商店街と隣接している寺院「大須観音」では境内にイベント会場が特設され、世界コスプレサミットや人気インディーズバンドのライブなどイベントが目白押し。名古屋各地から人が集い、開催期間二日間における総来場者数は数十万規模で大賑わいとなる。
実際、千客万来だった。アーケードに吊るされた赤提灯の列の下、ドドンッ! ドドンッ! と太鼓の小気味よい打音が響き、老若男女幅広く来場者が行き交っていた。
そんな大須の地に立ち、俺はひとつの予感を抱いていた。
──〝あの子〟も夏祭りだから大須に訪れているんじゃないか。
もし古着屋が大須のどこかで〝あの子〟を見かけて連絡をくれたのだとしたら、いま〝あの子〟は夏祭りのどんちゃん騒ぎの中にいる。
大須にいるなら、きっと会える。
古着屋のもとへ急ぎながらも〝あの子〟と行き違うのが嫌で視線をあちこちに向ける。カフェへ続く階段、カキ氷の順番待ちしている列、すれ違った女子高生グループ……。
どこかに、この祭りのどこかに〝あの子〟が。
希望的予感が強くなっていく。歩速を上げる。有力情報へと気持ちが急く。もはや駆け足になっている。会える。会える。きっともうすぐ会える──そう昂っていたときだった。
突然、地鳴りのような音が耳朶を打った。
最初はなにかのイベントでもはじまったのかと思った。でも物々しい轟きに違和感を覚えた。
なんだろう? 気になって振り返ると音の正体が判明した。群衆の足音だ。特設イベント会場方面からドドドドドッと大挙して逃げ押し寄せてきた。
え、と俺は戸惑って棒立ちになった。その一瞬で──
アーケードは混乱の人波に吞まれた。
狼狽えた。視界に迫った夥しい人頭に。一体なにが、そんな声を発しようとしてドンッと肩をぶつけられる。ドンッ! ドンッ! ドンッ! 衝突が連続して体勢が崩れる。あっという間に人波に溺れる。待てよなんだこの状況は。慌てて左右に首を振る。つまずく人がいた。倒される人がいた。逃げ惑う人々は我先にと血相を変えていた。押し合いへし合い。落ち着いてくださいッ! 冷静さを促すような叫び。夏祭り運営スタッフだ。人波に割って入り手をメガホンにして訴える。だが混乱を収拾できない。カシャン。電子的なシャッター音が耳に紛れ込む。今度はなんだとそちらを見る。騒然となる光景を好奇な目を浮かべて携帯カメラで撮っている数人。戸惑った。なに吞気に撮ってんだ?
──なんだこれ、なんなんだこの状況……一体なにが起きている!?
明るい夏祭りが一瞬にしてひっくり返されたような騒乱。怒号や悲鳴が飛び交い、それを脇で他人事のように楽しむ者までいて、ひどく入り乱れた光景の中、突如だれかが叫んだ。
銃だ! 銃で撃たれたやつがいる! 特設イベント会場でッ!
ざわり、と胸騒ぎに襲われた。
──銃? 撃たれた? なんだよ撃たれたって。一体だれが撃たれて……。
瞬間だった。〝あの子〟が大須にいるという希望的予感が、一気に最悪な予感へと逆振れした。
──まさか撃たれたのって……いや、いやいやいや、なに馬鹿なこと考えてんだ。さすがにないだろ。こんな大勢の来場者がいる中で、万にひとつの、ごくごくわずかな、そんな可能性が起きるなんてことは。
詳細を知りたかった。だが混乱する人々が口々に騒いで情報が錯綜している。なにが正しくなにが間違っているのか判断がつかない。
一体どうなってるんだ? 夏祭りの日に白昼堂々銃撃なんてなにかの冗談だろ? そんな悪夢のような事件が起きるわけ……。
悪夢。そうだ、この嫌な感じ、あのときと酷似している。平穏な日常が一瞬で反転して阿鼻叫喚の地獄と化した『六・一三の悪夢』と。すべてを燃やし尽くそうとする激しい炎、呼吸もままならないほど充満した黒煙、焼け焦げて異臭を漂わせる屍の山──
いてもたってもいられなかった。次の瞬間には路面を蹴り上げ弾けていた。逃げ惑う人々の流れに逆らい全力疾走する。
肩がぶつかっても前を向き。
靴を踏まれてつまずいても立ち上がり。
揉みくちゃにされながらも搔き分けるように前進して。
