ヴァルプルギスの後悔Fire1.
chapter one〈the righteous〉 ⑥
「俺たちに筋通さねえで、ずいぶんと勝手してくれてたみてえだな、小僧──落とし前をきっちりつけてもらうからな!」
「…………」
(れき──あんたは──どうだったんだ……運命を
彼が心の中で、彼女に呼びかけたとき──その場に予想外のものが混じってきた。
ヤクザたちの背後に、いつのまに現れたのか──ひとりの男が立っていた。高級そうなブランド品のスーツをすらりと着こなして、髪をクルー・カットに刈り込んだ、どこぞのエリート商社マンかといった外見の、細いメタルフレームの眼鏡を掛けた男だった。そいつはいきなり、
「なあ、ひとつ提案なんだか──」
と、妙に馴れ馴れしく話しかけてきた。
「どうだろう、取り引きしないか」
「ああ? なんだてめえ、すっこんでろ!」
と、ヤクザの一人が
するとその瞬間、そのヤクザはがくり、と全身から力が抜けてしまったかのように、その場に
「な──」
他のヤクザたちが呆然としている中、男はゆっくりとした足取りで近づいてきて、
「考えてみないか──君を助ける代わりに、君も私を助ける、どうかな」
と言った。
ここで隆は、その男はヤクザではなく、自分に向かって話しかけているのだということに気づいた。
「え……」
「こ、この野郎! なにしやがった!」
ヤクザたちは隆を放り投げて、男に向かって
だが男は、それをろくに見もしない。まるでヤクザたちなどその場にいないかのように、隆に向かって、
「君は、ダイアモンズという組織と関係を持っていただろう? そいつらは君に、何か言い残したりはしていなかったか? あるいは、うっかり口を
と、淡々とした口調で質問してきた。
「…………」
隆は答えられない。そして無視されたヤクザたちは、
「てめえ、ふざけるんじゃねえ!」
ドスを振りかざして、男に向かって
男はそれに対しても、ほとんど動かなかった──ただ、さっきと同じように人差し指を立てて、それをかざしただけだった。
振り下ろされる刃物を、その指先で受けとめようとしていた。無茶だ、と隆は思った。斬られる、そう思った。
だがその予測は、まったく逆だった。
きん──という音がして、分断されたのは男の指の方ではなく、振り下ろされた刃物の方だった。
そして異様なことは、その直後に起こった。
折れたその刃物の先端部が、空中で停まっていた。見えない糸で吊られているかのように、宙に浮いている──。
「え……」
その場にいた者たちは、口をぽかんと開けてその不思議な現象を見つめていたが、その余裕はほんの数秒しか続かなかった。
宙に浮いた刃は、ぶん、と弧を描くような動きで移動した。
その軌道上には、ヤクザたちの首筋があった。
すぱぱぱっ、と鮮やかに、彼らの
血が
ヤクザたちの身体が目の前で倒れていく光景を前にして、隆は何も考えられなくなっていた。
ほんの数秒前まで、彼はヤクザに痛めつけられて、その後でどうなっていたかわからないような状況にあったはずなのに、今は──そのヤクザたちは皆、死んでいて、彼の方は傷ひとつない。
「…………」
隆は絶句している。
そんな彼を、エリート風の男がまっすぐに見つめてきていた。
くいっ、と彼が人差し指を動かすと、宙に浮いていたドスの先端部は、隆がもたれかかっている壁に、がつっ、と突き刺さって、そこで奇妙な浮遊現象は終わったらしく、
「私は
男はそう名乗った。周囲に転がっている死体のことなど、まるで意に介さないような調子であった。
「…………」
隆が、これで終わったと思ったはずの人生は、なんだか変な方向に進んでいるようだった。
(こ、こいつは──こいつはいったい何なんだ? なあ、れき──)
隆の脳裏には、冥加暦が言っていた言葉が反響していた。
〝私は、運命を殺そうとした。なんどもなんども──でも、どうしてもできなかった〟
運命──。
彼に待ち受ける、用意された運命。
それが訪れるまでは、どんなことになろうとも、彼は──無理矢理にでも生かされ続けるというのだろうか?



