ビートのディシプリン SIDE1
第一話「拝命と復讐」 ④
「まあそうしょげるなよ。こいつはAクラスの任務なんだ。果たせば統和機構の
フォルテッシモはけらけらと笑った。ビートが承認したのを理解したのだ。
「それに──こいつはおまえにも、必ずしも強要するだけじゃない〝動機〟のある任務だ。こいつにはどうやら〝
言われて、ビートの顔色が変わる。
「……叔父貴が?」
「おまえの戦技指導担当だったよな、死んだあいつは──」
「そ、それは本当にあの〝モ・マーダー〟の佐々木政則なのか?」
「興味が出てきたようだな──」
フォルテッシモは満足そうにうなずいた。
「ヤツが死んだ病院のことをとりあえず調べてみろ。俺はそこまでしかやってない。後は任せる」
「…………」
簡単に言われるので、さすがにビートも少し腹が立った。彼はフォルテッシモの服装に眼をやり、そして言った。
「──そのペンダント」
「あ?」
フォルテッシモはきょとんとした。
「そのペンダント──趣味悪いですよ」
フォルテッシモの胸元にはエジプト十字架というのか、T字型をしたペンダントがぶら下がっていたのだ。
ほとんど言いがかりに近いいちやもん付けであった。腹の虫を少しでもなだめるための遠吠えだ。
ところがこれに、フォルテッシモは意外な反応を見せた。心底苦り切ったような表情になり、
「──知ってるよ」
と
「へ?」
「とにかく、おまえに任せたからな」
ごまかすように言うと、フォルテッシモはつい、と指先をかるく空中で振った。
すると次の瞬間、ぐわしゃんというけたたましい音と共に二人の背後のテーブルがひっくり返った。
「──?!」
あわてて振り向いたビートは、そのテーブルの足がまるで鏡のように綺麗な断面をさらして切断されているのを見た。
「な、何したんですか?!」
店員が飛んできた。
「な、何にもしてない。そのテーブルが突然に──」
と言いかけて、ビートははっとなって振り向いた。
フォルテッシモの姿は既に、影も形もなくなっていた。
2.
数年前、任務の途中で謎の死を遂げたモ・マーダーは生前ビートによくこんなことを言っていた。
「もしも追いつめられて、絶体絶命になったとしたら、そのときに信じられるのは自分の技術だけだ。たとえその能力が敵にまったく歯が立たなかったとしても、それでも頼れるのは不屈の闘志とか他の強力な武器などではなく、あくまでも身につけて馴染んでいる技術の方なのだ。その技術で何ができるか、それを見つけられるかどうかが勝負を決める。そして、もうひとつ──決して相手が待ちかまえているところには足を踏み入れないことだ。これは裏を返せば、強い相手であっても準備を整えておけば、誘い込んで倒すことは充分可能だ、ということでもある。わかるか、ビート君?」
はっきり言って、あまりわかりやすく教えてくれる先生ではなかった。しかし優秀だった。自分がこの暗殺者に襲われたら、絶対に助からないだろうな、とビートは思っていたし、今でもそう思う。
しかし、そのモ・マーダーもまた何者かに殺された。
(──相手が待ちかまえているところに入っちまったのかい? 叔父貴よ)
佐々木政則はモ・マーダーの
一般人向けには首吊り自殺と情報操作されたが、実際のその死は謎だらけだ。
腹部を貫通するでかい傷が致命傷だったが、さらに高所から落とされた衝撃で色々な痕跡が破壊されてしまったので、どんな攻撃を
現場近くには死体があったが、これはモ・マーダーの能力によって殺されていることがわかっている。そして遠く離れた場所で、その死体発見現場である病院に勤務していた女医の死体が見つかっているのだが、これはどう調べても死後
この死体とモ・マーダーとの関連は不明だが、ただ事でないことが起こっていたのは確実である。だがその後の調査で、何かが出てきたという話は聞かない。
ビートはその調査には加えてもらえなかった。私情でも
(……しかし)
それが何年も後の今頃になって、しかもフォルテッシモの気まぐれで自分に回ってくることになろうとは──。
(調べろって言われてもなあ……)
もうその病院自体は何年も前に閉鎖されている。たぶん事件の後始末に統和機構に
その際に、まだ入院中だった患者たちが他の病院に移っていったという話があったので、ビートはまずその辺から当たることにした。
その初老の男は終始びくびくとしていて、すがるような、捨てられた子犬のような眼をビートに向けてきた。
「……わ、私なんかのことを統和機構はまだ覚えていたんですね。もう何年も何の
男は医者だという。合成人間ではない。統和機構に属する者の大多数を占めるであろう普通の一般人と同じ立場の構成員だ。情報を提供したり、ごくわずかな協力を要請されたりするだけの、本当に〝末端〟の人間である。
「……まさか、あなたは私を殺しにきたんじゃありませんよね?」
演技でビクビクしているのでなく、本気で
「そうじゃないが……あんたはなんか、過去に処分されるような過失をしているのか?」
「ご存じありませんか? 例の〝集団
うなだれてしまう。しかしビートにはそれが深刻なことかどうかわからないし、自分には関係ないことなのでどうでもいい。
「知らないな。しかし、あんたは生きているんだから、とりあえず問題にはされなかったんだろう」
「とりあえず……ですか」
男はおどおどしている。ビートは面倒くさくなってきたので彼をなだめるのはやめて、用件にさっさと入ることにする。
「あんたのトコでは、しばらく例の病院からの患者をあずかったんだろう? その中に不審な奴はいなかったか?」
「……その直後あたりに、昏睡患者たちが入院してきて、私はそっちの方の観察に行ってしまったので……その、詳しくは」
怯えながら、上目遣いにビートの様子をうかがいながら喋るので、言葉がもたもたしている。だんだんビートはイライラしてきた。
「別に異常があっただろうと詰問している訳じゃない。なきゃないでいいんだよ」
「ああ──そういえば一件ありました。でもあれは患者の方の問題というわけでもなかったから……」
「あるのかよ? ──いいから、それを教えてくれ。とりあえず情報はなんでも欲しい段階なんだよ」
「は、はあ。いやその……カルテの記載ミスなんですが」
「カルテの? 誤診か?」
「というか──糖尿病の患者だったんですが、カルテの数値を見ると、もう死ぬ寸前というような状態だったんです。でも本人を調べたらそんなこともなくて、ごく軽い症状でした。それで本人に〝あんたはもう死んでるはずだぜ〟と言ったらびっくりしてました。向こうの医者にそんなことは言われたことないって答えまして、これはやっぱり記載ミスだったんでしょう。そのカルテはミスの
「……本人はもうぴんぴんしてたのか?」



