青春2周目の俺がやり直す、ぼっちな彼女との陽キャな夏

第一話『タイムリープ』 ②

 あまりにも……あまりすぎる。

 やる気のない内面は表に出るというが、それにしたって努力の跡が皆無すぎた。


「……あか、前髪用のハサミとか持ってない?」

「え? そりゃあ持ってるけど」

「貸してくれ」

「は? なんで?」

「いいから」

「いいけどさ……」


 目をぱちぱちとさせる妹から半ば強引に身だしなみセットを借り受けて、そのまま一階の洗面台へと向かう。


「まずは前髪を軽くして、ドライヤーで適当に散らせばいいか……全体も少しいて動きを出せばまあ何とかなる。あとは眉毛を……」


 当たり前だけれど、整髪料やヘアオイルの類いなどはない。

 なので妹の持っていたものなどを拝借させてもらって、何とか最低限の体裁は整えていく。


「……こんなもん、かな」


 三十分後。

 かなり応急処置的な対処だが、とりあえず見ることができるくらいのレベルには何とかすることができていた。何にせよ今日の帰りにドラッグストアで、ヘアワックス、スプレー、ブラシを買ってくるのはマストだ。


「え、お、お兄ちゃん?」


 と、俺を見た妹が声を上げた。


「ん、悪い、色々借りた」

「そ、それはいいけど……ど、どうしちゃったの? ほ、ほんとにあのお兄ちゃん……? 完全に別人っていうか……え、昨日まで私がいくら言ってもあんなにダサダサで菌糸類みたいで救いようのないくらい陰キャだったのに」


 声を震わせながら妖怪でも見たような表情でそんな失礼極まりないことを言ってくる妹。

 いや俺はキノコか何かか。

 とはいえ……言いたいことはわかる。

 さっきまでの俺は、身内のひいで見ても最悪レベルだった。

 努力を何もかも放棄しているというか、全体的に諦めの境地しか感じられない。

 素材がどうのこうのとか言う以前の問題だ。

 少なからず外見を使うことにより生計を立てていた身としては、あんな朝まで飲んだ翌日のボロキレのような格好で登校するなんて到底許容できるものじゃなかった。


「行ってきます」


 朝飯を食べる時間はなくなってしまったので、駆け足気味に家を出る。

 台所のテーブルで新聞を広げる父親と、朝食をパスしたことに文句を口にする母親の姿がチラリと目に入った。

 そういえば、この頃はまだ父親も母親も元気にしてたんだよな。

 そう思うと妙に感傷的な心地になりつつも、俺は自宅を後にした。



 3


 実に十年以上ぶりになる中学の通学路だったが、道は何となく身体からだが覚えていた。

 どうも子どもの頃の記憶というものは、大人になってからのそれよりも数倍鮮やかに残るものみたいだ。

 夏の日差しが強く照りつける中、たくさんの生徒たちが川のように流れていくのに従って、見覚えのあるコンビニを横目に大通りを進んでいく。もう少し行くと十字路があって、その先にある歩道橋を渡ればすぐに中学校が見えてくるはずだ。


なつかしいな……」


 地元になんて、家を出て以来一度も戻っていない。

 十年一昔と言うけれど、特に学生時代の一年は成人してからの三年に匹敵するかもしれない。とすれば体感的には三十年前くらいだろうか。そういえばこの頃はまだスマホは普及し始めたばかりで中学だと持っている生徒も少なかったとか、コンビニ店頭でのコーヒーサービスが人気になり始めていただとか、オリンピック開催が決まって世間が浮かれていただとか……そんなことを思いながら通学路を歩いていく。

