ヴァルプルギスの後悔Fire1.

chapter two〈the devotion〉 ①

『信じられるものを持つことと、信じたいものを持つことは根本的に異なり、人はほとんどの場合、自分の希望と心中することになる』



──霧間誠一〈あやまちのはじまり〉




    1.


 ばらけんろうは変わった少年である。

 成績優秀で将来有望だったのは中学までで、高校に入ってから急にやる気をなくして、不登校すれすれの投げやりな生活をするようになった、もと神童の成れの果て──みたいに周囲からは思われているが、実際のところ彼は、真面目に毎日、学校と塾に通い続けていた頃よりも、今の方がずっと頭を使っているし、その頭脳もさらにめいせきになっている。


(馬鹿だったな、あのころは……今じゃ考えられないな。なんにも考えていなかったな……)


 炎の魔女こと霧間凪の協力者として、その青春を情報分析と諸雑務と、そして時折は暴力にまで発展する荒っぽい活動に費やしているのだ。彼は、見た目はやせっぽちで、色も白いのでとてもそうは見えないが、実のところ大学の空手部主将クラスの人間であっても、彼に手を触れることさえできないだろう。彼は拳で相手をなぐりもしないし、足で蹴りもしないが、相手の小指の骨を折って行動不能にしたりまくを破って立てなくさせるやり方などには、これは精通しているのだ。


(まあ、それでも凪には全然かなわねーし、とおるみたいなさむらい野郎ってわけでもねーから、そうそう正面切っては行けないんだが……どうも俺には、強さがまだまだ足りない──)


 健太郎は、親元を離れて一人暮らしをしているマンションの一室で、今日もモニター画面をにらみつけている。

 凪に依頼された、事件の関連事項の調査を進めているのだが、その最中に、なぜかいつもはあまり意識しない、自分の弱さについて考えてしまっていた。


(……なんで、こんなことを考えている?)


 健太郎はけんに力を込めて、何台も並べてあるパソコンのモニターのひとつを睨んでいた。そこには「村津隆」という名前が書かれていた。凪が潰した犯罪組織の売人をしていた少年だ。周囲からはそんなに不良だと思われていないが、こいつは人に中毒性のある薬物を売りつけて、それで一千万以上の金をかせいでいたのだ。


(くそったれのろくでなしだ──しかし、こいつはなんか、以前の俺に似ている……)


 彼が凪と出会ったのも、いきがって調子に乗っていた彼がハッキングでかすめ取った企業データを裏取引で流していたのを、凪に見つかったことから始まっている──そのときは、凪はより大きな悪事を暴くために、彼のことを泳がせて、利用したのだった。しかし──健太郎はそこで腹も立たず、逆に凪に心酔してしまったのだった。あれから数年、この押し掛け弟子みたいな状態もそれなりに様になってはきたが、もしも凪と出会っていなかったら、彼女に助けてもらわなかったら、健太郎は今頃、この村津隆のようになっていたかも知れない。


(といって同情する気はまったくねえし、むしろムカムカするだけだが──ちっ)


 彼はキーボートを叩いていた指を止めた。いくらあさっても、ここ数日の村津隆の痕跡はない。

 行方不明なのだった。

 実家にも戻っておらず、街の知り合いも見かけなくなったという。

 凪は、この少年のことは悪事の元を絶ったからひとまず放置、ということにしたらしいが、健太郎の方は心にひっかかるものを感じて、調べていったらどこにもいなくなっていたのだ。

 しかもその直後に、近くでヤクザ同士がけんの果てに死亡するという事件が起こっている──同じ組織の者同士が、仲間割れでもしたのか、自分たちが所持していた刃物で斬り合ったらしいのだ。折れたドスが落ちていて、その切っ先と全員の傷口が一致していたらしい──。


(なにか、ひっかかる……)


 村津隆とこの事件の間には、なにか関係があるのではないか、根拠はないのだが、そんな気がしてしょうがないのだった。


(そう、こいつにはあのにおいを感じる──何がとは言いにくいが、どこかが不自然で──こいつには統和機構の関わっていることの感触があるような──しかし)


