりで、それがしなかった方から来る可能性が高い──と彼らが考えをめぐらせたそのとき、そんな思索を馬鹿にするかのように、やけにはっきりとした声が外から聞こえてきた。

〝──ひとつ、言えることは……〟

 それはよりによって、倉庫の正面入り口から聞こえてきた。しかも、若い女の声だった。

〝腹が立つ、ってことだ──自分に腹が立つ。おまえたちのような連中を、いつときでも街にのさばらせた自分のなさに、とにかくムカついてムカついてしょーがねー……〟

 女の声はだんだん大きくなってくる。近づいてくるのだ。


「──誰だ!」


 男たちのひとりがそう呼びかけると、声はそれを無視して、

〝手遅れかも知れねーが、それでもやらないよりはマシだろう──おまえらのようなクズ連中をつぶすのは、な〟

 と、まるでため息混じりののような口調で、女は言った。

 そして、倉庫のドアに手を掛ける音がして、続いて──女はそれを一気に引き開けてしまった。

 外から射し込む逆光を背に受けて、堂々たる態度で、彼女は男たちが向ける銃口の前に立った。

 霧間凪。人呼んで──炎の魔女。

 不機嫌そうな顔の彼女は、武装した男たちを前にして、


「──あーっ、腹が立つ……」


 とまた言った。


    5.


 凪は、その手には武器は何も持っていない。素手だった。

 相手は一人しかいない、ということが男たちにもわかって、彼らは眼を丸くした。


「……な、なんだおまえ? ここに何しに来た?」


 あるいはこいつはどこかの組織の使者ではないのか──あまりにも大胆、かつとんちやくな凪の様子に、男たちは一瞬だけそう思ったのだ。だがこの誤解を当の本人がきっぱりと、


「だから言っただろう──おまえらを潰しにだよ」


 と否定してしまった。そして男たちを、その鋭い両眼ではっきりと睨みつけた。

 その眼差しには、なんら誤解の余地はなかった──男たちは全員、一瞬にして理解した。

 こいつは、自分たちの敵なのだ、と──そして彼らは凪めがけて銃を発射した。

 だが彼らが銃の引き金を引くために、肩の筋肉をわずかに強張らせたのを見ていた凪はそれよりも一瞬速く動いていた。

 それは避けるというには、あまりにも不思議な動作だった。凪は右でも左でもなく、下に──そして前に移動していたのだった。

 自分に対して銃を撃ってくる男たちの方に向かって、凪はなんと──飛び込み前転で突っ込んで行ったのである。無防備な背中を一瞬、完全に男たちに向けたことになるが、しかし──凪の頭か胸を狙っていた男たちの狙いはすべて外れた。


「な──」


 男たちは下に銃を向けようとするが、これは彼らの戦闘経験にはない動作だった。しかも凪は、一瞬のうちに男の一人のふところに飛び込んでしまっていた。

 そして、相手に届くぎりぎりの距離でもう足払いを掛けている。


「──うわっ!」


 倒れていく男の身体の、その陰に隠れるようにして凪は飛び込んだ──すると彼女を狙おうとしていた男たちが放った弾丸が、その倒されようとしていた男の身体にめり込んだ。

 ぎゃあ、という悲鳴が上がり、男たちが怯んだときには、もう凪は別の動作に移っている。