 ちなみにだが、さっきから周りにはたくさんの生徒たちの姿が見えるものの、話しかけてくる友だちなどは一人もいない。

 皆、家が近い者同士や仲のいいグループなどで楽しげなのにもかかわらず、俺が歩いている周りだけはそこにエアポケットのようにポッカリと空間があるかのようである。

 ……ぼっちだったからなあ……

 だんだんと思い出してきた。

 陰キャだった中学時代。

 見た目も中身も地味で暗くしやべるのも得意でなく、いっしょに登校したり教室で仲良く話をしたりできるような友だちなどほとんどいなかったのだ。

 あかの言じゃないけれど、ジメジメとしたキノコのような毎日。

 改めて、この上ない青春の無駄遣いだったと思う。

 この頃に得た青臭くも少し気恥ずかしい経験が、十年後には何よりも輝いて見える唯一無二の宝物になるのだと、今なら身にみて知っているのに。

 何気ないはずの登校風景の貴重さをみしめながら、一人歩いていく。


「……」


 ただ……何だろう。

 さっきから、何だか周りからチラチラと見られているような気がする。

 仕事の性質上、他人からの評価を気にするものであることから視線には敏感になってしまったというか、見られていればある程度はわかるようになってしまった。


「……ねえ……あれ……」

「……あんな子……たっけ……」

「……ちょっと……よくない……?」


 というか、そんなヒソヒソ声まで聞こえてくる。

 うーん、やはり即席の手入れだけでは見た目を十分にカバーしきれなかったのかな……と持っていた手鏡で一度どうなっているかを確認しようとしたその時だった。


「……っ……最悪……もう、なんでこうなるのよ!」


 と、道の先から、そんな声が飛びこんできた。


「?」

「急に壊れるなんてマジあり得ないんだけど……ていうか靴ってこんな風になるもんなの……?」


 よく通る声の、目立つ女子だった。

 電柱につかまってその場でぴょんぴょんと飛び跳ねながら、困った表情を浮かべている。

 どうやらローファーのかかとが壊れてしまい、歩けなくなってしまっているようだ。

 大変だな……と思いつつ、女子の近くまでやってきたその時だった。

 困り顔でありつつもなお整っているその女子の顔に、見覚えがあることに気づいた。

 確か隣のクラスの読者モデルをやっていた有名な女子で、いわゆる一軍とかカースト上位とか言われていた部類だったと思う。

 そんな当時の自分とはまるで接点のなさそうな相手ではあるのだけれど……どうして覚えているのかというと、それには理由があった。

 そうだ、確かこの一軍女子に、俺は卒業までずっと嫌われ続けていたのだ。

 それがどうしてかというと……


「あー、ねえねえ、ちょっとそこのキミ」


 と、女子がこっちを見てそう言った。


「? 俺?」

「そうそう。キミ、二年生でしょ? 見たことないけど、ネクタイの色がそうだし」


 胸元のネクタイを指さしながら手招きをしてくる。

 そうだ、あの時もこうやって声をかけられた。

 そして……


「あのさ、ごめんなんだけど、ちょい助けてくれない? ほら、かかとがこんなになっちゃって、動けなくてさー……」


 こんな風に助けを求められたのだ。

 当時は何で陰キャの自分が……と挙動不審レベルで戸惑ったのを覚えているが、女子からしてみればたまたま通りかかった気の弱そうな男子を呼び止めただけで、さして意味なんてなかったのだろう。

 なのでそれは置いておくとして、問題はその時に俺がとった行動だった。

 結論から言えば──逃げた。

 助けを求められたのにもかかわらず、一言も返事を発することすらせずに、ライオンににらまれたインパラのごとく一目散に走って逃げ出したのだ。

 や、あの頃はただでさえ女子は苦手だったし、ましてやそれがこんな自分とははるかにかけ離れた一軍女子が相手だったら、あの時の俺じゃあ逃げる以外の選択肢なんてまずなかっただろう。

 とはいえ大勢の生徒が見ている中で陰キャ相手に助けを求めたにもかかわらず、完全にスルーされて逃げられた一軍女子の心中は……想像してあまりあるものがある。


(いや我ながら最悪だよな……)


 結果、嫌われたとしても……仕方がなかったとは思う。

 少なくとも四十八はある、中学時代の黒歴史の一つだ。

 

 いくら大人びていてハデな見た目であっても、中身が二十五歳の身からすれば、あくまで十歳以上年下の中学生だ。

 怖がることなんてないし、普通に受け答えをすれば、まず問題なく対処できるはずだ。


「……」