ハッ、ハッ、と息を切らして一心不乱にアーケードを駆け抜けると、靴底がざりっと砂利を踏み鳴らす。面を上げれば無数の人頭で埋まっていた視界が開け、噂の事件現場が広がった。
大須観音。鮮やかな朱塗りの荘厳たる本堂に、いくつも掲げられた「南無聖観世音菩薩」の幟がはためき、境内ではイベントステージが特設されている。確かいまの時間帯はそのステージで『少女撃弾』とかいうガールズロックバンドがライブをしているはずだが……。
境内は閑散としていた。銃撃が逃走の号砲となり観客が一斉に逃げ去った、そんな跡のようにむなしく砂埃が舞い、バンド演奏の代わりに救急車のけたたましいサイレンが鳴り響いていた。
まさかと思っていた銃撃事件が真実味を帯びていく。
本能が警鐘を鳴らす。これ以上目線を上げればヤバい光景を目撃することになるぞと。
だが真相を知らなければという使命感で恐怖を押し潰す。油を差し忘れた機械みたいな首をギチギチと動かし、境内奥にあるイベントステージへ目線を上げていく。
どうか撃たれた人が無事でありますように。
どうか撃たれた人が〝あの子〟ではありませんように。
どうか悪い夢ならいますぐ醒めますように。
そんな祈りは──しかし届かなかった。
真っ先に瞳が捉えたのはステージ上で細く伸びる一筋の血だった。白のイベントステージと対照的な赤黒い血は嫌でも鮮烈に映り、悲鳴を上げそうになる口をなんとか手で押さえた。
恐怖に唇を震わせながら血の線をたどっていくと、惨たらしい血溜まりが広がり、その血溜まりの中に鈴飾りのかんざしが沈んでいるのを目撃した。
──かんざし?
五臓六腑がぞわっとした。なぜ鈴飾りのかんざしがあんなところに? まさか、いやまさか、その鈴飾りって水琴鈴じゃないよな?
あとほんの数ミリ目線を上げた先、さっきまでそのかんざしを挿していた栗色の髪の一〇代後半ぐらいの少女が銃弾に撃ち抜かれて倒れている、そんな万にひとつの、ごくごくわずかな可能性が起きているなんてこと、さすがにないよな?
よせよ。
そんなこと、頼むからよしてくれ。
身を削る思いで〝あの子〟を捜して、ついに有力情報が摑めそうで、もうすぐ会えそうなところまで迫って、もし彼女が困っていることがあるなら今度は俺が助けようと思って、でも俺はいま立ち竦むだけでなにもできず、そもそもなにが起きたのかすら理解できず、たどり着いた頃にはすべてが遅きに失して……。
──愛した〝あの子〟との再会が死体なんて、そんなふざけたことがあるかよ……!
最悪な想定が現実の光景として着実に縁取られていき、後は撃たれた被害者を視認すれば悲劇の画は完成する。
震える。奥歯が嚙み合わずカチカチ鳴る。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。見たくない。これ以上悲惨な現実を直視できない。目を瞑る。だがそれでは〝あの子〟が撃たれたかどうかわからない。歯を食いしばる。見ろ。まぶたをこじ開けろ。たとえ心が切り刻まれる光景がそこにあったとしても見ないとなにもはじまらない。見ろ見ろ見ろ見ろ見ろッ。
撃たれたのは──
「えっ」
撃たれた被害者を確認しようとして、俺は間抜けみたいな声を漏らした。
突然だった。
映画のカットが切り替わるような唐突さで。
世界は照明が落ちた舞台空間の如く暗転して。
時が止まったみたく無音の静けさに包まれて。
そして。
──眼前、〝謎の造形物〟が現れた。
視界を覆うほどの巨大さ。見上げなければ全体を捉えられないほどのスケール感。威容だった。異様でもあった。謎の造形物のデザインはクラシカルな機械を複合的に組み合わせたアンティーク風の造形美術を思わせた。
機械仕掛けの神、そんなこの世ならざる超然とした存在感。
──なんだ、これ……。
呆気に取られて絶句した。
ただ、機械仕掛けの神と相対する構図は神聖な儀式の一場面のようで、まさにその一瞬で自分の人生が運命付けられる神託を授かった心地となった。
──戦ってみせよ。かつて救われた悲劇の遺児よ。