 凪には知らせていない。彼女は、港に停泊している怪しい船のことを調べに行っている。それはより確かな情報に基づいた、切迫した事態で、健太郎のあやふやなかんよりも優先すべきことだったから、


(こいつは俺の方で、できたら処理しておきたい──つーか、できるかぎり凪には、直接は統和機構とはぶつからないようにさせたい──)


 統和機構は実体の見えない巨大なシステムで、善とも悪とも言い切れない得体の知れない存在だ。対して凪には、許せぬ悪と戦うというシンプルな目的があるだけ──このふたつは相容れないものなのか、それとも何らかの形で協力しあえるものなのか、それを見極められるまでは、に統和機構を刺激するべきではない、と彼は考えているのだった。

 いつかは〝その日〟がやってくるのは避けられない。だからそれまでに、健太郎は自分のできる限りのことをしておこうと心に誓っているのだ。


(この、村津隆──もしもこいつが俺に似ているという勘が正しいのならば、こいつには、何かがあるはず──俺にとっての凪みたいな、そういう何かを心に秘めているはず──そいつはなんだ?)


 健太郎は、隆がじろに使っていたクラブの店員にやや荒っぽい聞き込みをおこなって、そこで奇妙なことを聞き出していた。

〝そ、そういえば──一度だけ、あいつが居眠りしているときに、変な言葉を寝言で言っていたことがあるよ──〈れき〉とか、なんとか──〟

 そう言っていた。なんのことだかさっぱりわからないが、しかし──


(わからないからこそ、何かがひっかかる──)


 れき、とはなんだろうか? 誰かの綽名だろうか。


(れき──歴、いや、こよみ、か……?)


 そういう名前の女のことだろうか。そんな名前を、最近どこかで見かけたような……。


(女──しかし奴の身辺にはそんな名前の女はいない。いたとすれば過去、か──それでは辿たどりようもないか。……ええい、はっきりしてることが少なすぎるな)


 健太郎は頭をがしがしと少し乱暴にいた。


「亨の方が、なんか摑んでくれてればいいんだがな……」


 口の中でそう呟いた。凪の協力者のひとりで〝イナズマ〟という別名を持つ凄腕の男、たかしろ亨。彼は今、浅倉朝子という少女と一緒に外国に行っている。これも統和機構にからんだ調査だ。そっちでなにかわかれば、かなりの進展になるのだが……。

 彼は何気なく、亮が向かった先の国の情報をモニターに出して、つらつらと眺めていた。

 そのとき、机の上に置かれた警戒ランプが点滅した。


「……!」


 顔を厳しくして、別のモニターに視線を移した。その警報は、この場所に予告なく接近してくる者がいることを知らせるものだった。マンションの監視カメラの映像に無断で侵入して、誰が来たのかをチェックする。


(……む)


 その顔から緊張が解けた。そこに映っている少女は、凪同様に彼にとっても身内である織機綺だった。しかしすぐに、不審そうな表情になる。


「綺ちゃん、何しに来たんだ?」


 綺が、彼のマンションを訪ねてきたことはかつてなかった。顔を合わせるのは凪のところでだけで、ここのことは〝緊急時の逃げ場のひとつ〟として教えてあっただけのはずだ。

 彼はモニターを、他人が急に来ても何をしていたのかバレないように別の、他愛たわいないゲーム画面に切り替えた。キーをひとつ押すだけで、ぱっ、と全然別のものに変わるのだ。意識して、それは少しエロティックな画像にしてあるのが、普通の少年と彼が違うところだ。

 立ち上がって、玄関の方に向かう──彼の意識は綺の方に行って、つい今の今まで考えていたことは脳裏から消えている。

 だから、彼が見ていた外国の資料の、その数行下から表示されていた、過去の飛行機事故のことはまったく見なかった。そこにあったひとつの名前、死体が見つからなかった犠牲者リストの中にあった〝冥加暦〟という名を。