ビートのディシプリン SIDE1
第一話「拝命と復讐」 ⑦
「〝カーメン〟──そいつが統和機構のことを深く知っているのは確かだ。俺のことも知っていたしな──だがそいつは、それ自体では表には立たないんだ。だからあんたみてーに、他の所で取りこぼされたよーな連中を前に出してくるってわけだ。はは、お互いに悲しい〝道具〟ってわけだな?」
ビートは、その爪先はさらにリズムを刻んでいく。
〝貴様が何を一人合点しようが、そんなことはもう何の意味もないことだ。さっきからまた、例の
そう、
その通りである。
もはや、今のビートには相手の鼓動を制御することはできない。完全に追いつめられている。
だがそれでも、ビートの顔には焦りも恐怖もなく、リズムを刻むこともやめない。
そして何より奇怪なことは──
「……く、くくっ──くくくくっ……」
彼は、その唇の端が吊り上がっていることだ。目がギラギラと輝いて、頰が痙攣するようにわなないている。
「……くっくっくっくっ、ふふ、ふははっ!」
彼は笑っているのだった。
待ちこがれていた合格通知を受け取ったり、ギャンブルで大当たりを取ったときのような、心の底からの笑いを、顔いっぱいに広げているのだった。
「ふははははははははははっ! ははっ!」
笑いながらも、リズムステップはまったく途切れずに続けている。
そこに、予告なく攻撃が来た。
背後に回っていた篠北が、いつのまにかその手に大型のナイフ──いや、それはもう刀と言った方がよい武器を振りかざして、奇襲してきたのだ。
このロビーに立っている〝柱〟──それは隠れるための物だけでなく、武器庫としても存在していたようだ。
「──!」
ビートはすぐさま反応してかわすが、遅い。相手の速い踏み込みに逃げ切れず、胸にばっくりと大きな傷を受けた。
敵は深追いしてこずに、またすぐに姿を隠す。
ビートは胸の傷を押さえるが、そこからは血があふれ出てくる。かろうじて致命傷は避けたが、決して浅い傷ではない。
「──ふ、ふふふふ……!」
だが、それでも彼は笑っている。
リズムステップを刻むのもやめようとしない。
〝……何がおかしい? なぜ笑っている?〟
遂に、敵の方から訊いてきた。ビートは時間が経つほど、
「モ・マーダーは……俺の叔父貴は殺し屋だった」
ビートはぼそぼそと、かすれるような声で話し出した。
「人殺しだ。大勢の罪のない人たちを殺していた。その中にはきっと、絶対に殺してはいけなかった人もいたに違いない──取り返しのつかないことをやっちまっていた。だから殺されたのは当然の報い──そうとしか言いようがねえ……」
それは果たして、敵に向かって言っているのか、それとも
〝……何を言っている?〟
「……だから恨みはない。どうしたって俺が報復を考えるのは逆恨みだからな──死んじまったことはもう、仕方がなかったと割り切っている──だがな、それでも、よ──」
ビートの顔に、さらに
「──その〝関係者〟が、わざわざ敵として出向いてきてくれてるんだぜ……さあ〝
言い切ったのと同時に、ステップが停まった。
しん、とロビーに一瞬の静寂が落ちる。
そしてしばしの間の後、篠北が、奇襲ではなく、柱の影からゆっくりとその姿を現した。
ビートの真っ正面である。
その両手には、それぞれ剣を握っている。二刀流だ。
「…………」
殺気に満ち満ちた眼で、ビートを
「────」
ビートも、その視線を真っ向から受けとめて怯まない。そんな彼に篠北が話しかけてきた。
「──貴様にわかるものか。あの病院に存在していた〝恐怖〟がどれほどのものだったか、理解できるはずがない。もし〝カーメン〟を知らなければ、私は自分が強化されていることにすら気付かぬまま、廃人となり果てていただろう──〝
「──〝あの女〟というのは、
その名を出した途端に、篠北の態度が
顔が真っ青になり、ぶるぶると小刻みに震えだしたのだ。恐怖が
そして次の瞬間、篠北は床を蹴っていた。
恐るべきスピードで迫ってくる。
「──シィヤアアアアアアアアアアアアッ!」
「────」
だがビートは、これを避けない。
その必要はない。
既に、彼は仕込みを済ませてあった。
剣が二本同時に、ビートの身体に接触すると見えたその瞬間に、あまりのスピードにぱん、と空気が
そして──改造人間篠北周夫の手に握られていたはずの超高速の剣は、二本ともが根本から折られて、その刃部分が宙に飛んでいた。
誰が想像し得ようか──
「──なっ?!」
篠北は
(──はっ!)
と気がついたときには、もう遅かった。
ビートの見えない猛速の蹴りがその腹部に決まっていた。容赦のないその一撃に篠北の身体はロビーから吹っ飛ばされて、ビルの窓面に直撃した。
ガラスが砕け散り、彼の身体は宙を舞って外に飛び出したが、墜落し地面に叩きつけられる前に、彼は既に絶命していた。
今度はもう──恐怖を感じている余裕はきっと、なかったに違いない。
「……そういうことだ、篠北さんよ──あのリズムはあんたに対してやっていたんじゃあ、なかったのさ」
ビートは、窓の側に寄って、彼の死体を見おろした。
「能力が封じられても、たった一人だけ、鼓動を感じられる相手がいる──そう、この俺自身だ」
ビートは、ぜいぜいと息を切らしている。もうさっきまでの超スピードなど、どこにも見られない。
「他人に対してはとても、そこまではできないという無茶苦茶で無理矢理な制御も、自分に対してだけは可能って訳だ。肉体の限界を超えた動きをすることも、それを苦痛と感じないタフな精神状態になることも可能なぐらいに──これこそが〝NSU〟の真の使い方だ。……自分でも制御しきれないから、手加減できないのが難点だが」
そう、これのことは統和機構も知らない。この〝
「──あるいはこの
がはあ──とビートは荒い息を吐き出した。
「──しかし、反動もハンパじゃねえ……くそ、身体中が痛え──畜生、それにしても……」
この場に長居は無用だ。飛び降り自殺か墜落事故か、とにかく大騒ぎになってしまう前に逃げないとやばい。
だがそれでもビートは、最後にどうしても愚痴らずにはいられなかった。
「……一度は絶対的な恐怖に敗北し、埋没してしまったはずの男の魂を、見事な戦士として



