ビートのディシプリン SIDE1
第一話「拝命と復讐」 ⑥
「──なんのためにこんなロビーが七階なんて半端なところにあるのかと思ったが……なるほどな。こういうときのためだったわけか。会社の方をどうやって
「別に騙しているわけじゃない──ただ黙っているだけだ。このビルを建て替えるときに、設計業者と
にやりと笑われる。
「君に、これから大人になるだけの時間が残されていれば、の話だがな」
「へいへい、そーですか──」
ビートはふてくされたように言うが、しかしその爪先が、さっきから小刻みに──目立たぬ程に小さく、しかし確かな間隔で床を叩いていた。
リズムを刻んでいる。
そのリズムは、微妙に、篠北の口から
「……うっ?!」
篠北が
「なんだと……?」
身体がほとんど動かなくなっていることに、篠北は気がついた。
「ぬ──いつの間に、こんな……?」
腰を曲げることもできない。棒のように突っ立っているだけだ。
「──さて、と」
ビートはゆっくりと彼に近づいていき、そして銃を拾い上げた。
「説明がいるかい、篠北さん?」
「…………」
「肉体を把握するにあたって──肝心なことは
これが、ビートの能力〝NSU〟である。先天的にはただの振動感知能力なのだが、それを利用して相手の弱点となる
自分の持っている能力でなにができるかを考える──モ・マーダーが彼に教えたことである。
「ぐ……」
「さて、それでは教えてもらおうか──あんたは何を知っているんだ?」
ビートは銃をかまえて、相手に向け返してやった。
「…………」
「口の自由までは奪っていないから喋れるはずだぜ。……〝カーメン〟てのはいったい何なんだ? 組織か? それとも特殊な能力を持っているリーダーのことか?」
鋭い口調で問いつめた。だがこれに、篠北はそのぎくしゃくとしか動かない顔を
「……君は、なんにもわかっていないな……」
「なんだと?」
「〝カーメン〟とは──〝概念〟だ。君が考えているような、そんな下らぬものとは次元が違うのだよ──」
「概念? なんのことだ? いったい何を言っている?」
ビートは、ちっとも
「……なるほど、この人間の肉体動作を封じる技術は見事と認めよう……だがこんなものは、しょせん私があの病院で遭遇した〝恐怖〟に比べれば、なんということもない……〝
篠北はがくがく、と激しく
「──お、おい無駄なことはするな! 妙な動きをするんじゃねえ!」
ビートが銃をかまえ直してさらに
ずぼっ、という音がして、指先は彼の頰を貫通した。
「──なっ?!」
ビートは
篠北は次の瞬間、ビートの
自らを一撃することで、そのダメージから鼓動のペースを無理矢理に変更してしまったのである。攻撃を受ければ、どんな生物の心臓でも高鳴る──そうなればビートの不協和音との共鳴は崩れ去ってしまうのだ。
(──しまった!)
ビートはあわてて銃を撃とうとしたが、遅すぎた。
篠北の、常人離れした速度の恐るべき蹴りがビートの腹部にめりこんで、彼を吹っ飛ばしていた。身を逸らしていたのでダメージは半分以下だったが、それでも内臓が
「──がっ!」
(──こ、このパワーは──こ、こいつ! まさか、もう……?!)
ぶっ飛ばされながらも、ビートはその訓練された体術で必死に体勢を立て直す。
銃を両手でしっかりとかまえ直して、敵に狙いを定める──その瞬間、ビートはしまったと悟った。
篠北が笑っているのを見たのだ。
それは明らかに、待っていた顔つきだった。
「────!」
とっさに手を離していたが、遅すぎた。もう引き金は半分以上引いてしまった後だった。
銃が、暴発した。
「うう……!」
ビートはぶざまにもごろごろ転がって、とにかく敵との間合いを取った。逃げた。
「……ううう!」
起きあがる。
そのときには、もう敵の姿は見えなくなっていた。
ロビーに点在する、柱の陰に隠れてしまっていた。
しかし、ビートは……その感知能力は、銃の暴発で手が
「────」
完全に……してやられた。
向こうは銃など使うつもりがなかったのだ。最初からビートに奪わせるつもりだったのである。
それで能力を封じるために……!
「……しかも、か」
しかも、襲ってきたあの動きを見て、ビートにはわかっていた。
相手はもう、人間をやめている……!
戦闘用合成人間並みに、反応速度が速いあれは、いわば〝改造人間〟といった存在であるのは間違いない。
ちっ、と舌打ちしながら、ビートは周りを見回した。彼がいるのはロビーの真ん中で、近くにはエレベーターシャフトも階段もない。逃げることはできそうになかった。出口に移動する途中で、柱に隠れていた篠北に攻撃されて、やられてしまうことは確実だった。
「──だが、なんとなくだが……わかってきたぞ」
ビートはぼそりと呟く。
「モ・マーダーが何と戦っていたのかは知らないが……そいつは〝カーメン〟それ自体ではないな?」
〝…………〟
反応はない。だがビートはかまわず続ける。
「あんたの、そういった〝戦闘能力〟──その手の方向の〝改造〟に関しては統和機構は抜け目がないんだ。〝カーメン〟がそういう設備なりなんなりを持っていたら、かならず統和機構も知っている──だがそんな事実はない」
フォルテッシモですら、名前以上のことはわからない、と言っていたぐらいだ。
「ということは、あんたが〝カーメン〟に会ったのは例の事件の後ということになる……あんたは、モ・マーダーが戦っていた相手、あの病院にいた何者かになにかをされていたんだ。そいつは統和機構と戦おうとしていたが、途中で失敗した。そしてあんたはそれに取り残されちまったんだ。そこを〝カーメン〟とやらに拾われた──そうだろう?」
ビートの、その爪先がこつこつと床を叩きはじめる。
〝……だから、なんだというのだ? それが正しかったとして、一体なんだというんだ?〟
やや、焦れたような声が返ってきた。しかし反響があるのでどこから話しているのかわからない。



