ビートのディシプリン SIDE1

第一話「拝命と復讐」 ⑥

「──なんのためにこんなロビーが七階なんて半端なところにあるのかと思ったが……なるほどな。のためだったわけか。会社の方をどうやってだましているんだ? 下にいた受付や警備員には、になっていると知ってる奴はいなかったぞ」

「別に騙しているわけじゃない──ただ黙っているだけだ。このビルを建て替えるときに、設計業者とせつしようしたのは私だった、それだけのことだ。君も大人になればわかる──みんな、自分のことで精一杯で、他の所で何が起こっているかにはあまり興味を持たないものなのさ。もっとも──」


 にやりと笑われる。


「君に、これから大人になるだけの時間が残されていれば、の話だがな」

「へいへい、そーですか──」


 ビートはふてくされたように言うが、しかしその爪先が、さっきから小刻みに──目立たぬ程に小さく、しかし確かな間隔で床を叩いていた。

 リズムを刻んでいる。

 そのリズムは、微妙に、篠北の口かられている呼吸のそれとシンクロしている。しかしわずかなズレもあり、そしてそのズレが、ぴく、ぴくっ、とけいれんするように大きくなっていき、そして──


「……うっ?!」


 篠北がうめいて、そして銃を取り落とした。


「なんだと……?」


 身体がほとんど動かなくなっていることに、篠北は気がついた。


「ぬ──いつの間に、こんな……?」


 腰を曲げることもできない。棒のように突っ立っているだけだ。


「──さて、と」


 ビートはゆっくりと彼に近づいていき、そして銃を拾い上げた。


「説明がいるかい、篠北さん?」

「…………」

「肉体を把握するにあたって──肝心なことは鼓動ビートなのさ。そしてその鼓動に、よく似たリズムをぶつけてやると、肉体は共鳴現象で反応する──ほら、よく音楽に乗って自然に身体が動くって言うだろう? あれだよ──もっとも、この場合は相手の鼓動にズレた不協和音を乗せて、動かすのではなく逆に固めてしまうんだけど、ね──」


 これが、ビートの能力〝NSU〟である。先天的にはただの振動感知能力なのだが、それを利用して相手の弱点となる鼓動ビートを発見し、制御してしまう技を編み出したのだ。

 自分の持っている能力でなにができるかを考える──モ・マーダーが彼に教えたことである。


「ぐ……」

「さて、それでは教えてもらおうか──あんたは何を知っているんだ?」


 ビートは銃をかまえて、相手に向け返してやった。


「…………」

「口の自由までは奪っていないから喋れるはずだぜ。……〝カーメン〟てのはいったい何なんだ? 組織か? それとも特殊な能力を持っているリーダーのことか?」


 鋭い口調で問いつめた。だがこれに、篠北はそのぎくしゃくとしか動かない顔をゆがめて──再び、ニヤリと笑った。


「……君は、なんにもわかっていないな……」

「なんだと?」

「〝カーメン〟とは──〝概念〟だ。君が考えているような、そんな下らぬものとは次元が違うのだよ──」

「概念? なんのことだ? いったい何を言っている?」


 ビートは、ちっともひるんでいない篠北に、ややいらちはじめた。


「……なるほど、この人間の肉体動作を封じる技術は見事と認めよう……だがこんなものは、しょせん私があの病院で遭遇した〝恐怖〟に比べれば、なんということもない……〝鼓動ビート〟だと? ふふん、そんなものは──」


 篠北はがくがく、と激しくけいれんしながら、無理矢理に、銃をかまえていた姿勢で固まっていた手を動かして、頭の横にまで持ち上げる。


「──お、おい無駄なことはするな! 妙な動きをするんじゃねえ!」


 ビートが銃をかまえ直してさらにかくするが、篠北はそれにまったく反応せずに、がたがたと震える手をがたなにかまえると、おお、なんたることか──その切っ先を自らの頰にと突き立てたのだ。

 ずぼっ、という音がして、指先は彼の頰を貫通した。


「──なっ?!」


 ビートはきようがくした。だがそんな余裕は、彼には許されていなかった。

 篠北は次の瞬間、ビートのじゆばくから解き放たれて、床を蹴って飛びかかってきていたからだ。

 自らを一撃することで、そのダメージから鼓動のペースを無理矢理に変更してしまったのである。攻撃を受ければ、どんな生物の心臓でも高鳴る──そうなればビートの不協和音との共鳴は崩れ去ってしまうのだ。


(──しまった!)


