30ページでループする。そして君を死の運命から救う。

序章 ④

 てんじようのまだらなあまみ、朝日まぶしい東向きの間取り、壁一面に張り巡らされた名古屋各地区の地図群──特徴といえばそれぐらいの殺風景な自室だった。


っっかれた……もう限界だ歩けねえ……」


 に靴を脱ぎ散らかしたまま部屋に入って、途端、バッテリーが切れたようにぱたりと倒れ込んでしまう。


「今日も全滅……〝あの子〟の有力情報はつかめなかったな……」


 一応、「三つの特徴すべて一致してはいないがそれっぽい人物は見た」などの声は数件耳にした。だが詳細を聞けば確度が低く、アタリだと確信を持てるものではなかった。

 ごろりと大の字に寝転がってため息をく。家の中ではもう他人の目を気にしなくていいと、首をめつけていたネクタイをほどいて放り投げた。

 ──人前では二〇代で通しているが、本当はまだ一八歳だ。調査員の仕事をしながら通信高校に通う高校三年生。それが俺の正体だ。

 調査事務所のボスの命令だった。一〇代のガキだと舐められる、大人びたシャツにネクタイ締めて二〇代と見せかけろ、クソ暑い夏場でもだ、と。

 さらに言えば年齢だけでなく、表情、態度、口調ですらも意図的に変えている。ハイスペックな「どうけいすけ」を演出するために。

 しかし実際は……。


「なにがダーツバーだ。なにが女関係に不自由してないだ。本当は酒も女遊びもろくに知らないくせに。調査事務所のホープ? まさか。事務所内じゃまだまだこき使われてる新米だ。てか高層マンション買ったってなんだよそのうわさ。実際は風呂なしボロアパートだぞ。はぁ、どこがハイスペック男子だよ。けどいまさらの自分を他人にさらしてげんめつさせるわけにもいかないしな……」


 さわやかなほほみで相手が親しみやすさを感じて関係を結んでくれるなら仮面をかぶり続ける。

 こいつは役立つ人間だと興味を持ってくれるなら過剰な評判でもむしろ訂正せず利用する。

 その結果として多くの人とつながり、〝あの子〟捜しに力を貸してもらえるなら、「どうけいすけ」をり続ける。いつわることは得意だ。

 人前で過度に演じているうそつき? 裏表あるろくでもない仮面男?

 ああ自分でもわかっているさ、そんなこと。

 でも、八年前に決めたんだ。〝あの子〟を見つけるためにどんな手も使おうと。


「八年……あれからもう八年か……」


 まぶたを閉じればいまでも思い出せる。八年前の雨の日の記憶を。

 当時小学生だった俺は母さんの葬儀から飛び出して、しやりにもかかわらず傘も差さずに借家の前で立ち尽くしていた。

 その借家は自分の家だった。いや、正確にはこないだまで住んでいた自分の家だった。

 すでにどうという姓が入った表札は抜き取られていた。『入居者募集』の広告が差し込まれた玄関扉は鍵がかけられ、室内で雨宿りすることすら許されなかった。

 空き家となったかつての俺の家は、あの悪夢がだったことを象徴していた。


『六・一三の悪夢』──後に日付から取ってそう呼ばれるようになったそれは、名古屋で発生した最悪の事件。母さんを失うこととなった悲劇の元凶。

 あまりのそうしつ感に俺の心はどんして涙すら流れず、ただ棒立ちとなってざあああああっとつぶすような雨に打たれていた。

 そのときだった。


「──君、どうしたの?」


 雨が、急にやんだ。

 いや、雨がやんだわけではなかった。

 見上げれば、俺の頭上に傘が差してあった。


「傘、半分コしよ。雨、冷たいでしょ」


 一本の傘を二人で分け合う形で、雨に濡れないように俺を入れてくれた。

 ──それが〝あの子〟との出会いだった。

〝あの子〟は優しかった。「わっ、たいへん! 服びしょびしょ! このままだと引いちゃう。わたしの秘密基地に体くタオルあるからついてきてっ」と手をつないでくれた。

 無気力な俺は流されるままだったが、そこで一度、顔を上げて〝あの子〟を見た。

 雨にけむる景色の中でくりいろの髪が鮮やかになびき、しゃらん、とことを鳴らしたような鈴音のかんざしをしていて、顔つきは同い年ぐらいで笑顔がまぶしく、でもあまりのまぶしさにぐじぐじした自分の心が焼かれそうになってすぐうつむき、結局それから先は目も合わせられなかった。

 秘密基地は、裏山の森にあった。

 木々や下草がうつそうしげる緑の中に不法投棄された軽自動車がそれだった。ヘッドライトはひび割れ、車体は赤茶けたさびが浮かび外観はボロボロだったが、車内はピカピカにせいそうが行き届いており、後部座席には人気漫画やタブレット端末などのらく、ほかにも水、お菓子、タオル、衣類、LEDランタンなどちょっとした生活ができるアイテムまでそろっていた。

 すげえ、って思った。まるで子どものための小さなセーフハウスみたいだった。

 車内で〝あの子〟は俺を元気付けようとしてくれた。ランタンの温かな光をともし、コンソメパンチをパーティー開けして、そしてタブレット端末をタップした。


「これ、わたしのお気に入り動画なんだ。一緒に観よっ。とっても笑えるんだよ!」


〝あの子〟が再生したのは『ペンぷー』の動画だった。ペンギンをモデルにした地元マスコットキャラ。ペンギンマーチという歌に合わせて踊る動画が子ども心をつかんで話題となり、ゆるキャラブームの波にも乗って名古屋で人気を誇っていた。

 俺も好きだった。ペンぷーの動画はこうしん日に何度もリピート再生するほどハマっていた。動画を観ている間はキラキラしたファンタジー世界に連れていってもらえる心地がした。夢中で目を輝かせ、画面にのめり込み、そのうち画面で観ているだけじゃ物足りなくて、そうだ、だから実物のペンぷーに会いに行こうとして、あの日、六月一三日、母さんと一緒にイベントに出かけて、そこで、そこで……。

 ぽろっ、とほおを一てきの涙が伝った。

 あれ、と自分でも驚いた。

 顔を手でおおった。でも指の隙間から涙がこぼれて止まらなかった。気づけば心情までも口かられていた。

 六・一三の悪夢でやさしかった母さんが死んだんだ。

 母さんが死んだ事実を受け入れたくなくて葬儀の途中で逃げ出したんだ。

 引き取ってもらうことになったしんせきに俺はうとまれてて、そんな親戚の家でこれから迷惑をかけて生きていかなくちゃいけないんだ。

 なんではキラキラしてて楽しそうなのに、こっち現実は悲しいことばかりなの。ねえなんで。だれだって悲しいことは嫌で生きているんじゃないの。くそ、くそぉ、なんでこんなに……。

 すると突然、春に抱かれたような暖かさを感じた。


「望んでるんだね、悲しみのない世界を」


 春ではなく、〝あの子〟に抱き寄せられていた。


「わかった──救うから。ここからは全部懸けて救うから」


 彼女にぎゅっと一段と強く頭を抱かれた。だから彼女がその台詞せりふをどんな表情で言ったのかは見えなかったが、その言葉のはしばしに宿る感情は優しく、けんしんてきで、正義感に満ちて……。

 ゆりかごに包まれるようなその腕の中。もうこの世界で得られないはずの優しさが全部そこにあったような気がした。