 ビートはあわてて銃を撃とうとしたが、遅すぎた。

 篠北の、常人離れした速度の恐るべき蹴りがビートの腹部にめりこんで、彼を吹っ飛ばしていた。身を逸らしていたのでダメージは半分以下だったが、それでも内臓がきしむような重さが、ごりっ、とねじ込んできた。


「──がっ!」


 がビートの口からほとばしる。


(──こ、このパワーは──こ、こいつ! まさか、もう……?!)


 ぶっ飛ばされながらも、ビートはその訓練された体術で必死に体勢を立て直す。

 銃を両手でしっかりとかまえ直して、敵に狙いを定める──その瞬間、ビートはと悟った。

 篠北が笑っているのを見たのだ。

 それは明らかに、顔つきだった。


「────!」


 とっさに手を離していたが、遅すぎた。もう引き金は半分以上引いてしまった後だった。

 銃が、暴発した。

 せんこうと衝撃がビートの身体を襲った。一瞬早く投げていたので、両手が吹っ飛ぶといった事態は避けられたが、しかし──


「うう……!」


 ビートはぶざまにもごろごろ転がって、とにかく敵との間合いを取った。逃げた。


「……ううう!」


 起きあがる。

 そのときには、もう敵の姿は見えなくなっていた。

 ロビーに点在する、柱の陰に隠れてしまっていた。

 しかし、ビートは……その感知能力は、銃の暴発で手がしびれてしまっていて、使えなくなっていたのだ。じんじんと響いている。一時間以上は、繊細な能力の回復は望めまい。


「────」


 完全に……してやられた。

 向こうは銃など使うつもりがなかったのだ。最初からビートに奪わせるつもりだったのである。

 それで能力を封じるために……!


「……しかも、か」


 しかも、襲ってきたあの動きを見て、ビートにはわかっていた。

 相手はもう、……!

 戦闘用合成人間並みに、反応速度が速いは、いわば〝改造人間〟といった存在であるのは間違いない。

 ちっ、と舌打ちしながら、ビートは周りを見回した。彼がいるのはロビーの真ん中で、近くにはエレベーターシャフトも階段もない。逃げることはできそうになかった。出口に移動する途中で、柱に隠れていた篠北に攻撃されて、やられてしまうことは確実だった。


「──だが、なんとなくだが……わかってきたぞ」


 ビートはぼそりと呟く。


「モ・マーダーが何と戦っていたのかは知らないが……そいつは〝カーメン〟それ自体ではないな?」


〝…………〟

 反応はない。だがビートはかまわず続ける。


「あんたの、そういった〝戦闘能力〟──その手の方向の〝改造〟に関しては統和機構は抜け目がないんだ。〝カーメン〟がそういう設備なりなんなりを持っていたら、かならず統和機構も知っている──だがそんな事実はない」


 フォルテッシモですら、名前以上のことはわからない、と言っていたぐらいだ。


「ということは、あんたが〝カーメン〟に会ったのは例の事件の後ということになる……あんたは、モ・マーダーが戦っていた相手、あの病院にいた何者かにをされていたんだ。そいつは統和機構と戦おうとしていたが、途中で失敗した。そしてあんたはそれに取り残されちまったんだ。そこを〝カーメン〟とやらに拾われた──そうだろう?」


 ビートの、その爪先がと床を叩きはじめる。

〝……だから、なんだというのだ? それが正しかったとして、一体なんだというんだ?〟

 やや、焦れたような声が返ってきた。しかし反響があるのでどこから話しているのかわからない。